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【特別鼎談】アジアにおける民法典制定への国際協力──法整備支援への塾員の貢献

2021/03/24

ネパールでの民法典の整備

松尾 次に、法整備支援の現地専門家として、具体的にどのような活動をし、どういった経験を積み重ねられたのかを伺っていきたいと思います。

私はかねてから、法整備支援は順序とペースが大事だと考えてきました。法制度は非常にたくさんのルールから成っているので、どこからどう手をつければいいのかが非常に難しい。市民の基本的な権利や義務を定めた民法典をはじめとする基礎的なルールをしっかりつくり、それをベースに法整備を進めることが大事です。

そのルールをつくる際に、支援する側は、いきなり「こういういいものがあるから、どうですか」と提示するのではなく、現地の人々が自分たちの歴史や慣習を踏まえて草案を練るプロセスからサポートをしていくというやり方が大事だと思っています。あくまで現地の人々が主体で、それにわれわれの経験も加え、支援していくことです。

しかし、これには非常に時間がかかります。法整備支援は、10年、20年という時間がかかり、なかなか思うようにいかないことも多い。私自身、そういう歯がゆい経験をしてきました。

その中でも、ネパールとラオスは現地の人々が自ら学びながら草案をつくるプロセスに私たちが比較法的な観点も加えてコメントを付し、ざっくばらんに議論をしてルールをつくり上げていく、プロセス志向のスタイルであったと思います。

まず、ネパールでは2017年9月に初めて民法典ができました。これはネパールでは初めての民法典で、かつ南アジア初の民法典です。特にインドに先駆けてネパールで民法典ができたことの歴史的な意味は、非常に大きなものがあったと思います。

ネパールは多民族国家で、かつカースト制度が社会に根深く浸透し、しかも内戦が起こって、急進的なマオイスト(毛沢東主義派)が警察や軍の拠点を襲撃する事件も起こった。2006年の内戦終結後、国民の融和を目指して、制度の再編がスタートしました。

私が最初にネパールに行ったのは2009年1月で、民法典の骨格から議論を始めました。最初の草案が2011年にできたのですが、それを憲法成立前の制憲議会に提出したら、翌年、政党間の対立が止まず、憲法が期限内にできずに制憲議会が消滅するという事態が起こりました。その後、制憲議会の議員の再選挙をやって、新たな制憲議会が2014年に立ち上がり、2015年に憲法ができ、ようやく民法典の議会審議が始まりました。

長尾さんが赴任されたのはちょうどそのタイミングで、ネパール国会の法律委員会との最後の調整の部分を担当されたわけですね。

長尾 ちょうど憲法が制定された2015年9月に赴任しました。ネパールの立法議会(憲法成立に伴い、制憲議会が立法議会へと移行)としても、憲法ができたので、次は民法と刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、そして量刑法と、基本的な法律を制定しよう、というタイミングでの赴任で、それ自体は非常に幸運なことだったと思います。また、2009年頃からの、松尾先生をはじめとするJICAの貢献がきちんと受け継がれていました。

具体的には、すでに国会に提出されていた民法案の総仕上げの段階で、そのお手伝いをすることになったのです。

新しい憲法ができたことで、これから国づくりをどんどん進めるぞという空気が盛り上がっていました。国づくりにあたっては、新しい憲法にも書かれたインクルーシブ(包摂的、誰も取り残さない)という考えが基本となっていました。ネパールはいろいろな民族やカーストがあり、男女間の格差もある。そこで、とにかく国づくりに当たってはインクルーシブが大切だという雰囲気が、少なくとも建前上は、大いに強かったと思います。

松尾 ネパールの新しい民法典の特徴をどう思われますか。

長尾 民法典、刑法典と呼ばれるものは確かにネパールに従前はなかったのですが、150年ぐらい前にできたムルキ・アイン、日本語で言うと「国法」と呼ばれる、民法、刑法、民訴法、刑訴法がゴチャッと一体になって、かつカースト制度も反映された法律があったんです。

基本的にネパールの裁判所はそれに基づいて裁判をしていたのですが、やはり現在の社会にそぐわない規定も多く、全然使われていない条文もあったし、私が英訳を見ても良く理解できないようなところもある。それで近代的な民法、刑法、民訴法、刑訴法が必要だということで、内戦終了後に新しい法律をつくることが決定されたという経緯です。

ですので、新しくできた民法典も6割はそのムルキ・アインを引き継いでおり、3割が蓄積されたネパールの裁判例、残りの1割が他の国から学んで取り入れたこと。大体そのような構成でできているということです。

ネパールの各都市を巡回

長尾 草案の総仕上げに当たっては、インクルーシブの観点から、首都カトマンズの、いわばエリートの国会議員、裁判官、検事、弁護士といった人たちだけではなく、ネパール各地を津々浦々回って皆の意見を聞くべきだということになりました。

