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【特集:脳科学研究の最前線】
梅田聡:脳と身体の働きからみる「心」の科学

2022/03/07

心の脳機能を残す

これらの発見は、臨床場面において「感情の機能を残す」ことにも応用ができる。島皮質周辺にグリオーマと呼ばれる脳腫瘍が発見された場合、脳外科的処置として、腫瘍周辺部の摘出術が第一選択肢となる。腫瘍の浸潤の程度は、目で見て正確にわかるものではないため、予後を考え、実際の摘出範囲は少し広めになるケースが多い。島皮質周辺部位の摘出術後、患者の多くは、以前は普通に感じていた怒りや悲しみなどの感情が感じられなくなったと報告する。これは日常生活に大きな影響を及ぼすことにつながる。島皮質は脳内では決して狭い領域ではないため、もしも、感情の中枢となる部位が事前にわかれば、その部位を温存させることで、感情の機能を残すことができる。しかし、感情に関する部位がどこかは、術中に脳を見てすぐにわかるものではない。

そこで、我々は名古屋大学脳神経外科のチームと共同研究を行い、この部位を明らかにする研究を行った。具体的には、覚醒下手術と呼ばれる方法論を用いた。この方法では、術中に患者を覚醒させ、脳の部位を弱く刺激しながら、提示される顔表情の評定をさせる。もしも、感情とは関係のない部位を刺激した場合は、顔表情の評定に変化は生じないが、関係のある部位を刺激した場合には、怒り顔をみて悲しいと判断してしまうなど、顔表情の評定に変化が生じる。この方法論を用いれば、その人の感情の中枢をある程度正確に特定することができる。そしてその部位を避けて腫瘍を摘出する。こうすることで、「大半の腫瘍を摘出する」という目的と、「感情を残す」という目的の両者を満たすことができる。このコンセプトをもとに実際に研究を行い、島皮質の前部から中部にかけての領域が、感情の中枢であることが突き止められたのである。*1*2

「気づき」をもたらす内受容感覚

心臓の動きなどが通常と異なることを検知する島皮質の役割は、感情に限ったものではない。内受容感覚は、我々に「気づき」をもたらすことにも関係がある。我々の日常生活では、やらなければならないこと(To Do)を思い出すという場面が複数ある。「職場にいったら○○の書類を作成する」、「夕方に買い物に出かけ、○○を買う」、「食後には○○の薬を飲む」など、日常生活は予定の遂行に満ちあふれているといってもよい。歯磨きや玄関の扉の施錠など、十分にルーティーン化した行為であれば、自動的に思い出すことができるが、そうでない場合には、適切なタイミングで思い出せず、あとで「しまった」と思うことも少なくないだろう。

心理学の領域では、予定や約束のように未来に実行する行為の記憶を「展望記憶」と呼び、これまでにも多くの研究が実施されてきた。展望記憶には、「存在想起」と「内容想起」という2つの要素が含まれている。存在想起とは、何かやらなければならない予定があるということにタイミングよく気づく要素であり、この気づきには、前頭極と呼ばれる前頭葉の先端部が関与することが、筆者らの研究によって示されている*3。一方、内容想起とは、予定の具体的な内容を思い出す要素であり、こちらはいわば「記憶力」そのものであり、海馬や視床といった記憶の中枢メカニズムが関与している。

ここまでは、心理学と脳科学の統合的研究によって明らかにできる部分である。しかし、次に取り組まなくてはならないのは、「気づきはいったい何によって生み出されるのか」という問いである。例えば、ポストに投函しなければならない封筒を手に持って職場を出たとしよう。投函しようと思っていたポストの前を通りかかって、ポストが目に入っていたとしても、投函することに気づくとは限らない。しばらく歩いてから「しまった」と思い、次に駅前のポストに入れようと考えるが、駅前のポストの前でもまた思い出せず、改札口を通るときに手に持っている封筒に気づき、また「しまった」と思うかもしれない。なぜ、ポストが目に入っているのに、投函することを思い出せないのか。この問いは、専門的な視点でみれば、「なぜ適切なタイミングで、前頭極を活性化できなかったか」という問いに置き換えることができる。

ここで筆者が考えたのは、「気づきには内受容感覚が関わっている」という仮説である。つまり、ポストが目に入ることで、脳内では「気づき」を生じさせるプロセスが働き、その結果は、自律神経の交感神経活動を活性化させ、心拍が通常よりも若干速くなる。ここで内受容感覚が鋭敏な人は、自身の心拍の変化を感知し、「あっ、そうだ」という気づきを生じさせる。脳内のプロセスでいえば、島皮質から前頭極への神経伝達が起こるということになる。これを実証するための実験を行った結果、やらなければならない行為を適切なタイミングで思い出せる人は、内受容感覚も正確であることが明らかになった*4。無論、内受容感覚が敏感でない人であっても、投函しなければならないことに継続して注意を向けていれば、投函できる可能性は高まる。しかし、ポストに投函するまでの間、ずっとそのことを考えているというシーンは決して多くないはずだ。専門用語では「マインドワンダリング」と呼ばれるが、我々の心のなかではいろいろなことを思考している。歩きながら別のことを考えてしまっていたとしても、ポストが目に入ることにより、封筒の投函に気づける人と気づけない人の違いは何かといえば、それは内受容感覚の敏感さの違いである可能性が高いといえる。

以上述べてきたように、感情や記憶といった我々の心の側面には、潜在的な要素が多く関わっている。言語で説明できる範囲というのは、我々の意識のほんの一部でしかなく、大半の活動の背景にあるのは無意識的なプロセスである。心の側面を徹底的に理解しようとするならば、意識下における脳と身体の状態を切り離して考えることはできない。従来の学問領域に囚われず、必要な分野と融合することは、サイエンスのブレークスルーには必要不可欠であると実感する。

〈注〉

*1 Motomura, K., Terasawa, Y., Natsume, A., Iijima, K.,Chalise, L., Sugiura, J., Yamamoto, H., Koyama, K.,Wakabayashi, T., & Umeda, S. (2019) Anterior insular cortex stimulation and its effects on emotion recognition. Brain Structure and Function, 224, 2167-2181.

*2 Terasawa, Y., Motomura, K., Natsume, A., Iijima, K.,Chalise, L., Sugiura, J., Yamamoto, H., Koyama, K.,Wakabayashi, T., & Umeda, S. (2021) Effects of insularresection on interactions between cardiac interoception and emotion recognition. Cortex, 137, 271-281.

*3 Umeda, S., Kurosaki, Y., Terasawa, Y., Kato, M., & Miyahara, Y. (2011) Deficits in prospective memory following damage to the prefrontal cortex. Neuropsychologia, 49,2178-2184.

*4 Umeda, S., Tochizawa, S., Shibata, M., & Terasawa, Y.(2016) Prospective memory mediated by interoceptive accuracy: A psychophysiological approach. Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences, 371,20160005

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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