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【講演録】慶應義塾における教育研究の産業界への貢献──現代の実学とは?

2022/08/16

境界を超えた学生たち

私が長い教員生活で、今日の教育研究でいいなと思った学生を3人紹介させていただきます。殻を破った3人の学生が私のところに飛び込んできたという経験です。

1人は今も文学部で考古学、石器を研究しています。石を科学的に分析し、2万年前の石を見て研究している女子学生ですが、私のところに飛び込んできて、文学部から理工学部のドクターコースに入り、ドクターを取って出ていったんです。すごく気が強くてめげないんです。「ジャーナル・オブ・ザ・アメリカン・セラミックス・ソサエティ」は一流誌で、普通の学生では通らないんですが、落ちても落ちても論文を出すのですごいなと。工学博士を取り、文理融合というテーマを実現したような学生です。

次に「一人医工連携」の学生です。慶應の医学部から私のところに、どうしてもものを作りたいということで来て、工学博士も取っていった。医学部で臨床もやって基礎もやって、工学部でドクターも持っている。一人医工連携と私は名付けました。

3番目は、理工学部で研究をしているのですが、所属は経済学部で、しかも司法試験に受かっている学生です。彼は非常に優れていて、塾高時代に私のところに来た。何があってもマイペースでやるんです。現在、まだ22歳ぐらいだと思うのですが、論文を高校のときから英語で書いていて、オックスフォードに行くことが決まっている。私は将来必ず慶應に帰ってこさせてね、といろいろな先生にメールをしています。

このとき思ったのが、KLL(先端科学技術センター)の所長とか研究連携推進本部の本部長をやっていても、お金が自由に動かせないことです。当時の常任理事に訴えても、こういう子を支援する金がないというわけです。これは大問題だと思うんです。それで困ってしまい、僕は「君、慶應義塾が嫌いになったんじゃない?」と言うと、下を向いて笑っていたのですが、彼はさすがで、某通信企業の偉い人のところへ行って、ポンと200万ぐらいもらってきた。でも、これは何とかしなければいけないなと思いました。

ルソーの『教育論』によれば、教育とはラテン語の「引き出す」、あるいは「導き出す」という語が語源です。本来その人が持っているものを引き出していく。これは少人数制ではない今の慶應義塾にはなかなかできませんが、やはり研究室に入ったらいろいろ指導をして、社会に出る前に社会と接するということが今日は大事なことです。

福澤先生も「学問脩業者の平均数を計(かぞ)うれば、唯費すのみにして所得甚だ満足ならず」(『福翁百話』「教育の価必ずしも高からず」)と書いている。学者の所得は高くないと(笑)。今も昔も変わらないなと思うのですが、私もどうしてこんなにドクターや学者が、安定しないのかということを、全国の工学系や理工系の学部長と一緒に経産省の基盤技術研究会というところで話しています。これは日本特有なことかもしれません。ドイツなどに行くと、機械系、ものづくり系でドクターを取ると、就職に全然困らない。日本の場合、大学に長くいると社会に出られないとか、いろいろな問題がある。これは何とかしないといけないと思っています。

産学連携という戦い

産学連携というのはバブルの前まではどうでもよかったんです。大学で何をしようが、遊んでいようがどうでもよかった。ところが、日本企業が駄目になってきて、みんな苦しんでいるのになぜ大学だけ遊んでいるんだということになって、1990年頃から産学連携が始まり、遅れて2000年に慶應義塾先端科学技術センターができ、一生懸命やらなければいけないとなった。それまでは企業と組んだりしたら汚らしいとか、いろいろ言われていたのです。

慶應が面白いなと思ったのは、慶応工学会という組織があることです。これは進んでいまして、昭和36(1961)年にもうできている。私も随分お世話になっていますが、慶應のよさというのはこういうところにある。