そこで、ネパールの16の主要都市を立法委員会の議員が実際に訪問し、現地の裁判官、検事、弁護士、警察官や地方公共団体の職員、NGO職員、メディア関係者などの参加を得て、法案に対する意見を聞きました。

正直に言うとネパールの地方出張というのは非常に大変で、私にとって苦労が多いものでした。しかし一番楽しくて成果があったと言えるのもまた、その16の都市への出張に同行したことだと思います。なぜかと言えば、先ほど松尾先生が法整備支援は目に見えにくい支援だとおっしゃったのですが、上手くやると顔が見える支援にもなることがわかったからです。

松尾 なるほど。

長尾 JICAネパール事務所の企画調査員の方から、「長尾さんみたいに各地について行くことは、顔の見える支援の最たるもので、今後のモデルの1つになると思います」と言っていただき、これには嬉しくなりました。

私は同行して法案に何か意見するわけではないのですが、内政干渉にならないように注意しながら、日本による支援のプレゼンスを見せるだけでも、非常に効果があったかなと思います。

そんなに頑張っているなら、ということで、情報も共有してくれるようになり、カウンターパートとの信頼関係も深まっていったように感じています。出張を通じて顔を突き合わせてご飯を食べたり、車で移動したりしながら人間関係を築いていったことは非常に楽しかったし、おそらく専門家として存在意義を発揮できたところかなと思います。

お蔭で、法案がいよいよ国会に提出され、JICAとしては見守ることしかできない時期になっても、情報は頻繁にアップデートしてくれたので、タイムリーに松尾先生やJICAの方にもお伝えすることができ、非常に良かったなと思っています。

松尾 ネパールは急進的な共産党毛沢東主義派から統一マルクス・レーニン主義派、会議派、さらには少数民族を代表する政党と、政党対立が激しい。その中で、民法案を立法委員会の中で議論する時に、共通に受け入れてくれる問題とそうでない問題があります。

党による意見対立、あるいは男性・女性の立場の違いもあるでしょう。そのあたりの委員会での議論の調整にかなり苦労されたのではないかと思うのです。立法委員会の委員長は、主流派の政党所属ではないですね。

長尾 そうです、タルー族という少数民族の女性の議員でした。

松尾 長尾さんが立法委員会のメンバーと緊密な連絡をとってくださったことは、法案を取りまとめる上でもすごく役に立ちました。その意思疎通の良さは、普段からの地方での地道な活動がベースになっていたのだと、お話を伺って納得がいきました。

私が最初にネパールに行った時も、カーストが違うと普通は同じ部屋の中で食事をすることもなかった。ある少数民族出身の国会議員が、食事中、突然立ち上がって、「自分は生まれて初めてカーストの違う方と同じ部屋で食事をした。今日は私にとって非常に記念すべき日だ。この喜びを皆さんと分かち合いたい」と演説されたのです。そういう伝統の中で合意を形成するのは非常に難しいことだと思います。

長尾 民法、刑法などの制定を担っていた立法委員会の主要メンバーの多くは、政党や民族は別々でも、弁護士資格を持っている人でした。なので、もちろん議会の中では意見の対立があると思いますが、民法や刑法というのは基本的に政党の対立を超えた普遍的なルールであるという共通認識をお持ちだったので、日ごろの法案の検討において政党の対立が表れることはあまりなかったように思います。

また立法委員会全体としても、この5つの法律を通すことが重要で歴史的なことだと考えていたので、基本的には制定に向けてあまり大きな対立はなかったように思います。

ただ、この民法典で初めてネパールに導入されようとしていた遺言についての条項を削除するか残すかでは、女性議員や女性弁護士からの強い反対もあり、最終的に政治的な話し合いの結果、削除されました。男女間の対立や政党の対立が顕在化して、成立するかしないかの瀬戸際に追い込まれたということはありました。

松尾 ネパール民法典には不法行為と不当利得という制度が初めて入りましたね。

遺言に関しては草案にはあったものの、最終段階で一章丸ごと削除ということになった。これは、民法典を通すためには涙を飲んで削らざるを得ない状況だったのだと思います。やはり女性団体にとって、遺言制度を運用した時に、男女の格差の是正がどう図られるかということに対する危惧が大きかったのでしょうか。

長尾 そのように聞いています。せっかく憲法で初めて男女平等が謳われたのに、遺言制度で親の意思でどのように子ども達に財産を相続させるかを決められるとしたら、やはり長男にばかり財産がいってしまうだろうという懸念が噴出したようです。もちろん遺留分のような制度も入っており、制度の趣旨を理解しないわけではないけれど、少し早すぎるという意見が主流だったと聞いています。

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