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【特集:変わるメディアとジャーナリズム】
被災地から見たジャーナリズム──データとネットワークの時代に

2018/06/26

「報道の偏り」と声なき声

大川地区でメディア不信の声が高まったのが2014年から15年にかけて、津波で壊滅的被害を受けた大川小学校校舎の保存・解体をめぐる議論の中でのことである。

国が定めた復興期間中に予算を確保しようと市職員が、住民組織「大川地区復興協議会」に校舎保存方針を打診した。その際「校舎を解体しAR(拡張現実)により映像を見る」「一部施設を残す」「全施設を残す」という3つの選択肢を示した。この資料を見た遺族が「市は証拠隠滅のために校舎を解体しようとしている」「スマートフォンで画像を見るなんて遊園地みたいだ」と不快感を表明した。その言葉を週刊誌が「大川小学校テーマパーク化計画」と脚色を交えて報じ、地域に動揺をもたらした。

この時期に集落ごとに開かれた集会の議事録を見ると、「解体」「保存」の意見はほぼ拮抗している。被災前人口の4割近い住民を失った釜谷集落では「悲しい思いが残る校舎を見たくない」という意見も多くあった。校舎の扱いが議論されるなか、大川小学校卒業生の若者たちが「学校を残して」と声を上げ、新聞やテレビが大々的に報道した。

このころ私は「メディアは偏っている」という住民の指摘を受け、2015年末までに大川小遺族のコメントが入った各社記事を検索し、誰が何回報道されたかを集計した。456記事中、頻度の高い20人のコメントが採用されている記事が93%だった。家族単位では上位4家族で全記事の56%を占め、4家族が校舎保存派、3家族が訴訟原告だった。

2016年2月13日、石巻市が大川小校舎の扱いをめぐって開いた公聴会では、カメラを避けたい住民への配慮から体育館の右後方3列が撮影不可のエリアに指定された。訪れた半数以上の住民がこのエリアに集中し、市職員が補助椅子を出して対応した。多数のメディアが取材する一方、取材を希望しない人々の「声なき声」の取り扱いが課題として浮かび上がった。

大川小学校校舎の扱いが議論された石巻市の「震災遺構に関する公聴会」で「非撮影エリア」に座る人の列(ステージ向かって右側後方、2016 年2月13日石巻市立飯野川中学校体育館で中島写す)

模型とデジタルアーカイブ

こうしたなか2016年、1つの動きが起こった。「地域の記憶を残したい」という住民が集まり、被災集落をジオラマ模型に再現する「大川地区『記憶の街』模型復元プロジェクト」が始まった。神戸大学槻橋修研究室を中心とする建築を学ぶ学生たちのネットワークと連携し、2016年11月、2017年3月、8月の各1週間ずつ、被災前の地域を500分の1に再現した白い模型に彩色したり思い出を記したりするワークショップが行われ、4大学43人の学生の聴き取りにより39㎡の模型が完成し2700件の記憶証言が記録された。

このプロジェクトの特徴は、多数の住民や外部支援者、専門家のネットワークにより実現したことにある。実行委員会幹事の一般社団法人長面浦海人は、防潮堤問題をきっかけに地元漁師が浜の将来を話し合い2013年に地域再生を目指す非営利組織として設立した。背景には被災地まちづくり支援に取り組む建築家ネットワークの知見がある。住民の参加は「大川地区復興協議会」はじめ区長、寺の檀家総代、同級会幹事など地元ネットワークのハブとなる人々が呼び掛けた。「校舎を残したい」と活動した若者も合流し、ソーシャルメディアを使った広報などを担当した。

模型と同時に、証言データをデジタル地図上にプロットした「記憶の街アーカイブ」(http://lostcity.archiving.jp/)も、渡邉英徳・首都大学東京准教授(現・東京大学大学院教授)との協働により作成された。渡邉教授の先行プロジェクト「ヒロシマ・アーカイブ」では現地の高校生がインタビューを重ねてデータを集めており、大川地区でもこれにならって写真資料や記憶証言を収集・追加できないかという動きが起こりつつある。実現すれば、住民発の地域の記憶を伝えるメディアとして育っていく可能性がある。

