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【講演録】福澤諭吉と経済という言説──新旧両理念のはざまで

2021/02/10

  • 池田 幸弘(いけだ ゆきひろ)

    慶應義塾大学経済学部長、同教授

福澤諭吉の経済観

本来5月に行われる伝統あるウェーランド経済書講述記念講演会ですが、ご承知のようにコロナ禍ということで、たいへん異例ながら12月のこの時期に行うことになりました。非常に寒い中、お越しいただき誠に有り難う存じます。本日は福澤諭吉の経済に対する処し方、論じ方を中心に私の考えを述べてみたいと思います。

福澤諭吉は言うまでもなく、その生涯の前半が江戸幕末期、後半が明治期に重なる啓蒙思想家でした。18世紀ヨーロッパの啓蒙思想家の人々がそうであったように、福澤もきわめて多様な関心を持っていました。自然科学では物理学──福澤の呼び方では窮理学、医学、社会科学では法制度、政治制度、さらに経済現象、会計など興味は多方面にわたりました。彼は非常に大局的な関心を持った人物でしたので、個々の分野にこだわらず、いわば学問の大道を示すのが福澤の企図するところでした。

しかし、ご承知のように、学問分野というものはその後、極端に細分化が進み、今では学者の間には高いバベルの塔がいくつもそびえ立っています。このことは、私たちが福澤を読む際にたいへん大きな障害になっていると言わざるを得ません。現代の研究者はこのようなバベルの塔を前提にして、福澤の提起した問題にそれぞれ接近せざるを得ない現状があります。これはもはや私たちの宿命として回避できないものですし、今日もやはりこのような前提の下での話になります。しかし分析の射程はできるだけ大きく取り、経済の概念を広く捉え、簿記や会計、経営なども含めて経済という言説を扱っていければと考えています。

この論題にはすでにたくさんの研究成果があります。ここではその一部に触れるのみに留めますが、中でも故・玉置紀夫先生、小室正紀さん、平野隆さんのご研究はたいへん優れた成果と言えるでしょう。

玉置先生の著作『起業家福沢諭吉の生涯』(有斐閣、2002年)のサブタイトル「学で富み富て学び」は、福澤が甥である中上川(なかみがわ)彦次郎に宛てた書簡の中で用いた言葉として知られています。玉置先生のご研究は、学問というものと富裕への道は決して矛盾するものではないという、当時、新しい考え方を提起したこのスローガンを導きの糸に、「アントルプルヌール(起業家)」としての福澤を鮮やかに描き出しました。

小室さんは編著書である『近代日本と福澤諭吉』(慶應義塾大学出版会、2013年)の中で、一身独立のための雇用の維持というものが、福澤の経済問題の1つのコアになっていると指摘されています。また、平野さんは同書所収の論考で、「士族学者」という立場の位置づけに着目しています。この点は今日の私の話とも関わってきます。

ただ、最初に申しておくと、私はこのお三方とは違い、経済問題に関する福澤の発言や時事新報の社説などの詳細に踏み込んで論じる準備がありません。今日は、多くの方がご存じの2つの著作『学問のすゝめ』と『福翁自伝』から見て取れる福澤の経済観に絞って話を進めたいと思います。

経済の定則と商売の法

まず導入として、『学問のすゝめ』からよく知られた初編の一節を引用します。

「譬(たと)えば、イロハ四十七文字を習い、手紙の文言、帳合(ちょうあい)の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進て学ぶべき箇条は甚(はなはだ)多し」

ここに登場する「帳合」とは「簿記」のことです。また、『学問のすゝめ』の中で経済に関して述べた部分として、5編ではアダム・スミスの名前が登場します。「始て経済の定則を論じ、商売の法を一変したるは『アダムスミス』の功なり」という一節です。福澤がアダムスミスを紐解いたという証拠は残っていないと思いますが、もちろんウェーランドの著述にはアダム・スミスについて記された箇所がありますので、福澤がウェーランドの書物を通じてアダム・スミスの名前を知ったことは十分に考えられます。

この短い引用を私なりに分析すると、ある疑問が浮かびます。それは「経済の定則」は経済の法則だと思いますが、「商売の法」というのが何を指しているのかということです。経済の法則についてすでに触れられているので、「商売の法」が経済法則を含意したものであると解することはできません。つまり経済の法則と商売の法は別のものであると言っている。

そうすると、福澤の言う「商売の法」とは「帳合」同様、簿記や会計などを念頭に置いて用いた言葉なのではないかと思います。そして、簿記、会計の中でも、ある種の管理会計的な発想がそこに現れているのではないか、というのが私の解釈です。あるいは「商売の法」をめぐる解釈がもう1つあるとすれば、法というものを「法律」、「法体系」と受け取り、現代の「商法」もしくは「会社法」の類と捉えることができるかもしれません。

しかし、そのいずれにおいても、「アダム・スミスが商売の法を一変させた」という解釈は成り立たないようにも思います。

垣間見える旧理念

「商売の法」については一旦置いて、『学問のすゝめ』10編に歩を進めます。10編はわかりやすく言うと、ヒューマン・キャピタル・インヴェストメント(人的資本投資)の話です。例えば、勉学に励むときにどれほどのお金が必要となり、その中で収益というものをどう捉えるかといったことが論じられていますが、次に引用するのは、洋学者が学業をし終えた後、安易に仕事に就くのをたしなめている一節です。

「筆端少しく卑劣に亘り、学者に向て云うべきことに非ずと雖(いえ)ども、銭の勘定を以てこれを説かん。学塾に入て執行するには一年の費(ついえ)百円に過ぎず、3年の間に三百円の元入(もといれ)を卸し、乃ち一月に、五、七十円の利益を得るは、洋学生の商売なり」

ここで言われる「元入」は資本投下を指しており、50円、70円が収益に当たります。つまり、資本投下に対してどれだけの収益がもたらされるか、ということを問題にしているわけです。

しかし、私が問題にしたいのは資本投下の話ではなく、冒頭の福澤の文章の始めの「筆端少しく卑劣に亘り、学者に向て云うべきことに非ずと雖ども」と但書を付けている部分です。ここで福澤は、いわゆる金勘定の話は学者にする話ではない、とまで言っている。本日のレクチャーには「新旧両理念のはざまで」というサブタイトルを付けていますが、この1文は、啓蒙思想家としての福澤が「旧理念」というものから必ずしも自由になれていないことを示す証拠になるのではないかと考えています。

続いても『学問のすゝめ』からの引用です。14編の「心事の棚卸」と題された文章です。

「売買繁劇(はんげき)の際に、この品に付ては必ず益あることなりと思いしものも、棚卸に出来たる損益平均の表を見れば、案に相違して損亡なることあり、或は仕入のときは品物不足と思いしものも、棚卸のときに残品を見れば、売捌に案外の時日を費して、その仕入却(かえっ)て多きに過たるものもあり。故に商売に一大緊要なるは、平日の帳合を精密にして、棚卸の期を誤らざるの一事なり」

福澤は「心事の棚卸」の他の箇所でアメリカの思想家ベンジャミン・フランクリンの名前を明示的に挙げています。この14編の趣旨は、私たちの日常生活というものはとても簡単に日々が過ぎ去ってしまうので、日単位あるいは週単位、月単位で棚卸をしなければいけない、ということです。これは財務諸表で言えば、貸借対照表の右左の比較をわれわれは常に怠ってはいけないという意味に翻訳できます。ここで福澤が使っているレトリックはブックキーピング(簿記)についてであって、決して経済学についてではありません。

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