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【講演録】子どもを育む遺伝の力、環境の力

2020/04/14

遺伝の力

遺伝の力は「守る力」、環境の力は「育む力」

人の一生において遺伝と環境、どちらの力が強いか。生まれて間もなくは、ほとんどのことが遺伝子の力で決まっています。一方で環境の力は、赤ちゃんの時はさほどではないけれど、だんだん強くなっていきます。高齢期になれば、それまで積み重ねてきた経験、知識、努力の結果が日々の生活や人生を作っています。

胎児の環境は、妊娠中のお母さん、お父さんの最大関心事の1つだと思います。結論を言うと、胎児は、ほぼ100%遺伝子の力で守られています。お腹の中で赤ちゃんの体が作られ、機能が宿っていく過程に、環境要因がやすやすと影響を及ぼすことはできないのです。ですから、大量の放射線に被曝するとか、極度の暴力やうつ状態に苛(さいな)まれ続けるような場合は別として、お母さんが出産を楽しみにして普通に生活しているかぎり、そうそう間違ったことなど起きません。これは、本日の私の大変重要なメッセージです。

実際にあったお話をご紹介しましょう。ある赤ちゃんは、残念ながら歩くのが遅かった。保健所で、「脳性麻痺の疑いがあるから、大学病院で調べてもらうように」と言われました。診察してみると、確かに軽い脳性麻痺でした。ご両親に伝えると、「何か原因があるはずだ」。すると、おじいちゃん、おばあちゃんが「妊娠中に、安定期だからと、飛行機に乗って里帰りしたのが原因じゃなかろうか」と。

しかし、それは事実無根です。遺伝というと、多くの人々が、「一生、治らない」「努力してもムダ」といった負のイメージを抱くようですが、実は、その「変わらない」ことによって、胎児期を含めて我々を守ってくれています。妊娠初期にアルコールを少々飲もうが、飛行機に乗って旅行しようが、胎児には一切影響しません。その場で医師に訊いていただければ「関係ないですよ」とお話しできるのですが、「あれだったね」「内緒にしておこう」と家族内の合意になってしまうこともしばしばです。

この話で一番気の毒なのは、お母さん自身が「自分が飛行機に乗ったせいだ」と思い込むことです。母性とは、そういうものです。子どもに起こる不幸や困難のすべてを母親である自分のせいにするという、切なく温かい本能です。その誤解を何とか解きたいと思い、私は小児科医をしてきました。

遺伝の力について、変わらないということに加えてもう1つ大事なのは、特に赤ん坊の成長や発達においては、実際に何かを体験すること、努力することを前提としていないということです。笑うとか、2本の脚で立つとか、私たちは誰に教わるわけでも、経験から学ぶわけでもありません。人間が生きていくうえでどうしても必要な力は、遺伝子が準備したシナリオに沿って必ず獲得されていくのです。

それに対して、家庭や学校などの環境は、変化に富み、不確かで流動的です。だからこそ「環境の力」は「育む力」になるのです。そして、遺伝と決定的に違う点は、環境がその力を発揮するためには、必ず実際にそれを体験してみる必要があるということです。

遺伝子は体験せずともそこにあり、変わらず私たちを守る。環境は体験してこそ力を発揮する。この2つの力がバランスを保ちながら、子どもを守り、育んでくれるのです。

遺伝子の仕事は、タンパク質を作ること

さて、人間は約2万個の遺伝子を持っていますが、これは下等動物や植物より多いというわけではありません。では、2万個の遺伝子は何をしているのでしょう。ほとんどすべての遺伝子は、それぞれがタンパク質を作るための設計図です。アミノ酸をいくつもつなげてタンパクを作る。

タンパク質の特徴は、必ず3次元構造を持っていることです。そして、このタンパクとこのタンパクが組み合わさり動くことによって筋肉細胞を作るとか、これらのタンパクが組み合わさると、プラスイオンが流れ込んで電気を起こし神経細胞ができるとか。正しい形を持ったタンパクを無数に作り、正しく形が作られたところに機能が宿ることによって我々の体はでき上がっているのです。

先ほど「形態形成と機能獲得」というお話をしましたが、その過程はまさに遺伝子のシナリオに従って設計図どおりのタンパク質を作り、そこに機能が宿る過程と言えます。私たちは遺伝子が決めた設計図どおりに体を作り、人として必要不可欠な機能を獲得して生きていくのです。

個性とはバラツキである

ここで、2つのグラフをご覧ください(図表1)。7本で1束となった曲線が3束あります。いずれも1歳から18歳までの男子の成長過程を示したもので、左図の上が身長、下が体重、右図が頭囲の正常値を描いています。このように7本の線があると、真ん中の平均値が正常で、そこから上下に離れるほど異常だと受け取られがちですが、それは大きな誤解です。両矢印で示された範囲、つまり7本全部が正常値なのです。もちろん、たくさん食べれば太り、栄養が足りなければ痩せるという具合に、環境の影響を受ける場合もあるのはご存知の通りです。

図表1 身体が形作られる過程(成長)

