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【特別鼎談】アジアにおける民法典制定への国際協力──法整備支援への塾員の貢献

2021/03/24

法整備支援による変化

松尾 お人が法整備支援活動に携わってこられて、実際に相手国やその国の人たちにどういう変化を感じ取りましたか。法整備支援の成果はすぐには見えないけれど、変化の兆候や小さな変化を感じることはありましたか。

長尾 おっしゃられたように、効果はそう簡単には見えないのだと思います。とくに私は民法典が制定される前に離任していることもあって、何が変わったかは自分では分からないのが正直なところです。

ネパールに住んでネパール政府関係者をはじめとするネパールの人々と一緒に働いていても、やはり一歩距離を置いて生活していますし、実際制定された民法がどのようにインパクトがあるか、実感しきれないところがあると思いました。

それはある意味致し方のないことだと思っています。つまり、できることをやって民法ができたことを一緒に喜び、相手国の民法ですので、その行く末は彼らの手に委ねるというのがあるべき姿かなと思います。2、30年後にこのネパールの民法がどうなっているのかを見るのも1つの楽しみです。

私が赴任していた当時のJICAネパール事務所の所長さんが、事務所のニュースレターに、「風の人と土の人」という言葉があると書いていました。土の人というのは現地の人、風の人というのは援助機関の人ということで、風というのはサッとと吹いただけでは土に何か大きな影響を与えるわけではないけれど、吹き続けると何らかの変化を起こすことができる、というような趣旨だったと思います。

法整備支援はそのように、吹き続けて、吹き続けて、変化が見えることに思いを馳せながら活動するということなのかなと思います。

1つ、民法・刑法がいよいよ議会を通るぞ、という機運が高まって以降、裁判官、検事、弁護士が法案の分析や勉強を始めたので、これから法律家が主体となって普及させてくれるに違いないと思い、非常に嬉しく感じました。

松尾 法律家は、政府と市民社会の媒介者になって、国民に制度改革の成果を届けるという使命があると思うのです。いっぺんに社会が変わるということはなく、媒介者としての法律家の理解や意識や態度が変わり、それを通じて人々の理解や意識や関心も変わっていくのでしょう。そういう意味では法律家の中での変化が生じたのは、大事な前進の1つだと思います。入江さんはいかがでしょうか。

入江 民法典は成立、施行しましたが、それがラオスの社会で機能し、紛争解決のチャンスとなって、人々の権利や利益の実現に生かされなければ絵に描いた餅となってしまう。私たちは、そのための支援を、これからも気を抜かずにやっていかないといけないと思っています。

民法典が機能するためには法文があればいいというものではなくて、裁判所や行政の実務が変わっていくことも必要になりますので、さらに長い時間がかかると思います。

私たちがしていることは、国づくりのために糸を紡いでいく中の一紡ぎでしかないわけですが、それがないと先に進めないということでは大きな意味があります。民法典を持ち人々の権利や利益が実現して、平和で安定した社会がつくられることが法律家としてできるお手伝いだと思います。

進歩を実際に感じるのは、やはり時間がかかるのでなかなか難しいのですが、最近、会議の中で、こういう結論だとこちら側の当事者が不利益なのではないか、取引を促進するためにこういう制度をこう解釈したほうがいいのではないかと、いろいろな関係者の利益を調整して、適切な解釈を導いていくような意見が出るようになったと感じます。

これまでは法律というのは市民を従わせる、市民を律するためのものだという発想が、ラオスの人たちにあったと思うのですが、そうではなく、法律を使ってラオスの社会を機能させるにはどうしたらよいか、ラオスの人々が利益を受けるにはどうしたらよいか。

そのための良いバランスはどこにあるのかという発想で考える意見が多く出てきている。これは、これからのラオス法学の発展にとって、非常に貴重な一歩なのかなと思っています。

松尾 それは面白いですね。やはり、法律家、司法省、裁判所、検察の人々の法意識が変わっていくということが、最初のポイントだと思うのです。

法律が国家統治の手段であるという考え方は、アジアの国では一般的ですし、日本でもそういう法意識は存続しています。そのような考え方を全部捨ててしまうわけではないけれど、同時に、法を使って人々が権利を擁護し、実現し、時には政府をコントロールできるということが、「法の支配」が誕生していくプロセスです。そういう意味で、お二人が感じ取られた変化というのは大事な点だと思います。

おそらくこれから法律が普及し、それを裁判所で裁判した結果、判例を市民に公開し、市民がそれを使って自分たちの権利を法によって擁護する方向へと徐々に前進していくのだと思います。

日本を相対化して見る視点

松尾 法整備支援をすることによって日本に何かメリットがあるんですかと、私はよく聞かれます。「それは当然ありますよ」というのが私の答えですが、お二人は、自分にとって何が一番勉強になったと思われますか。

長尾 曲がりなりにもネパールで民法典という法典を一から制定する作業に関与することができたことは、本当に弁護士としては得がたい経験だったと思っています。もちろん日本でも頻繁に民法の改正はありますが、一から民法典をつくるということはもう二度とないはずですし、他の国で民法典をつくる経験ができたことは、一弁護士としては非常に貴重な経験でした。

