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【講演録】戦後日本と小泉信三──没後50年に際して

2017/04/01

『共産主義批判の常識』

『共産主義批判の常識』が書かれたのは昭和24年です。いろいろな雑誌などに書かれたものを1冊の本にしています。これは大変なベストセラーになったのですが、この『共産主義批判の常識』、それから昭和25年の『私とマルクシズム』、昭和26年の『共産主義と人間尊重』といった著書によって、小泉は共産主義、マルクス主義への批判を精力的に展開したのです。

『共産主義批判の常識』は、序にこういうことを書いています。

「マルクス、レエニン主義に対する著者の立場は、既に読者に知られていることと思う。私は多年来反対陣営に属するものと目されている。ただ私は、マルクス、レエニン主義を批判するに方(あた)って何よりも厳正の一事を心がけ、証拠なくして断定することは最も慎んだ。何分本書の如き小冊子では具(つぶ)さに原文を引いて論ずることは出来なかったが、マルクス、レエニンの学説主張は、いずれもその真意を正しく解して取り扱うことを期し、絶えて彼等の不用意の失言に乗ずるということはしてないつもりである。」

これを序に書いたのは、恐らく自分の原則的立場をきちんとしておかなければいけない。逆に言えば、そうではないものがあまりに多いので、それに対する批判でもあると私は見ます。

この『共産主義批判の常識』が書かれた時期はどういう時期だったのか。いまだ日本は占領の真っただ中です。そして片山哲、芦田均の2代にわたる中道左派連立政権がついえ去り第2次吉田内閣となり、この前年の12月の選挙では共産党の議席が4人から35人と大躍進しました。

序文の中でこう書いています。

「本書の本文脱稿と、この序文執筆の今日との間に総選挙が行われ、日本共産党の著しい進出が現れた。この成功は諸般の外面的事情の外、彼等が理論と組織とそうして或る気概とを持つことによることは、何人も認めなければならぬ。私は本書で彼等の奉ずる根本理論の容認し難き所以(ゆえん)を説いたものであるが、しかも彼等に反対する諸政党が、或るものは理論を欠き、或るものは気概なく、而してその国民の前に示す実践行動が総じて卑俗低調の譏(そし)りを免れないことは、如何にも弁護のしようがない。」

それを批判するものが、何とだらしがないことかと書いているのです。歯ぎしりする思いで小泉さんはこの本を書いたのだろうなと強く感じます。

そのように明治憲法下の日本が否定され、共産党が躍進するという大きな時代背景への違和感が、オールド・リベラリストと言われている人たちの中にはあったのです。例えば、南原繁東大総長は天皇退位論を主張するんです。

なぜ退位を主張したのか。それは天皇制打倒を目指しているからではないのです。天皇制を存続させるために今の天皇は退位すべきであるという考えです。美濃部達吉も和辻哲郎もそうです。この人たちは等しく天皇制擁護論です。ところが、この時期に、例えば岩波の雑誌『世界』などで繰り広げられるのは、天皇制に対するより厳しい批判でした。丸山眞男さんなどがそうですね。彼らとオールド・リベラリストは明らかに違う。そういう中、小泉さんは、政治的にも共産党の大きな進出という中で、やむにやまれず書いたのだと思われます。

「万能薬」への疑義

なぜ自分は共産主義を批判するのか、その共産主義反対の理由を非常にわかりやすく書いているのが、『共産主義と人間尊重』という本です。

「第一に、私は生産手段(或いは一切財)の私有を廃止することを、一切の社会悪に対する万能薬(Panacea)と認めない。また、生産手段の公有は歴史的必然の約束だという、形而上学的断定を信じない。第二に、生産手段の公有が仮りに望ましいことであるとしても、その目標に到達するため、階級的憎悪と争闘とを煽るという方法の利害について、甚だしく懐疑的である。否な、増悪と争闘の煽動が人類に齎す恵福は遠くその禍殃(かおう)に及ばないと、私は思う。元来、猜疑と憎嫉は人間の弱点である。その弱点に乗じ、これを煽揚助長して人を動かすマルクシズムを、病人の弱点に乗じて万能薬を売るシャルラタンに比較するのは、失当であるとしても、それによって齎さるる幸福と、それのために忍ばなければならぬ犠牲との比較は、充分慎重でなければなるまい。」

これはいろいろなところに適用可能だと思います。話は全然違いますが、私は、小池都政は改革の自転車操業をやっていると思っています。いつまで続くかなと思っています。ボート会場も結局は元へ戻りました。豊洲市場問題も恐らく豊洲になるでしょう。それ以外に手はない。

小池さんが言ってくれたので、これだけ節約できた。決め方もいろいろ問題があった。それを炙り出した大きな功績があったではないかという見方もあるでしょうね。しかし、お金の問題にしても、この間費やされた費用だって、都庁はこの間これにかかりきりなわけですから、相当なものです。

私がテレビでも厳しく批判したのは、基本的に改革しなければいけないことが間違っているのではなく、そのやり方の問題です。例えば、東京オリンピック・パラリンピックのボランティアの制服を全部見直す、といま見直し検討委員会をやっている。でも、デザインの良し悪しは人それぞれの好みによることでもあるわけです。

これを否定できる根拠はただ1つ、手続きに瑕疵があったかどうかです。若いデザイナーに参加してもらおうと公募して、その中から選ばれたんです。ところが、見直し検討委員会はみんなお年寄りで、孫に見せたら、こんなださいもの着られないと言ったとか批判しているわけ(笑)。正規な手続きでやったものをひっくり返して見直し検討委員会をやる、なんて言っていたらきりがないでしょう。私には非常に疑問があります。

こういうところに小泉信三を持ってくるにはちょっともったいない感じがしますが、思考において小泉信三が批判したものとちょっと似ているのではないか、と思ってお話ししました。

これをやればできるのだという何か万能薬があるかのような考え方に対する疑義ですね。フランス革命でどのぐらいの人間が犠牲になったか。すさまじい数です。そういう犠牲も必要なことだと認めるかどうか。小泉さんは決してそうではなかったと私は思います。革命で失われるものの大きさを考えたのです。それが共産主義批判の本を書いた非常に大きな動機だったのではないでしょうか。

実は、戦前の『マルクス死後50年』と『共産主義批判の常識』等の戦後の共産主義批判の書の大きな違いは、ソ連・東欧が世界の中で大きな陣営になっていくなかで、ソ連・東欧批判にだんだん重点を移して触れるようになっているところです。でも、基本的な認識は同じだったと思います。当時、ソ連も北朝鮮も、まるで天国のようにもてはやされる風潮があるなかで、戦前と変わらず、厳しい批判をしたということは高く評価されなければいけないと思います。

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