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【講演録】慶應義塾における教育研究の産業界への貢献──現代の実学とは?

2022/08/16

  • 鈴木 哲也(すずき てつや)

    慶應義塾大学理工学部教授

福澤諭吉と自然科学

理工学部から参りました鈴木でございます。今日は「慶應義塾における教育研究の産業界への貢献――現代の実学とは?」ということで講演させていただきます。「私にとっての福澤諭吉」ということを半分ぐらい絡めながら話していきたいと思います。

安田靫彦(ゆきひこ)の絵(「福澤諭吉ウェーランド経済書講述の図」)は、ここに当時33歳の若き福澤先生がいらっしゃるのだなあと、見ているうちに大好きになってきました。まだ『学問のすゝめ』も書いておらず、このときはそれほど有名ではなかったのだろうと思います。

慶応4年は慶應義塾(福澤塾)ができて10年程ですから、もう100人ぐらい学生がいるのかと思っていたのですが、わずか18人ということです。後ろの学生が上野のほうを見ていますが、私もこのときの慶應義塾の18人の中に入りたかったなと感じました。

池田幸弘先生のユーチューブのミニレクチャーなどを見て知ったのですが、フランシス・ウェーランドは、経済学者とありますが人文科学全般に秀でていた人で、「科学は、神が確立した法則を体系的に示す」ものだと言っていたとのことです。科学、そして法則という言葉、それから体系的に示すという言葉は、おそらく福澤が大好きだった言葉だと思います。福澤は自然科学分野では、ニュートンが非常に好きだったということですが、科学を体系的に示したのはニュートンだけです。

『学問のすゝめ』はこのウェーランドから影響を受けた。特にThe Elements of Moral Science(『モラル・サイエンス』)から大きな影響を受けていて、その抄訳の部分もある。モラルにサイエンスが付くのか、というのが私はいまだに疑問ですが、福澤は非常に道徳的に厳しい方でしたから、ウェーランドの経済書と『モラル・サイエンス』、そしてもともと素養としてあった儒教と三つ巴のような感じで『学問のすゝめ』を書いているわけです。ウェーランドの経済書は、2度目のアメリカ行き(1867年)の際に学生用として多数部購入したとのことです。

このころの慶應義塾のカリキュラムがどうなっているかを見てみました。福澤諭吉はウェーランド経済書講義を火曜日と木曜日と土曜日の朝10時にやる。それから、小幡篤次郎がクアッケンボス(カッケンボス)の合衆国の歴史の講義を月、水、金の同時刻にやっています。

クアッケンボスの「究理書講義」というのも行われていますが、この本は福澤の『訓蒙窮理図解』(1868)の参考書にもなっています。このほかにもコヲミング氏の「人身窮理書会読」などもあり、このころは文系とか理系という言葉はなかったと思いますが、かなり自然科学系が多い印象を受けます。

わが国最初の自然科学の入門書『訓蒙窮理図解』

福澤によるわが国最初の自然科学の入門書『訓蒙窮理図解』は、わが国初という割には、あまり読まれていない。しかし、目次を見てみると福澤の意図が読めてくると思います。例えば巻の一は「第一章 温気(うんき)の事、第二章 空気の事」とある。福澤がこのころ一番考えていたのは、産業革命がイギリスで起き、黒船が日本まで蒸気機関の力で来たので、その動力をより利用したいということではないかと思います。第一章温気の事は、「万物熱すれば膨脹(ふく)れ、冷(ひゆ)れば収縮(ちぢ)む。有生無生(うじょうむじょう)(自然界のすべてのもの)、温気の徳を蒙(こうむら)ざる者なし」とある。少し熱力学っぽいですね。ワットの蒸気機関とか、そんなことを意識しているのではないかと想像します。

第二章空気の事。「空気は世界を擁(とりまわ)して海の如く。万物の内外、気の満(みた)ざる処なし(空気のないところはない)」。空気を圧縮しながら、エンジンなどで蒸気を燃やしていく。普通はニュートン力学から入っていくのですが、福澤にとっては、まずこれが重要だったのでしょうか。

巻の二「第三章 水の事、第四章 風の事、第五章 雲雨(くもあめ)の事、第六章 雹(ひょう)雪露霜氷の事」は気象についてですね。当時は天気予報はなかった。だから、例えば子どもの頃中津で生活していると、急に風が吹いたり、急に雨が降って田畑が荒らされたり人が流されたりするのを目の当たりにする。それで、これは気象が大切だ、どうして雨が降るのだろうか、と疑問に思ったのでしょう。これは、学問のスタートとして重要なことではないかと思います。

しかし、当時の偉い漢学者に聞いてみると、空が暗くなって、雲が出てくると雨が降る、といった全く説明になっていないようなことを言う。それを何とか説明したいと思っていたのでしょう。「水はどんな器に入れても一様に平面になる」とか、「露が凝結して霜となり、雨が変化して雪となる。雨雪露霜と状態は異なるが実体は皆同じである」という説明は私もグッときてしまうのです。すごくサイエンティフィックな心を持っていらっしゃると感じます。

