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【福澤諭吉をめぐる人々】
福澤桃介 (下)

2025/03/27

桃介式

犬養毅は、次のような桃介との会話を紹介している。

犬養「君は金を造ったそうだが何の為になる」
桃介「欲しいから造るのだ」
犬養「君は人を救う事はないか」
桃介「金を出す事は大嫌いだ」
犬養「人に金を貸す事はないか」
桃介「ない……が是非と云う時はくれた気で貸す」

桃介は、「松永のために損しよう」と言って、福博電気軌道への出資を履行した。また、誰にも知られず、北海道炭鉱鉄道で世話になった当時の社長の不遇に同情して生活費を供出している。尾崎行雄は、「故先生(諭吉)も自分の善き事は隠し、悪いことは誰の前でも発表した人であったが、桃介氏は夫(そ)れにかぶれて相似て居る所がある」と言う。桃介は、自分はケチだと言いながら、陰では求められた先に惜しみなく金銭を渡していた。

慶應義塾が創立50年記念に図書館を建設することになったときも、桃介は建築資金募集の委員となり、自ら巨額(2万円)の寄付をしている。また大講堂も桃介と森村市左衛門の寄付によってその建築費が賄われた。「慶應義塾は敵」と言いながら、桃介は、諭吉亡き後の義塾を支えていたのである。

桃介は『桃介式』という本を出版し、ビジネスマンの成功法を述べているが、その言い回しがいかにも桃介式である。真骨頂は、「勉強を見せかけよ」、「利口らしく見せかけると共に正直者らしく見せかけることも必要」、である。諭吉も「巧言令色をせよ」など、あえて極端な言い方をするところがあったが、桃介の場合、彼の屈折した性格も加わって、一層毒々しい表現となる。三宅雪嶺は、このような桃介式を「殊勝らしくすまし込んで偽君子を作ろうともせざるのみならず寧ろ偽悪人たらんとする」と評した。

桃介は、諭吉の養子になったが故に、「ライオンが描かれた白シャツを着た美青年」のまま、生涯にわたって目立ち過ぎ、常に諭吉との比較がつきまとった。諭吉という大きな存在に飲み込まれそうになるが、桃介はそれを嫌い、距離を置こうとすればするほど、「福澤」の重しがのしかかっていたのではないか。門下生のままであったなら、諭吉を称賛するだけでよかったのに、桃介の性格では、それもできなくなってしまった。本人は、諭吉のことを真っ直ぐには褒めないくせに、親友によれば、「誰か福澤先生の悪口でも云う人があると、桃介はプット怒ってしまう」ところがあったという。

桃介から諭吉の呪縛が解けたのは、諭吉の死後のことであろう。それからの後半生は、ほかに頼らず独立独歩で、電力事業という実業の世界を自ら先頭に立って切り開いていった。その姿は、まさに独立自尊を体現するものであった。去る令和6(2024)年12月、大井ダムは、竣工100年を迎え記念行事が催された。そのダムを望む一角に、日本初のダム式発電所の完成を記念して建てられた大きな碑には、福澤諭吉のレリーフと「独立自尊」の文字が刻まれている。

大井発電所完成の記念碑(岐阜県中津川市)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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