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【特集:団地の未来】
相澤真一:団地に流れていた子どもと家族の時間──「総中流」社会の「先端」住宅地のゆくえ

2023/05/08

少子化のなかの団地

これが大きく反転するのは、21世紀になってからの少子化と共働き世帯の増加と相関して起きた都心回帰である。専業主婦世帯を基本として、第2次ベビーブーマーが育った郊外のニュータウンは、共働き世帯が都心に通勤するには難しい場所に多く存在する。結果として、第2次ベビーブーマーが成人になって以降、世帯形成をするにあたり、とくに首都圏では、団地を経由することは少なくなった。先述の『滝山コミューン一九七四』の舞台となった滝山団地近くにある第7小学校では、小学校の統合があったにもかかわらず、児童数が3分の1以下となったという。

近年の団地の取材を続けるジャーナリストの安田浩一は、2018年に42年ぶりに自分の生まれ育った町田市の団地を訪れ、当時の団地は、住民たちの暮らしぶりが筒抜けだったと述べている。開け放たれた玄関や窓から生活音は周囲に聞こえ、子どもたちのことも家族のことも住民はよく知っている濃密な人間関係がそこに存在したと紹介する。

1965年のデータでも、さまざまな家電製品が家に入っていきながらも、なかなか普及していなかったものがルーム・クーラーだった。全国的にも2%の世帯しか所有していなかったものだが、当時の団地でも0.5%しか所有していなかった。暑い時の温度調整は窓と玄関を開け放って入ってくる風に頼っていた。

1960年代の子どもが多かったまだ真新しいコンクリートの時代の団地は、開け放たれた玄関や窓からの生活音で賑やかだったのだろう。夜はきっとどこの家からもテレビの音が聞こえたのだろう。「総中流」社会の「先端」の象徴であった団地を彩っていたのは、賑やかな子どもたちの声であった。

格差社会の象徴としての団地

先述の安田は、著書『団地と移民』(角川新書)において、子どもがいなくなった現在の団地は、高齢化や外国人居住者などによって課題最先端の空間となっていると指摘する。少し前まで見えていたかのような「総中流社会」から「格差社会」へと人々の見え方が変化した時、団地も「総中流社会」の象徴から「格差社会」の象徴へと変化した。

メディア研究者のニール・ポストマンは、著書『子どもはもういない』(新樹社、原題:The Disappearance of Childhood)で、メディアなどの社会の変化で、近代以降につくられてきた子ども期が見えなくなったという議論を提示している。日本社会において物理的に子どもが激減したことは、この議論とはまた異なる形で、社会のありようが変化してしまうことを示しているように見える。そして、その「先端」の空気を伝えていたのは団地である。

1960年代の団地に流れていた子どもと家庭の生活の空気は、豊かな生活を希求した結果として、一定程度の平等な社会をつくり出していた。「格差社会」と言われる現代こそ、人びとの生活の来し方行く末を見つめながら、社会として担うべき平等と公正とは何か、が問われているように感じる。

なお、以上で紹介した「団地居住者生活実態調査」のデータは、すでに東京大学SSJデータアーカイブで公開されている。関心のある方はぜひアクセスしてほしい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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