身長、頭囲、そしてある程度は体重も、成長に関する多くの部分が遺伝子で決まっているのですが、その遺伝子の守備範囲は意外に広い。正常なものには必ず「バラツキ」があって、それを個性と呼ぶわけです。この個性が、病気、異常と勘違いされないように注意が必要です。私たち医師も専門家として、正常な範囲のお子さんには「個性の範囲です」とはっきり説明する義務があると思うのです。

次に、機能が宿る過程、「発達」のバラツキを見てみましょう(図表2)。グラフの横軸は生まれてからの12カ月を表し、右肩上がりの直線はその間に赤ちゃんが獲得する機能を示しています。これは、私が医学部の授業で必ず使う図で、医師国家試験に出るほど重要なものです。たとえ小児科医にならなくとも、医師ならば誰でも、生まれて12カ月間の子どもの発達ぶりを理解している必要があるのです。

図表2 機能が宿る過程(発達)

12カ月のところを見ると、「有意語」「たっち」「母指対立」と書いてあります。有意語とは「意味のある言葉」を言えることです。ご飯のことを「まんま」と言ったり、アンパンマンのことを「ンパ」と呼んだり。正確である必要はなく、その子にとっての呼び名として、意味のある言語が獲得されるのが、およそ12カ月目です。

「たっち」とは2本の脚で立ち上がることです。つたい歩きから、初めて手を離して2本の脚で立った時の子どもの笑顔。「にこ~っとして、やったという顔をした」。多くのお母さんが幸せそうにお答えになります。その瞬間は、お母さんにとって一生忘れられない記念日です。お母さんは、そういう瞬間をみんな覚えているから、育児のご苦労も報われるし、幸せになれるのですね。

「母指対立」とは、親指と人差し指を使って小さな物をつまむことです。コップなど大きなものであれば鷲づかみできますが、落ちている髪の毛を拾おうと思ったら、親指と人差し指を対立させて、ピンセットのようにつままなければなりません。これは人間にしかできないと言われており、1歳前後でできるようになります。

つまり、人間は「言葉によるコミュニケーション」「2足歩行」「手の微細運動」という他の動物にはまねのできない3つの能力を、生まれてからおよそ12カ月で獲得するのです。その過程は段階を追って起こっていきます。「たっち」であれば、3カ月前後で首がすわり、半年くらいでお座り、9カ月頃につかまり立ちができて、1年経つと2本の脚で立つ。

ここで強調したいのは、斜線上の横向き両矢印です。誰もがぴったり3、6、9、12カ月で次のステップに進むのではなく、子どもによって時期が異なり、そのどれもが正常だということです。つまり、図表1でご紹介した成長と同じように、発達においてもバラツキ、個性が織り込まれているということです。

さらに、この横幅が右上にいくほど広くなっています。つまり、「首がすわる」とか「手をパーに開く」など簡単なことは3カ月プラスマイナス1カ月程度でできるようになりますが、2足歩行となると数カ月の幅がある。これらはもちろん、すべて正常です。発達過程では、高度な能力ほど、できるようになる時期の個人差が大きくなります。

発達過程におけるバラツキも、ほとんどが遺伝子で決まっています。ですから、むりやりお座りをさせたりしても、その後の発達が早く進むということはありません。また、早くお座りができたとしても、運動神経がよいわけではありません。早くできるようになることと、上手にできるようになることとは無関係です。早いも遅いも、すべて遺伝子が決めている正常なバラツキに過ぎないからです。なお、「これぐらい遅いのは大丈夫」「これぐらい早くできることはありますよ」といった判断は小児科医でないと難しいかもしれません。

遺伝子は音符、人は楽譜?

ほぼ同じ遺伝子を持っている人間同士なのに、なぜ豊かな個性が発揮されるのでしょう。ここで、1つひとつの遺伝子を音符に、2万個の遺伝子が作る「人の設計図」を楽譜に見立ててみるのはいかがでしょうか。

例えば、ピアノには88鍵ありますが、88個の音符を使えば、無数の楽曲を作曲できるでしょう。仮に、その中の1つ「G線上のアリア」が人間の設計図だとします。つまり、無数の生物種の中で、人間は皆「G線上のアリア」です。ただし、それを演奏するのはあなた。ある人は、オーケストラで演奏する、ある人は歌う。そうなると同じ楽譜を与えられても、演奏する人によって、まったく違う曲……にはならないとしても、それぞれ変化に富んだ個性溢れる楽曲になるでしょう。

つまり、遺伝子はほぼ同じなのに、身長、体重、あるいは発達過程にもバラツキがあるというのは、同じ楽譜を渡されても演奏者によって曲の印象が大きく異なるものになる、といった程度のことかなと考えています。

一方、楽譜の中である音符が抜けている、楽器で言えばある音が出ない、つまり特定の遺伝子に異常があって生まれてくる赤ちゃんもいます。しかし、人間には、こんな強さもあります。例えば、ピアノの鍵盤の真ん中にある「ド」、これを使わない曲はあまりないでしょうが、この「ド」の音だけが出ないという遺伝子異常があったとします。その他の87鍵は大丈夫。単一遺伝子の異常と呼ばれる状態です。で、どうなるか。「ド」を飛ばして演奏してもそこそこ成り立ちますし、「ド」の代わりに和音を使ったり、編曲したりしても切り抜けられる。遺伝子に異常があっても、問題なく生きていけることは意外に多いものです。

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