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【講演録】福澤諭吉と経済という言説──新旧両理念のはざまで

2021/02/10

経済人・福澤の二面性

以上の考察を踏まえて、まとめに入りたいと思います。本日のレクチャーには2つの目的がありました。1つは経済に対する新旧両理念について福澤諭吉がどのように考えていたかを明らかにすることです。これについては、福澤はやはり2つの理念の中で非常に揺れ動いていたというのが、私の暫定的な結論になります。

これまで再三名前を挙げてきた玉置紀夫先生は、福澤が事業家であるということを、われわれがこれまでそういう目で福澤を見てこなかったという反省に立脚して述べています。玉置先生は、私たちが学んでいる慶應義塾という場所もまた彼の事業であるという見方を出されました。そして、慶應義塾はもちろんのことですが、丸善や横浜正金銀行、さらに三菱と福澤との関わりなどについてもご著書で言及されてきました。

玉置先生が事業家としての福澤を強調される一方で、平野隆さんは、『近代日本と福澤諭吉』所収の興味深い論考によると、福澤の言う経済人とはつまり士族学者であったということを強調しておられます。これは私の今日のレクチャーにも非常に深く関わる論点ですので、平野さんの研究に依拠しつつ少し論評させていただきます。

福澤は商人、あるいは実業人とはどのようなタイプの人間が望ましいか、ということについて色々と述べていますが、とくに強調しているのが士族であることでした。明治期に士族の商法というものは揶揄の対象になっていましたが、福澤はある意味で士族の商法で構わないと言っています。教養のある書生が──この“教養がある”という点が重要だと思いますが──、実業界の中に入っていき経営に関わるのは望ましいことではないか、と強調します。

ただ、士族ということに限定せずに、福澤の経済全般に関する言説をまとめてみると、これまで見たように彼自身のエートスはおそらく非常に振れ幅があり、新旧両理念のどちらにも振れていたのではないか。

彼は投資や資金の運用には比較的頓着しなかったと自分で述べていますし、簿記や財務の実際については大局を理解するのみに過ぎず、細かい話は自分では理解しなかったというのも見てきたとおりです。これらはどちらかというと、経済というものと一定の距離を保ってきたということを如実に示しているのではないかと思います。

では、玉置先生が指摘したようなアントルプルヌールシップ(起業家精神)を福澤が強調したことが間違いかと言うと、私は必ずしもそうとは考えていません。先ほど、福澤が委託取引やコミッションについて語っている部分を具体的に引用しましたが、「官商の分れ目だ」などと言っていることからもわかるように、商売をする場合は商売に徹しなければいけないということも強調している。こうした論述も非常に見事なものであると私は思います。

それから、出版業を興すに当たってもやはり福澤は成功したと思いますし、版元との関係においても、新しいビジネスモデルを提案したのではないかと私は考えています。

このように、福澤は新しい理念についても自らのアントルプルヌールシップを見事に示したと考えることができるでしょう。福澤が述べたことや書いたものを紐解くと、経済という学問に対する新旧両理念が彼の中に同居していたことがはっきりと見て取れます。

福澤にとっての経済とは

私が本日のレクチャーで明らかにしたかったことがもう1つあります。それは福澤にとって経済という言説はいったい何を意味していたのかということです。こちらの問いは新旧両理念の問題とは少し異なり、非常に漠然としたものです。福澤はもちろんウェーランドの経済書を読んでいましたし、『The Elements of Moral Science』(『修身論』)にも関心を持っていました。経済学に触れ得なかったわけではありませんし、ウェーランドたちから様々な経済思想を一定の範囲内で学んでいることは事実です。

しかし、ここまでの引用で示してきたとおり、狭い意味での経済学的な言説だけではなく、簿記や会計、財務のような広い意味では経済に関係がある言説が福澤の思想の中に占める割合は低くはなかったのではないかと思います。

例えば、『学問のすゝめ』14編「心事の棚卸」の部分の福澤のレトリックというのは、貸借対照表の右左に重ね合わせて私たちの「心事の棚卸」をしなければいけない、こうした考え方にもとづいて私たちは人生を毎週、毎月、毎年再検討、反省しなければいけないというものでした。福澤がここで示した簿記のレトリックはたいへん鮮やかなものだと私は思います。

すると今度は、簿記・会計のどのような側面に彼が注目したかが重要になってきます。会計とは、企業の活動結果を金銭の収支によって表す、所謂アカウンティングですので、「外部の人間に対して会社のパフォーマンスを明記する」のが一番重要なファンクションということになります。しかし、見ている限り、その点についての福澤の認識は比較的希薄で、それほど重視してはいないように私には感じられます。

では、福澤にとって何が本質的だったかというと、簿記や会計の中に現れている管理会計的な側面に一番魅かれたのではないか、というのが私の考えです。会計には財務会計と管理会計がありますが、管理会計の方は基本的にビジネスの内側の話となります。つまり、どういう形で経営上のメリットを生かし収益を上げられるかということを、会計の力を借りて明らかにしようとするものです。現代の用語で言えば、ビジネスアカウンティングということになります。福澤にとっての簿記や会計とはビジネスアカウンティングの側面が非常に強かったのではないか。

したがって、福澤の経済的な言説に関する私の2番目のアジェンダについての暫定的な結論は、福澤はいわゆる経済学だけではなく、簿記や会計的な発想、あるいはそれに立脚した広い意味での管理会計的な発想にも影響を強く受けたのではないか、ということです。

以上、私のつたない福澤読解の結論とさせていただきたいと思います。ご清聴有り難うございました。

(本稿は、2020年12月2日に行われた福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会での講演をもとに一部を加筆修正したものである。福澤の著作引用は『福澤諭吉著作集』(慶應義塾大学出版会)による。当日の話は、福澤と経済学との距離を強調し過ぎたきらいがあり、その点は成稿にあたり改めた。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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