1つ法律家として言えることは、他国の法律をきちんと学ぶと、自分の国の法律の特色や、改正の余地がある箇所が非常によくわかります。

司法試験の際には、やはり試験範囲を必死に勉強するだけで、日本の民法を勉強して、民法とはこういうものだと、気づかないうちに思い込んでいました。でもアメリカのロースクールに行って、例えばアメリカの契約法や不法行為法を学び、やはり日本の民法と違うところもあるなと思い、そこで1つ開眼した。さらにネパールで民法典をつくることに携わってまた1つ開眼するという感じで、日本の法律は1つのかたちに過ぎないと分かったことが非常に大きな経験だったと思います。

もちろん日本で弁護士をやる以上はその民法に従いますが、必ずしもこれが最適解ではないかもしれないと思いながら活動できるということは、非常に有意義なことではないかと思います。たぶんそれは法律家としても刺激になると思いますし、日本の法律の改正を考える上でも、なにがしかの貢献ができる時がきっとめぐってくるのではないかと思います。

入江 私も長尾さんがおっしゃった通りで、日本の法制度を客観的に見つめ直す機会を得られたということが一番大きかったと感じます。それは、その後のキャリアにも生かせるのではないかと思います。法律が社会の中でどういう機能を果たしているのか、法とは何か、ということを考える機会を得られます。

法務省からの出張でラオスにいらした方が、「ラオスの坂本龍馬に会えるというのが法整備支援の一番面白いところだ」とおっしゃっていました。まさにこれから国がつくられていく中で、意志ある若い人が、世界に誇れるラオスの民法典をつくるんだ、という心意気で活動している。彼らの熱い気持ちを肌で感じながら一緒に活動できることが専門家としての醍醐味と思います。

松尾 非常に実感のこもったメッセージですね。私も全く同感で、今まで当然だと思っていたことが決して当然ではない、他の解もあるという場面によくぶつかるんですね。社会の中に根付いているルールには必ず「理由」があるはずで、その理由を考えるとそのルールが何らかの合理性を持っていることに気づかされます。

そういう中から、より普遍性の高いルール、普遍性の高い法理が見出されるのだと思います。こういう条件の下ではこのルールが合理的だけれど、少し条件が違えばまた別のルールのつくり方がある。そういう発見を蓄積していくことが、法律学の発展にとって大事なことなのだろうと思います。

「法の支配」の浸透を目指して

入江 法整備支援の究極の目標は、松尾先生が提唱されている、「法の支配ユビキスタス世界」を実現すること、というのが最もしっくりきています。いつでもどこでもすべての人が法の支配の恩恵を受けられるようにするということ、その実現に向けて歩みを進めていくことが重要なのだと思います。

松尾 最後にその点を共有できればと思っていました。例えば、空気を吸うことは、どこの国に行ってもほぼ同様にできると思いますが、法的なサービスや権利保護を受けることは、どの国にいるかで非常に大きく違ってきてしまう。

私は2009年の著書で、法の支配の構築を通じて、いつでも誰でもどの国でも権利の保護を受けられる状態を「法の支配ユビキタス(遍在)」とし、そうしたグローバルな空間を「法の支配ユビキタス世界」と呼んだのですが、空気を吸うように法の支配を遍在させる国際協力が、法整備支援の最終的な目標であると思います。しかし、なかなかそれを実現するのは難しい。

ではそれをどうやって実現するかというと、いきなり詳しい法律をつくればいいというのではなくて、プロセスを大事にして法律をつくり、それを運用する専門家を育て、専門家の理解や態度が変わり、人々の法制度に対する理解と関心と信頼が増していくことが大切です。

できれば法制度のお世話になりたくない、避けたいというイメージがつきまとっている段階では、法の支配ユビキタスには近づいていかないでしょうから、法改革と意識改革を徐々に徐々に図っていくのが大事だと思います。

そういう意味では法律の専門家だけではなく、法学教育や一般市民への法の教育などにも、法整備支援のフロンティアが広がっていくことが大切だと思います。例えば、大学同士の法学教育の連携や、相手国の留学生を受け入れたり、こちらから学生を派遣したりすることを活発にしていくのも、広い意味での法整備支援の重要な要素になりつつあります。

法務研究科では、2016年から、慶應グローバル法研究所(KEIGLAD)を設置し、「アジア発グローバル法務人材養成プログラム」(PAGLEP)として、東南アジアのメコン地域諸国、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーの6大学と慶應義塾大学で連携して、学生の受入、派遣、法学教育の共同セミナーなどを始めています。長尾さんにも参加してもらい、入江さんにはラオスのプロジェクト・オフィスで研修させていただきました。

こうした様々な窓口を通じて、その意味でのインクルーシブな法整備支援により、「法の支配ユビキタス世界」への地道な活動を広めてゆくことができるように思います。非常に時間のかかることですが、私たちもささやかな寄与ができればと思っています。

今日は、外からはなかなか分からない、その国にいてこそ初めて分かる空気感のようなものも伝えていただき、私も改めて勉強になりました。有り難うございました。

(2021年1月25日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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