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【講演録】福澤諭吉と経済という言説──新旧両理念のはざまで

2021/02/10

委託取引あるいはコミッションと福澤

さて、もう少し踏み込んだ話に入ります。次に引用するのは、「コンミツション」、つまり手数料=コミッションの話です。

「今度の一行中にも例の御国益掛(ごこくえきがかり)の人が居て、その人の腹案に、今後日本にも次第に洋学が開けて原書の価は次第に高くなるに違いない、依(より)て今この原書を買て持て帰て売たら何分かの御国益になろうと云うので、私にその買入方を内命したから、私が容易に承知しない」

ここは私がとくにおもしろいと感じた部分です。「御国益掛」と言われているのは、旧幕時代、国の財政のために様々な事業をしている役のことです。事業が大きくなれば国営の産業に発展するわけですが、福澤が述べているのはスケールの小さな話です。これは3回目の洋行、アメリカ行きの際の話ですが、御国益掛が言うことには、これからは洋学の時代になるから原書の値段もどんどん上がる。それならば、福澤やその友人たちに、原書を買ってこさせ、高く売れば御国益になる、国の財政状態の助けになると言うのです。

この御国益掛に対する福澤の返答の仕方が非常に興味深く、また見事です。ここからは、彼が委託取引、つまりコミッションについて、深く理解していたことが窺われます。

「左(さ)すれば政府は商売をするのだ。私は商売の宰取(さいと)りをする為めに来たのではない、けれども政府が既に商売をすると切て出れば、私も商人になりましょう。左る代りにコンミツション(手数料)を思うさま取るがドウだ。何(いず)れでも宜しい、政府が買た儘(まま)の価で売て呉(く) れると云えば、私はどんなにでも骨を折て、本を吟味して値切り値切て安く買うて売て遣るようにするが、政府が儲けると云えば、政府にばかり儲けさせない、私も一緒に儲ける。サア爰(ここ)が官商の分れ目だ。如何で御座る」

意味はほぼ明確だと思いますが、念のために補足すると、最後の「官商の分れ目」「官」は官界、つまり政府の世界ですね。「商」は商売の世界ということで、福澤は御国益掛に向かってそれをはっきりと分けてほしいと言っています。

政府が政府としての仕事をするならば、買い付けてきた書物は原価のままで売る。しかし、幕府や政府の役人が100円のものを150円で売ろうと考えているのであれば、自分にも考えがある、と。つまり、その場合に自分はエージェントになるという話をしています。代理として買い付けに行くのだから、当然エージェントの手数料を取りますよという話です。政府の仕事と言うなら、自分もできるだけ安く原書を買ってこよう。その場合は同じ価格で売ってほしい。ただし、政府が商売するつもりならば、こちらも商売するというわけです。最後の部分は福澤流の啖呵(たんか) を切っているところですね。ここが分かれ道だ、どちらにするのかと迫っている。

福澤がこうした考え方をどこで仕入れたのかはわかりませんが、この部分を読むと福澤の身の内には委託取引や委託販売、コミッションに関する考え方がかなり浸透している感じを受けます。手数料の考え方を理屈として知っているというだけではなく、エージェントはコミッションを取るのが合理的であり、それが正しいやり方だという経済的なロジックをよくわかっていた。だからこそこういう啖呵が切れたのではないかと思うわけです。

福澤の出版事業

最後に取り上げるテーマについて、とくに引用は示しておりませんが、ここでは新旧理念のうちの新理念に関わる点として福澤と出版業との関わりを挙げたいと思います。玉置先生がご著書の中で、福澤はやはりアントルプルヌールであると主張されたことは、一面では非常に正しい理解であったように思います。他方で、「何か入組んだ金の事はみんな人任せ」と言うように、福澤の中には経済運営、とくに財務や投資運用に対する若干の無関心も窺われます。

そういう新旧両理念が入り混じる福澤にとって、自分の一生の中では事業として成功した、あるいは自分なりに一生懸命やった、と例に挙げているものがある。それが出版業です。

福澤の出版業についての研究はすでにたくさんありますし、どのようなお金勘定で収益を上げるに至ったかもある程度わかっていると思いますが、概略だけをごく簡単に説明しておきましょう。『福翁自伝』でも述べられていることですが、福澤が出版事業を始めた当初は版元の権利が非常に強い時代で、著作者が所有する権利はきわめて限定的でした。具体的に本を作るという時には、今のシステムとは違い、版下を書いたり、版木彫りや版摺を担当したりする職人や、それを形にするための膨大な紙が必要でした。

福澤はこれらの諸権利を版元からある意味で奪いとり、著作者たる自分の手中に収めたと『自伝』に記しています。紙はお金を払って買えば済む話ですが、ここで重要なのは版木、版摺を担当する職人です。彼らは当時本を作るノウハウを持つ限られた存在でした。そこで福澤は、自ら職人を雇用するところから出版に関わり始めました。どのような形の本を作るのであれ、こうした職人をまず自分の下に抱えなければいけないことに気がついたわけです。

こうした活動は、現代流に言うと出版社を興すことに近いでしょう。当時は紙を買うのも、職人を雇用するのも、『福翁自伝』の表現を使えば「書林」が全て統括していました。福澤がかなり強引に職人を雇用し、大量に紙を仕入れてまで自分で出版を始めるに至ったのは、当時、自分たちのような書き手の権利が、経済的な価値として正当に守られていないと強く考えてのことだったと、後の研究で明らかになっています。

福澤の試みが特徴的だったのは、従来の書林を販売のエージェントに変えてしまったところにありました。出版社を著者のエージェントにすることで、著者の権利を強めたと言えるのではないかと思います。これは、福澤が併せ持っていた新旧両理念の中でも、新しい理念に対して非常に積極的な対応を示した部分です。福澤自身も『福翁自伝』の中で、出版は自分の事業家としての才能を示した部分であるといったことを記しています。

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