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【講演録】慶應義塾における教育研究の産業界への貢献──現代の実学とは?

2022/08/16

大学が浮世と勝負する時代

新たな技術を取り入れ、新たな価値を生み出し、社会にインパクトのある変革をする。猫も杓子もイノベーションと言っていますが、福澤先生も学問というのは物事を成すための技術にすぎない、学問が最終目的ではないと言っている。では何が目的なんだ。大学が物事を成していないのではないか。これももう一回考える必要があると思います。

大学の中にいて人間社会の実際に当たらないのは、俗に言う畑の中の水泳練習だと。私は、今は浮世離れした組織、つまり大学が浮世と勝負する時代だと考えています。これは連携とかいう生易しいことではなくて、勝負です。今までは負けていると思っていい。

藤原銀次郎さんによれば、福澤先生が言ったそうですが「今、諸君に向かって言わんとするところは、学生の実業である。必ずしも卒業の後を待たず、就学中、その業を実にするべきもの、甚だ多きの一言である」(藤原銀次郎『福澤諭吉 人生の言葉』)というのがある。なかなか面白いです。意外と慶應義塾はこの2022年、ウェーランドの時代に戻っていくような動きをしているのではないかと私は思いました。

やはり大学が病院を持っているということは強いと思います。これは浮世離れしていない。世間と一番接しているんです。受付に行くといっぱい一般人がいて、これこそ浮世です。ここでの情報はすごく大切です。病院をベースとした医学・薬学の研究はどんどん進めていったらいいのではないかと思っています。

また、文理融合で日常生活に付随した身近なものをやっていかなければいけないなと思います。ウェーランドの時代のカリキュラムを先ほど言いましたが、文理融合です。現在も例えば心理学などを見ると、意外とみんな集まってうまくやっているなというイメージがある。理系も経済、商学部と連携したり、そして法学部からの助言は必要だと思っています。

結局、自由に使えるお金が重要になる。国からの資金では自由にできないですから。そして、1+1=3をいくつも作っていかないと、勝手にやらせておいたら1+1=0になって、自己崩壊していくかもしれない。どこかがリーディングしていったらいいと思います。

福澤諭吉は、「人間の心掛けは兎角浮世を軽く視て熱心に過ぎざるに在り」と言い、自分の身も家も妻子も軽く視てこそ、水や火の中に入る勇気が生ずる、「浮世を棄るは即ち浮世を活撥に渡るの根本なり」と言うわけです(『福翁百話』)。浮世のことを軽く見ることは、やはり重要だと思うのです。重く見すぎて、失敗すると必ず隠しますよね。そういうことが増えると、大学にとって非常によくないと思っていて、失敗しても「いいんじゃないの、これは失敗だよ」というようなことがあってもいいと思います。

「人間福澤」に学ぶ

「福澤思想、人間福澤は、2022年の浮世で通用するか?」ということです。1901(明治34)年、福澤先生が亡くなり、終戦まで45年ぐらい闇の時代のような軍国的な時代が続く。終戦後、ちょうど45年たって、福澤研究が復活してくるような感じがします。

そして、さらに45年がたち、ちょうど1990年頃で歌謡曲も終わりました。大体時代をけん引した歌はもうここで出なくなった。そしてここから、私にしてみれば闇の時代がずっと続いているわけです。思想的にあまりないんです。だから、どうしたらいいんだという時、私はこの福澤思想は非常にいいのでないかと思っています。あまり宗教じみていないですし、非常にしっかりしていて、さっぱりしている。

福澤思想というのは体系化されているんです。だから扱いやすい。ある程度理解すると、いろいろなことを福澤先生だったらどう考えるかなと考えることができる。これが重要だと思うんです。例えばコロナの時、福澤諭吉だったらどうしているかなと思うんです。家で休んでいるかというと、絶対そういうことはないと思います。やはり浮世の言動の手本になることをするのではないでしょうか。

やはり若い時に福澤諭吉を知ってもらいたいなと思います。いろいろな人に聞くと、年を取って引退した人がもう一回、『学問のすゝめ』を読み返したりしています。それはそれでいいのですが、もう少しこれからの人たちが浮世を渡るための道具にしてほしいなと思っています。

藤原銀次郎さんが、福澤先生を民衆化するべきだと言っています。「人間臭いな、この人も」と言いながら学んでいくと、大学の産学連携だのベンチャーに対する心がけとかも変わってくるのではないか。失敗して落ち込む時、福澤先生だったら、まあいいや、大したことないや、そう思うのではないかと思うんです。

福澤諭吉という芯があり、そこに自然科学が加わり、適塾時代辺りに人間が形成されてきた。この上に『学問のすゝめ』とか『西洋事情』とか『文明論之概略』がのってくる。これがやはり福澤諭吉に近づく妨げになっていないか。どうせ昔のことではないか、なぜ西洋のことを今さら読まなければいけないのかと。なので、この自然科学の素養と福澤諭吉の芯の辺りだけを上手く取り出して2022年に適用していけば、十分通用するのではないかと私は思っていて、今日は福澤諭吉を論じさせていただきました。

福澤諭吉は何と戦っていたのか。別に新政府と戦っていたわけではないですし、生活と戦っていたわけではない。私はやはり、浮世ということだと思うんです。福澤は、人間にはどうにもならないもの、死んでしまうとか苦しいとかどうしたらいいんだとか、そんなことと戦っていたように思います。そして、100メートル走を突っ走った感じです。

今日の講演は私の推測も随分混じっていますが、慶應義塾の産学連携とかベンチャーに福澤思想を入れ、何とかお金を稼ぎながら現実に持っていきたいと思います。どうも有り難うございました。

(本稿は、2022年5月13日に三田キャンパス北館ホールで行われた福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会での講演をもとに構成したものである。文中の福澤諭吉の原文は『福澤諭吉著作集』(慶應義塾大学出版会)による。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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