巻の三「第七章 引力の事、第八章 昼夜の事、第九章四季の事、第十章 日蝕、月蝕の事」になりますと、初めてニュートン力学の話が出てきます。「引力の感(かんず)る所至細なり、又至大なり。近くは地上に行われ、遠くは星辰(せいしん)(星々)に及ぶ」「日輪常に静にして光明の変なし。世界自から転(まろ)びて昼夜の分あり(太陽はいつも静かで明るさは変わらない。地球が自転していることから昼夜ができる)」。

福澤は科学についての実験も実際にやっていますね。『福翁自伝』に載っていますが、緒方洪庵の適塾で原書を見て苦労しながら、好んで物理や化学の実験を試みています。塩酸を製造したり、アンモニアを製造したりしています。体中が臭くなって犬にほえられるとか面白いです。「塩酸亜鉛があれば鉄にも錫(すず)をつけることができる」(『福翁自伝』)。このあたりは理工学部でも理解できる教員はないと思います。今はやっていないですから。鉄を錫で被覆する、鉄に亜鉛メッキをする実験をしていたのですね。

当時はガラス瓶などあまりないですから、お酒を買いに行って、飲み終わったら徳利を返すんですが、これを理科実験に使うので、飲み終わっても酒屋に返さないから、酒屋からクレームがきたとか書いてあるわけです。徳利に塩酸や硫酸などを入れて実験していた。

私から見ると、このように福澤諭吉はまず理科系の学問を学び、その上で政治思想など社会科学に入っていったというイメージが非常に強い。その証拠というか、最初にアメリカに行った時、アメリカ人が自慢げにメッキ(ガルヴァニの電気鍍金)を「おまえらはこんなことを知らないだろう? 見せてやる」と言うわけです。ところが福澤は「こっちはチャント知っている」と言う。「これはガルヴァニの力でこういうことをしているのだ」と全然驚かない。

一方、福澤は何に驚いたかというと、その社会のシステムが日本と全然違うことに驚いた。女性の地位が高いとか、ワシントンの子孫を誰も知らないといったことです。

自然科学によって知り得た世界は厳格な法則の世界だった。その上でいろいろな政治思想を考えていったということがうかがえるわけです。ニュートン力学は予想ができるわけです。例えばボールをポーンと投げる。この初期速度と角度がわかって空気抵抗もわかれば、いつどこに落ちるかわかるわけです。そういう考え方をもって政治思想に入っていたような気が私はします。

実学の捉え方

今日は「義塾の教育研究が発展、産業界に貢献するには? 人間福澤諭吉を探求すれば何かヒントがあるのか?」ということを考えていきたいんですね。福澤諭吉の思想というよりも、人間・福澤諭吉というものがこの2022年にはかなり通用すると私は考えています。ツールとして福澤諭吉はどう生き、どう考え、どう行動したかが、今の世に非常に手本になるということです。

実学にはいろいろな定義がありますが、「実」というのは虚学に対して実証的という意味で捉えられます。私が一番気に入っているのは「現実を作っていく力」という捉え方です。2022年にどうやって現実を作っていくか。つまり現代の実学ですね。現代ではイノベーションという言葉がよく使われます。イノベーションを起こし、社会を発展させ、進化することに直接寄与するのが現代の実学ということになるのかと思います。

私は東京工業大学の学部は無機材料というところの出身です。大学院では原子核工学というものを学び、亡くなった東京電力の吉田昌郎元福島第一原子力発電所所長は私の先輩に当たります。誰でもそうかもしれませんが、若いと世の中に疑問を持つことも多く、乱読をしていました。岩波文庫を端から読んでいくとか、中央公論社の「世界の名著」などです。その中にニュートンの『プリンキピア』も入っていますが、その頃は、そういった本を大体1日1冊のペースで読んでいました。私なりに目的がありまして、どうしてこんなに世の中は悪いのだろうとその頃は感じていて、社会というものに非常に疑問を持っていた時期でした。そしてジャン=ジャック・ルソーは私の一つの心の支えになっていました。

『学問のすゝめ』もその頃読んでいます。ですから私と福澤諭吉の出会いは20歳ぐらいの時です。岩波新書で小泉信三の『福沢諭吉』というものが出ていますが、これも印象に残っていて、その時は慶應義塾の塾長とは知らなかったのですが、最初に子ども時代、福澤諭吉と直に接した想い出が書いてあり、「羨ましいな」と思った(笑)。浴衣がけの福澤が自らの孫と一緒に信三少年と遊んでくれて、蚊が飛んできて大きな掌で自分の脛を叩き、血が散ったという描写など、非常に詳細に描いてある。

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