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【特集:脳科学研究の最前線】
田中謙二:脳科学から見る精神疾患へのアプローチの最前線

2022/03/07

MRIの登場

この閉塞感を打ち破ったのが、生きたままの状態で、ヒトの脳の構造と機能を可視化する技術革新です。読者の皆さんはCT、MRIの検査を一度は受けたことがあると思います。特にMRIは、脳の構造と機能を、生きたまま観察することができる優れものです。

1980年代にはMRIが臨床でも使われるようになりました。当時は、脳の構造を見ることで、大脳皮質が薄いとか、後頭葉に損傷があるなどの「かたち」の異常を検出していました。1990年に小川誠二博士が脳の機能を調べるためのMRI方法を確立し、これによってMRIで脳の機能を可視化する研究が可能になりました(小川誠二博士は2017年の慶應医学賞受賞者です)。

MRIは、物理学の粋を結集した医療機器で、1人の患者さんの画像データを得るのに多くの計算を必要とします。それだけでも大変なのに、1人の患者さんから得られるMRIデータを、数千人規模で集めて解析を行います。幸い、コンピューターの性能が年々向上しているために、非常に計算負荷のかかる大規模データの解析が、研究者個人の所有するPCで可能になってきています。数理統計学者の脳科学への参入が、このデータ解析を進歩させていることも無視できません。個人的には、慶應の理工学部で運用が始まっている量子コンピューターが、大規模な脳画像データ解析を飛躍的に向上させさらに革命的な発見をもたらすと期待しています。

大阪大学を中心としたグループが、約1,600名の健常者と900名の統合失調症患者のMRI脳画像を解析したところ、統合失調症患者では健常者にくらべて淡蒼球と呼ばれる脳の中心部に位置する脳部位が僅かに大きいことを2016年に明らかにしました。この研究は、その後、数千人規模のデータを解析した外国の研究グループからも追試されています。統合失調症において淡蒼球が大きくなることは事実のようです。では、なぜ大きくなるのか。淡蒼球が大きくなるから統合失調症になるのか。統合失調症になったせいで淡蒼球が大きくなったのか。こういった疑問はすぐに思いつきますが、これをヒトで確認することは容易ではありません。

そこで、私たちの研究グループはマウスに戻りました。詳しいことはここでは述べませんが、マウスにおいて淡蒼球が大きくなる他の神経疾患モデルに注目したのです。その神経疾患モデルの脳構造をMRIで同じように解析し、マウス死後脳を神経病理学的に徹底的に解析したところ、ある神経細胞の容積増大を見いだしました。そして、その細胞容積増大を説明しうる遺伝子Xの変化を同定しました。

次に私たちは、この遺伝子Xを人工的に多く発現させた状態(この遺伝子Xだけが多く発現するので、元の神経疾患モデルを再現したわけではない)で、淡蒼球が大きくなることを確認しました。これによって、ようやく、「淡蒼球が大きくなるから統合失調症になるのか」という問いに間接的に答えることが可能になります。

次は、マウスの統合失調症をどう考えるかになります。マウスに幻聴があるのか、妄想を抱いているのか知るよしもありませんが、統合失調症に特有の認知機能障害に似た症状がマウスにもあることがわかっています。そこで、「淡蒼球が大きくなるという準備状態に、何が加わると、認知機能障害が出現するのか」と、先ほどの問いを一段階深めることができます。

脳研究の進歩で可能になる精神疾患へのアプローチ

私たちのマウス研究はまだここまでで、これからが本番という状況で、中途の研究を皆さんにお伝えしたことになります。ここで伝えたかったことは、従前の神経病理学では異常を検出できなかった統合失調症患者の脳を、生きたままMRIで構造を画像化し、それを数千人のデータとして回収し、数理統計学を駆使して計算した結果、全く予想もしなかった淡蒼球の増大という脳構造異常を発見できたという脳研究の進歩です。このヒト研究から得られた最新の成果をもとに、マウスを用いて様々な問いを解くというスタンスは、ヒト脳科学からの精神疾患へのアプローチの1つと言えます。

一方で、マウスの脳研究から精神疾患へアプローチする方法もあります。前述したように、マウスの脳の解剖がミクロレベルで精密に行われ、その結果を世界中の研究者が自由に供覧できるようになっていますので、その解剖データに基づく機能解明が盛んに行われています。その機能解明で中心的な役割を果たすのが、特定の神経細胞集団の活動を観察する技術と、活動を操作する技術です。これはMRIよりも遥かに精密な神経活動観察法です。MRIでは、スキャナーの中で微動だにしてはいけませんが、この新しい神経活動観察法は、マウスが自由に動き回っていても正確に信号を取得することができます。活動を観察する技術も操作する技術も、光を用いる点が特徴的です。

活動を観測する技術のコアは、蛍光蛋白質であり、2020年慶應医学賞受賞者の宮脇敦史博士(塾員)の貢献が際立ちます。宮脇博士は、蛍光蛋白質を改変し、神経活動の強弱を発する蛍光の強弱でモニターできる蛋白を開発しました。活動を操作する技術のコアは、光感受性チャネルであり、2014年慶應医学賞受賞者のカール・ダイセロス博士が光感受性チャネルを使った神経活動操作技術をオプトジェネティクスとして世に出しました。

私を含めて、世界中の脳科学研究者がこの2つの技術を駆使して、脳の機能解明に挑んでいます。どちらも脳にはもともとない蛋白質なので、遺伝子導入が前提となります。ヒトの脳への遺伝子導入は治療であっても行われてないので、モデル動物でのみ可能な研究手技になります。

意欲を司る神経基盤の解明

私の研究室では、意欲を司る神経基盤の解明に挑みました。意欲はヒトもマウスも行動で評価できます。「さあ、やるぞ」という開始時の意気込み。それを持続してやりきる力の両方があって、はじめて意欲が高いという評価を得られることは皆さんも納得できると思います。マウスを用いた研究によって、意欲行動の開始は島皮質ー線条体経路が制御すること、意欲行動の持続は海馬ー線条体経路が制御することを明らかにしました。

異なる脳回路が開始と持続を制御する事実は、三日坊主という言葉からもわかります。三日坊主は意欲行動を開始することはできるものの、持続させることができない。そしてそれは異なる脳回路で制御される。では、これを精神疾患の理解にどう役立てるかです。うつ病では意欲が低下します。マウスのうつ病モデルでも意欲が低下します。私たちは、意欲の低下のうち、意欲行動が持続できなくなることに着目しました。この時、海馬の活動がうつ病状態で高まること、それにより意欲行動が持続できなくなること、抗うつ薬の投与によって海馬の活動が正常化して意欲行動の持続が復活することを明らかにしました。こういったアプローチによって、海馬の活動を正常化させる他のアプローチ、それが精神療法なのか、ぐっすり眠ることなのか今はわかりませんが、海馬の機能にフォーカスした治療法の開発をマウス研究から提案できるようになります。

本稿では、精神疾患に対するヒト脳科学からのアプローチ、マウス脳科学からのアプローチについて、それぞれの最前線を私の視点でご紹介しました。筆者が違えば、また違う切り口でその最前線が語られると思います。それは脳科学が他分野にまたがる学問体系であること、その脳科学からの成果が多くの方から期待されていることの証左だと思います。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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