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【特集:障害と社会】
全盲弁護士、障害者差別解消法を語る

2018/12/05

5 結び

子どもの頃、友人と砂山の両端から穴を掘り始め、2人で小さなトンネルを貫通させるという遊びをしたことがあります。

障害者差別解消法ができただけで、すぐに社会が変わるということはありません。

しかし今、対話という方法で、健常者、障がい者双方から、社会に存在するさまざまなバリアに穴を掘るための道具ができたことは間違いありません。

最初のうちはいろいろな摩擦があるでしょう。でも、きっとトンネルの向こうにはこれまで見たことのない新たな地平が開けているはず。まずは、障がい者と健常者が対話を通じて、一歩ずつ歩み寄ることが始まりです。

ところで、私は、障がい者の社会参加を考えるとき、野球のメジャーリーグを思い浮かべます。ひと昔前までは、メジャーリーグでは日本人選手は太刀打ちできないと思われていました。しかし、1995年に野茂英雄投手がメジャーに挑戦して活躍したことによって、次々と日本人が進出するようになり、大谷翔平や田中将大など、今では多くの選手がチームの主軸にもなっています。

本当は日本の選手の実力は、野茂投手が行くかなり前からその水準に達していたのではないでしょうか。でもほとんどの人がそうは思わなかったから、実現しなかった。健常者と障がい者の関係は、野茂投手が渡米する前のメジャーリーグと日本球界のようなもので、健常者側は、障がい者の実力をまだよく分かっていないし、障がい者の側も、自分の実力では「メジャー」で太刀打ちできないと思ってしまっている、そのように私は感じるのです。

だから、健常者側は、障害のある挑戦者たちにチャンスを与えてほしいし、障がい者の側も勇気を出して一歩を踏み出すことが大切なのだと思います。人はどうしても失ったものの大きさに目を奪われて、まだ手元にどれだけ多くの可能性が残されているのかを忘れてしまいがちです。でもその可能性を開花させることができれば、その人自身が1つの前例になり、障がい者に対する社会の意識も変わっていくはずです。

近い将来、健常者と障がい者が、同じ「社会」というフィールドの上で、切磋琢磨しあいながら一緒に全力でプレーできる日が来ることを願いつつ、今回のエッセイを終わりたいと思います。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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