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【特集:自由貿易のゆくえ】
トランプ大統領は本当に異質な存在なのか?

2018/08/06

アメリカ的反動思想

共和党がこれまで掲げてきた保守主義は、3つの柱に支えられているというのが最も一般的な説明だ。それは3本の脚に支えられるスツールにしばしば喩えられる。保守主義が勢いづくためには、この3つの脚がしっかりと安定していなければならない。1つ目は、小さな政府(limited government)、2つ目が力に依拠した対外政策(muscular foreign policy)、3つ目が伝統的な価値(traditional values)である。若干、神話化されてしまっているきらいはあるが、ロナルド・レーガン大統領が、この「3本の脚に支えられた保守主義(three-legged conservatism)」を最もよく体現していたと言われる。偶然ではないだろう。2016年の大統領選挙ほど、レーガン大統領の名前が目立たなかった選挙は近年なかった。保守派の間で、レーガン大統領は、聖人的存在であると言っても過言ではない。しかし、トランプ現象は、レーガン大統領が体現した「3本の脚に支えられた保守主義」とは違う何ものかに突き動かされていることは明らかだった。

それは、これまでキレイにパッケージ化された保守主義に封印されてきた「政治的には正しくない(ポリティカリー・インコレクト)」、しかし、「忘れられた人々」の不満とより共鳴する反動思想だった。オバマ大統領は、「反動的なるもの」から訣別したアメリカを際立たせたが、それは逆に反動思想を呼び覚ます効果を持ってしまったことも否定できないだろう。この反動思想は、保守主義を支えてきた3本の脚をいずれも退けた。

まず「小さな政府」に関しては、これをビッグビジネスのみを利してきた考えとして退けた。企業家精神を活性化させるためには政府は小さければ小さいほどいいと言われても、自分たちの生活がままならない状況では、そんなことはどうでもよくなる。また、彼らが小さな政府を訴えたのは、政府がマイノリティを救済する政策をこれまで積極的に導入してきた(と彼らが考えた)ことへの不満からであり、その意味においては、小さな政府それ自体が純粋な目的ではなかった。ギリギリのところでミドルクラスの地位を維持し、「転落する恐怖」に日々直面している彼らからしてみると、マイノリティに対する「優遇政策」は不公平感を際立たせた。トランプ大統領は、そんな彼らに対して、行政府最高位のポジションから、「連邦政府はあなたたちのためにある」と躊躇せずメッセージを発した。それは、小さな政府とは無縁の発想だった。

次に、「力に依拠した対外政策」については、彼らは躊躇なくアメリカン・ナショナリズムを肯定はするものの、それを世界に向けて投射し、アメリカが中心になって国際秩序や規範を維持すべきだとする外交エスタブリッシュメントの発想は到底受け入れられなかった。外交エスタブリッシュメントは、「リベラル・インターナショナル・オーダー(リベラルな国際秩序)」のような、無機質(ノッペラボウ)な言葉を振りかざして、アメリカの国際的役割を唱えるが、それを現実に落とし込んでいくと、結局、それを支えるために動員され、世界の裏側に派遣されるのは、自分たちの息子や娘たちであるという感覚、そして、その結果が長期化するアフガニスタンやイラクならば、そんな役割は引き受けたくないという不満が確実に存在していた。トランプ大統領が、大統領候補としてイラクへの介入に批判的な立場を打ち出したのも偶然ではないだろう。外に出ていって怪物を退治するよりは、国を閉ざす。壁はそうした発想の物理的な表現だった。

そして、「伝統的な価値」については、従来は「キリスト者として正しく生きる」というタテマエがあり、個別の争点としては、中絶や同性婚をめぐる問題があった。しかし、トランプ大統領は、どこをどう捻っても、模範的なキリスト者とは言い難いだろう。しかし、共和党の頑強な支持基盤である宗教右派の間でトランプ大統領への支持は強固だ。それはトランプ大統領が、深い信仰の持ち主であると装おうとはせずとも、宗教右派が何を望んでいるかをわきまえていて、それに確実に応えようとしているからだ。さらに、宗教右派は、アメリカが外からの「異物」によってアメリカ的価値観が脅かされていると、とりわけ強く感じていると言われるが、トランプ大統領に対しては、ある種の「(復古的な)アメリカ的生活様式」の守護者としての期待を抱いている。その具体的な表現が、メキシコとの国境に建設されるはずの壁であり、政権が発足してすぐに導入を試みた、イスラム教徒が多数を占める一部の国からの入国制限であった。こうした、アメリカ的生活様式の護持が、「伝統的な価値」の中に今までも埋め込まれていたことは否定できないだろう。しかし、「異物」に対する違和感が大統領のレベルでここまでストレートに表明されたことは近年なかった。その意味で、昨年のシャーロッツビルの騒乱で、トランプ大統領がとった行動は、その限りにおいて一貫性を持っていたとさえ言える。それは、変化に対する違和感の表明だった。

こうしてトランプ大統領自身が自覚していたかどうかは別として、従来的な保守主義はトランプ・ワールドの中では退けられていった。

アメリカン・インターナショナリズムの行方

ここまで、トランプ大統領が呼び覚ました反動思想を否定的な文脈で論じてきたが、それが「忘れられた人々」にとっては、強いリアリティを持っていることも否定し難い。彼らの「出口なし感」に唯一応えたのがトランプ大統領だった。それは経済的な回答では決してなかったが、行き場のない彼らの不満に応えるものだった。仮にトランプ現象が、このような根深い拒否衝動によって支えられているとすると、戦後国際秩序を支えてきたアメリカは内部から大きな挑戦を受けていると考えたほうがいい。

G7シャルルボワ・サミットにおけるトランプ大統領の立ち振る舞いを見ても、自由貿易体制の守り手として、トランプのアメリカが「常道」に戻るということは期待できないだろう。何と言っても、声明作成の過程で、当のアメリカが「法に基づいた国際秩序(rules-based international order)」という表現に違和感を表明したと伝えられている(New York Times, June 6, 2018)。「アメリカ・ファースト」は、トランプ大統領その人以上に根深い。それは、強固な退行的ナショナリズムであって、攻撃的な防衛本能に依拠し、これまでアメリカン・インターナショナリズムに「タダ乗り」してきた国と同様、狭義の国益と目の前にある利益に基づいて行動させてもらうという居直りの宣言だった。トーマス・ミーニーとスティーブン・ワーサイムは、こうしたトランプ外交を異端と見なすべきではなく、むしろ誰も受け入れたくはないが、アメリカ政治の底流にある、「ラディカル・アメリカン・インペリアリズム」の系譜にあると論じている(New York Times, March 11, 2018)。そして、それはその限りにおいて、アメリカ的であるというのが彼らの主張だ。しかも、トランプ支持者たちは、そのことを感覚的にわかっていると。

さて、こういうアメリカとどうつきあうのか。その解答をいまだ世界は持ち合わせていない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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