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【講演録】ヴィクトリア朝の岩倉使節団──幕末維新期における文化接触と〈知〉をめぐる旅

2024/02/21

イギリス社会に対する理解と回覧の旅

『実記』のヴィクトリア朝社会に対する考察は、概ね的を射たものでした。久米は貧富の格差を指摘する一方で、人々が「自主ノ権利」を持ち、利益競争をしていることにも注目しています。つまり、西洋社会に貧富の差や知識・技能の差、強弱の差による上下の力関係が自ずと発生しており、政府が人々の生活を守るには、社会の上に立つ者は下の者を保護救済しながら、産業の利益を長く保つことが重要だと述べました。イギリス社会では上下が働きかけあって社会構造にふさわしい法を定め、政府を形成して人々の保護に尽力した成果を上げていることをイギリス各地を旅して知ったと記しているのです。ややきれいごとに過ぎる解釈ではありますが、久米は権力構造の重層的な関係を把握していました。そして、『実記』第2編の締め括りとして、イギリスの富強に至った経過を日本の読者に実感してもらうことがイギリス編の主な目的で、様々な人々との交流を通して彼らの生活の実態を知ることにより、目的を実現できたと強調しています。蓄積された情報に、旅を通して生身の経験が加わったからこそ、現地社会の理解を深め、日本の読者に伝えることができたと久米が述べているのは注目に値します。

情報をめぐる駆け引きから〈知〉の論評へ

岩倉使節団本隊がイギリスで経験したのは、情報をめぐる駆け引きでした。また、『実記』の編纂者である久米邦武が経験したのは、〈知〉の論評に向かう旅だったと表現できます。ここで言う〈知〉は、異文化の根本にある特質を体系的に見極めようとする中で育まれた、信念や理念、価値観、精神、信仰などを含む新たな知見で、考え方の枠組みそのものと深く関わるものでした。

幕末維新期の日本人にとって、異文化の知識や情報などに触れる経験は、自分たちに馴染みのある文化的な土壌とは異なる価値基準に根差した文化との出会いを意味しており、旧来の価値観とは異なる物事の捉え方、考え方の新しい枠組みと向き合う体験でもありました。

〈知〉の追求とは、漠然とした知識の探求ではなく、自分や自分の帰属先に欠けている〈知〉のあり方を自覚した上で、物事をとらえる視座を増やし、自らに欠けている要素を追い求めることでした。彼らはさまざまなフィルターを通して取捨選択した海外情報を、包括的な〈知〉という概念に昇華させ、それぞれのスタイルで主体的に〈知〉と向き合ったのです。

儒学者だった久米邦武が持っていた洋学系の知識は限定的で、語学も堪能ではありませんでした。そのような久米が使節団に選ばれたのは、明治政府が西洋礼賛に偏ることなく海外情報と向き合える人材を探していたからです。久米は儒学というバックボーンを備え、立脚点が安定しており、しかもどの陣営からも一定の距離を保って西洋社会や明治日本に冷静な眼差しを向けました。これはまさに〈知〉の論評の姿勢と言えるでしょう。情報の分析には久米の儒学の素養が投影されており、それを格調高く端正な漢文体で綴った文章を読むと、バランスの取れた視点で総合的に論評できる人を登用した明治政府の判断は適材適所だったと再認識させられます。キリスト教禁教の時代に、新島襄を使節団別働隊の文部省理事官の随行に登用し、洋学者ではない久米邦武を『実記』編纂者に任命した明治政府の慧眼にも、〈知〉の主体的な追求の姿勢が現れていることを忘れてはなりません。

本日の講演では、岩倉使節団本隊のイギリス滞在と教育に焦点を当て、異文化接触で得た情報が〈知〉に昇華する過程を辿りました。1860年代から70年代は日本を含む世界各国で政治・経済や社会が大きく変化し、異文化接触の形態が多様化した時期でもありました。そして21世紀の現在、私たちは幕末維新期とは別の形でさまざまな情報を〈居ながらにして知る〉環境に置かれています。情報とどのように向き合い、どのように〈知〉に昇華させていくか。その際、何に気をつけるべきなのか。それらを考える際、幕末維新期の先人たちの足跡を吟味することが役に立つはずです。

未知の新たな情報の錯綜する環境では、情報をいち早く制した者がリーダーシップをとれるという側面があります。21世紀の現代社会には、19世紀半ばとは比較にならないほど、さまざまな情報や情報ツールが錯綜し、情報の見極めも容易ではありません。過去も現在も、そしておそらく未来にも求められるのは、さまざまな立場のアクターが情報に潜ませる意図などの見極め能力を身につけることでしょう。情報の理解・取捨選択に必要な要件、提供された情報を見極め咀嚼する能力とは何か、情報に接する際、なにがしかのバックボーンを持つことの意味とは何かなどを検討していくことが、私たちにとって今後の課題・展望と言えるでしょう。そしてそれらを考える上で、歴史から学ぶことも多いのではないでしょうか。

ご清聴有り難うございました。

(本稿は、2023年12月21日に三田演説館で行われた第712回三田演説会での講演をもとに構成したものである。文中の久米邦武の『特命全権大使米欧回覧実記』の現代語訳は、水澤周氏による現代語訳(慶應義塾大学出版会)を参照しつつ、筆者が行った。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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