「フェイク」混在の時代に

こうした事例を踏まえ、改めてデジタル時代のジャーナリズムについて考えると、「真実を伝える」「民主主義を支える多様な情報を伝える」といった基本は変わっていない。むしろ政治家の発言や公文書さえも真偽が疑われる状況下で、役割はさらに増しているという思いを強くしている。では新聞やテレビなどのメディアがその役割を十分果たしているかといえば、大川地区の事例は2つの反省を投げかけているように思う。

1つは大石裕・慶應義塾大学教授が「政局報道」と批判したように(2013「政局報道と政策報道─『3・11震災報道』を中心に」『メディア・コミュニケーション』No.63、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所)、現地ニーズと関係なく報道機関内部の論理や慣習によって情報を送っていたのではないかという反省である。もう一つは、住民が「偏り」を指摘したように、自分たちの筋立てに合う「事実」を切り取って伝えていなかったかという反省である。

大川地区にはさまざまな「事実」がある。何より、学校管理下での74人の子どもの死という重い事実がある。同時に住民418人の命が失われた事実がある。行政の責任を明らかにしたい遺族がいるのも事実、震災の教訓や大好きな「ふるさと」の記憶を伝えたいと思う人々がいるのも事実である。震災報道の先行研究に「マスメディアによる〈被災者〉の報道には《試練》→《悲しみ/苦しみ》→《希望》→《再生/新たな旅立ち》といった物語構造がある」という指摘がある(遠藤英樹、1999「〈被災者〉というカテゴリーをめぐるマスメディアの『物語』構造」『阪神・淡路大震災の社会学』第一巻、 昭和堂)。大川地区の報道でも「物語」のある未成年者に取材が集中したり、「物語」にあてはまらない「事実」を捨象したりする事例が見られた。

一方、ソーシャルメディアが情報発信の敷居を低くし、デジタル技術がより多様な表現を可能にしている今だからこその課題と希望も見えてきたように思う。

ソーシャルメディアは個人と個人のつながりを容易にする。被災者が著名人との縁を得ることもある。安倍昭恵夫人が大川地区を頻繁に訪れるのもフェイスブックで遺族と交流が生まれたことによる。よい側面もあるが、ソーシャルメディアには一つの事実のみを拾い上げ拡散する機能がある。影響力の大きい人が特定の「事実」を発信し、同じ指向を持つ人の間で共有されていくうちに物事の一面だけが注目され、記号化する傾向がある。4月26日の仙台高裁判決後、一部政治家が問題を当時文科省幹部だった前川喜平前次官の責任とすり替えてツイートし、多数のリツイートがなされた。こうした「記号」の政治利用も起こりうる。

溢れる情報の中でメディアがすべきことは、改めて多様な事実と謙虚に向き合い、背景を丁寧に読み解く努力をすることではないだろうか。昨今、新聞社には経営上の理由から現場の記者を削減する動きがある。「雑感はツイッターに上がってくる」「現場で特ダネは書けない」と編集幹部が公の場で発言した事例も聞こえてくる。しかし、ソーシャルメディアで「声なき声」は拾えない。背景を見ず声の大きな「事実」を拾う一方で別の「事実」を排除してしまう危険は常にある。某社メディアイベントで東京電力幹部と対談した福島の活動家が、同時期に電力業界から多額の金銭を得ていたという報道があったことは記憶に新しい。

20年前、私はデータとネットワークの時代の到来に期待した。その気持ちは今も変わらない。既存取材網でカバーできない「事実」に、多様なネットワークとの連携によってアクセスできる可能性を信じている。模型プロジェクトに見るように、新たなメディア表現により当事者自らデータを紡ぎ社会につなぐことが可能となっている。質的・量的データをよりよく読む研究も、学術の世界で進められている。米国の「ポリティファクト」のように基準に基づき透明性をもって正確性を判定するファクトチェック団体が日本で育つ可能性も見えてきた。現場に立脚し、多様な主体と連携しながら丁寧に「事実」と向き合うことこそ、現在のジャーナリズムに求められていることだと考える。


※所属・職名等は当時のものです。

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