連携企業とどうやって戦っていくかというところが問題で、われわれの技術がどこまでこの実社会に通じるかということを考えると、ほとんどの人は通じないと思います。いやいや先生、こんなに契約をいっぱいもらって、100万、200万、お金が入っているではないですかと言うかもしれませんが、よく中身を見なければいけません。単に学生の人手が欲しいから100万円で使っているとか、国の資金で連携するので、企業と組まなければいけないといったものもあります。

やはり慶應義塾の中で何か大きな発明をして、企業のほうから一緒にやらせてくださいと言って、ある程度大きなお金をもらってスタートするという基本概念が崩れてはいけないのです。そうでないと逆に侵略されていることになります。これは戦いなんです。私は何回も味わっていますが、揚げ句の果てに組織が変わったので来年からは遠慮していただけますでしょうかと言って肩たたきに遭う。

ベンチャーというのは、いまだに定義がよくわからないのですが、事業を興す人、起業家、アントレプレナーでしょうか。福澤諭吉がこれを見たら「事業を興す人? 当たり前ではないか」と言うかもしれない。しかし、この考え方はこれからの慶應義塾には絶対的に必要だと思います。特に学生などが授業を受けながらベンチャーを興せるようにしていかなければいけないと思います。

私自身、2013年にKLLの所長となり、学生が企業開発者と話すことの大切さがわかりました。KEIO TECHNO-MALLという2,000人ぐらい集まる企業向けの研究発表があるのですが、学生が背広を着て、東京国際フォーラムでいろいろな企業の開発の人と話すわけです。これはとてもいいことだと思います。私が教えても駄目なことも、「○○の会社の人からこう言われました」となると説得力がある。また、自分の研究が認められた時の楽しさがある。

1+1=3にするために

研究連携推進本部長の時は、全教員がどんな研究をしているかを知らなければいけなかったのです。理工学部でもわからないのにわかるわけない(笑)。どんな教員がどれぐらい有益なことをやっているか。それで文理融合するわけですね。1+1=3になるということを実現していかないと慶應義塾は勝てない。下手をすると1+1=0になるんです。どういうことかというと、けんかをしてしまうことが往々にして起こる。また何となくお金が欲しいから合体すると、お金がなくなったら切れていくことがよくあります。そうならない連携が大切です。

一昨年からは三田の研究連携推進室本部でコロナと戦っていたのですが、一昨年の今ごろは全キャンパスが閉じていましたから、私も「慶應義塾は研究をやめない」というキャッチフレーズを掲げて、岡田常任理事(当時理工学部長)と一緒にウェブで会議ばかりやっていました。そして全学部協力の下にDX化をしていった。この時、いいなと思ったのは、全塾デジタル化を進めていくのに興味がある人が全学部にいたことです。これは大変面白かったです。全学部の意図を聞いてアンケートを取ったり運営会議などをやって、一つになれるんだと思いました。まさにラグビーのワンチームというやつです。

こういうことがいくつもあるといいなと思います。全学部は無理でも、2学部、3学部ぐらいが常に連携を組んでいないといけない。今、国から、慶應義塾としてどう考えているんですか、という要求が多いんです。これは嫌なんですね。これは、「では誰がそれを考えているんですか」ということになるのですが、急にチームを組むことはできないので、あらかじめ組んでおくことが必要です。

チームは簡単には組めないです。いきなり電話をかけて僕と研究しませんか、あなた、いい研究やっていますね、と言っても、教授同士ですから大きなお世話ということになる。これはある程度トップダウンがいいのではないかと思います。トップダウンをするには何が必要かと言うとお金です。それも、自由に使えるお金でなければ駄目です。慶應義塾にはこれがあまりない。これを今、執行部の方たちはより多くつくろうとしていると思います。例えば三田の経済学部や文学部の人に理工学部、医学部、SFCとあなたは何ができますかと問いかけて、良い提案であれば500万出す、ということを繰り返していけば必ず成功していくと私は思います。先立つものは自由に使えるお金だと思っています。

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