【特集:大学発スタートアップの展望】
芦澤 美智子:大学発スタートアップが生み出される環境とは──スタンフォード大学の例から展望する慶應義塾のスタートアップ・エコシステムの将来
2024/05/07
慶應義塾はスタートアップを生み出す場所になれるか
こうした話を聞きながら、私はおのずと、帰国後に着任予定であった慶應義塾について思いをはせるようになった。「慶應義塾は、スタンフォード大学のような、スタートアップを生み出す場所になれるだろうか」と。起業家輩出にとって重要な、キャンパス内外との連携は可能だろうか。研究を起業によって実装しようとする人や、起業家教育を担おうとする教職員はいるのだろうか。研究者や学生が志を持って立ち上がる時、それを受け入れる自由闊達な環境になっているのだろうか。「失敗を許容する」文化はあるのだろうか。ないとしたら、それらをこれから作っていくことができるのだろうか。
慶應義塾に来てまだ半年であるが、今私は、「慶應義塾は起業家を生み出す場所になる」と未来について、楽観的に思っている。それはなぜか。
最も重要なこととして、慶應義塾の創立者である福澤諭吉の掲げた理念が、起業家/スタートアップの輩出に極めて親和性があることが挙げられる。『学問のすゝめ』で福澤は、「わが慶應義塾で、すでに技術としての学問をマスターしたものは、貧乏や苦労に耐えて、そこで得たものを実際の文明の事業で実行しなければならない」「学問で重要なのは、それを実際に生かすことである」といったような内容のことを書いている。まさに「塾生よ起業せよ」と言っているようにも読み取れる。そもそも慶應義塾という大学を立ち上げたことからして、福澤諭吉が起業家精神旺盛な人物であったことがうかがえる。慶應義塾はその福澤諭吉を創立者とし、社中にはその理念が引き継がれている。つまり慶應義塾ほど起業家育成に親和性のある大学はそうそうない、と言えるのではないか。実はスタンフォード大学の創立者の理念もまた、実業を重視しており、そのことが起業家輩出の土台となっていると主張する人は多い。
ある教授は、「創業者のリーランド・スタンフォード氏が『スタンフォード大学はカリフォルニアの経済に寄与する人材を輩出するために設立する』と掲げていたことが、今のスタンフォードの文化の土台となっており、そのことがスタンフォード大学から起業家が多く生まれる今に繋がっていると思います」と述べている。スタンフォード大学と慶應義塾は、似た創業者理念を持つ大学なのだ。
さらには、スタンフォード大学で第10代学長のジョン・ヘネシー教授が起業家育成を重視したように、慶應義塾の伊藤塾長が折に触れて、福澤諭吉の実業家育成への理念、学問の社会実装の手段としてのスタートアップの重要性に言及され、リーダーシップを取っておられる。新しい制度と文化を作っていくには、リーダーの発信・行動の影響は大きい。ジョン・ヘネシー教授が当時何を考えていたのか、以下のような話をされていたのが印象的であった。
「私が工学部長の時に、工学部に起業家教育を担うセンター(STVP)を作りました。スタンフォードの学長に就任してからは、 奨学金制度や大学における学際的研究、学内でのコラボレーションについて抜本的な見直しを行い、変革を実行しました。それらすべては「大学が、社会の最も困難な問題を解決するためにどうしたらいいのか?」を常に考えて実行してきたものです。そして私が学長であった16年の間に、次々とイノベーションを生むためのプログラムが設立され、スタンフォード大学は起業家を生み出す大学として世界的に有名な大学となりました」
伊藤塾長のリーダーシップを得て、慶應義塾から社会にインパクトを与えるスタートアップが生まれる未来、慶應義塾にも多くの起業家育成組織が生まれる未来があるのではないかと思えるのである。
スタンフォード大第10代学長からのアドバイス
既に慶應義塾は、日本でも有数の起業家輩出大学である。大学発ベンチャー企業数は全国3位、資金調達額は1位という実績をあげている。日本政府は2022年に「スタートアップ育成5カ年計画」を発表し、大学発ベンチャーへの支援姿勢を強く打ち出している。慶應義塾には多くのサイエンス、すなわち有力な起業シーズ(種)がある。慶應義塾のキャンパスは、東京や横浜のような、大きな経済圏に隣接している。
つまり、キャンパス内外の境界を越えての連携が進めば、補完的に資源を持ち寄ってして、社会実装が進んでいくであろう。さらに慶應義塾には、福澤諭吉の理念がありリーダーシップがある。スタートアップが生まれる条件は見事に整っているのである。
実は私はジョン・ヘネシー教授に「慶應義塾が優れた起業家を輩出する大学になるためには、どうしたらよいと思いますか」と聞いている。その答えは以下のようなものであった。
「慶應義塾は、産業界のリーダーをたくさん輩出していること、OBにはファミリービジネスはじめ、事業オーナーがたくさんいると聞いています。それらの人々の力を集めることから始めると良いと思います。また、スタンフォードには、起業家教育プログラムが、様々な学部で長年にわたって作られてきました。これは一朝一夕にできるものではありません。数十年にわたるプロセスであると考える必要があります。みんなスタンフォードにやってきて、『シリコンバレーを作りたい、5年で』と言うんです。でも、私たちは30年かかっているんです。辛抱強く教育をすることです。また、ベンチャーキャピタルを支援すること、労働法が変わるように政策当事者に働きかけることも必要です。大学として、どのように社会経済の変化を促すかを考え続けなければなりません」
ジョン・ヘネシー教授が指摘するように、慶應義塾は産業界のリーダーを数多く輩出している。そうしたリーダーが結集すれば、慶應義塾は今以上に、優れた起業家を生み、社会をリードすることができるであろう。キャンパスから起業が出て成功事例が増えれば、それは次の起業の基盤となり、さらなる起業が生み出されていく。そうして数十年経つと、キャンパスに起業家育成の制度と文化が根付いていく。社中の「先導者たち」が力を合わせ、社会経済を創っていく未来を思い描くと、胸に熱いものが湧き起こる。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2024年5月号
【特集:大学発スタートアップの展望】
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |