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【福澤諭吉をめぐる人々】
尾崎行雄

2020/09/04

明治32 年文部大臣辞職後 (福澤研究センター蔵)
  • 末木 孝典(すえき たかのり)

    慶應義塾高等学校教諭

尾崎行雄といえば、「憲政の神様」として知られる。第1回総選挙から25回連続当選し、死去の前年まで63年間衆議院議員であり続けた稀有な人物である。「憲政の神様」は福澤をどう見たのだろうか。

生い立ち

尾崎行雄は安政5年11月20日(1858年12月24日)、相模国津久井郡又野村(現神奈川県相模原市緑区)にて父・行正と母・貞子の長男として生まれた。幼名は彦太郎。父は漢方医の家に生まれ尾崎家に婿入りし、幕末維新の際には会津征伐の板垣退助の隊に加わった。家は貧しく、弟や妹が生まれるまで母子2人で寂しく暮らしていたという。行雄は幼少の頃から病弱で、特に頭痛がひどかった。母親は心配し丈夫な体にしようと手を尽くした。性格は臆病で他人から干渉されることをひどく嫌った。知らない子から石を投げられたり悪口を言われたりと、なぜか人に嫌われる性質で、大人になるまで「気取り屋」などと言われ続けたが、40歳以降になってようやく気にならなくなったという。

慶應義塾へ

明治2(1869)年、母に連れられ上京した行雄は、最初に父が仕える地方官安岡良亮に学び、次に国学者平田篤胤の子鉄胤の平田塾に通った。その後、父の転任先である高崎の英学校で英語を学んだ。7年、板垣退助らによる民撰議院設立の建白書が出されたとき、行雄は「全身が電気にうたれたやうな感激」におそわれ、政治への志を抱いたという。一時、父の転任にともない度会(わたらい)県(現三重県)で過ごした後、父はさらに熊本に赴任することになった。このとき行雄は、父母の干渉を嫌い、弟行隆と2人で東京へ向かった。

7年5月、兄弟は慶應義塾に入学した。行雄は自分の勉強不足を笑われることを非常に恐れ、学校にいる間は必要なとき以外一切口をきかない「無言生活」を送ることにした。8歳下の弟と同じ最下級から始めたため、周囲よりもはるかに理解が早く、行雄は次々に昇級していった。すると今度は優越感によって他人と口をきかなくなり、教師に対しては難しい質問をぶつけ困らせた。教師たちはその学力を認め1年も経ずに最上級まで上げた。また、風紀問題を取り上げ塾監局などに反抗し、学内で問題視されていた。

そして、あるとき論文提出を求められた尾崎は、優秀な若者が官吏を目指す風潮を批判し、自分で独立して生きるべきと主張する「学者自立論」を提出した。戻ってきた論文には、「議論は甚だよろしいが、それを実行する者のないのは遺憾である」という評が載っていた。これに反発した尾崎は、自分はこれを実践するつもりだと反論する論文を再提出。退塾し独立を目指して染物屋を始めることに決め、その準備として工学寮(のちの工部大学校、東京大学工学部)に入学した。英語を習った慶應の英語教師ショーが工学寮のダイヤーの親友だったため紹介してくれたという。

福澤との接点

尾崎は先述の経緯から慶應には1年半しか在籍せず、しかも、そのころの福澤は全校生徒に学問の心得を演説する程度で直接指導することはなく、在学中は接点を持たなかった。

その後、工学寮時代に勉強に嫌気がさし、授業中に書いた藩閥を批判する論文「討薩論」を福澤に読んでもらったところ、「こんなものを書くと縛られるぞ」と一言いわれたという。結局、論文は『曙新聞』に投書し、評価された。さらに工学寮を退学し専ら新聞への投書や書物の翻訳をしていた時期に、執筆した本を福澤に見せたことがあった。そのとき、福澤は毛抜きで鼻毛を切りながら斜めに尾崎の顔を見て、「おみゃーさんは、誰に読ませるつもりで、著述なんかするんかい」と聞いてきた。「大方の識者に見せるためです」と答えると、「馬鹿! 猿に見せるつもりで書け! おれなどは何時も、猿に見せるつもりで書いてるが、世の中はそれで丁度いいのだ」と言い、人を惹きつけるような笑い方で笑ったという。福澤の態度に反発した尾崎は以後訪問するのを避けるようになった(『尾崎咢堂全集』11)。

その後、明治12年に福澤の方から新潟新聞の主筆にならないかと誘いがあった。尾崎は2つ返事で新潟に向かった。このとき、福澤は新聞記者の心得として、「新聞に書くばかりでなく、同時に演説会を開き、目と耳と両方から、世間を嚮導(きょうどう)しなければならぬ。 それを自分の天職とせよ」とアドバイスした。このことが後の雄弁家尾崎をつくったといえるかもしれない。そのほか、商事思想の普及や県会の指導もアドバイスし、尾崎はその通りに実業家団体として北越興商会を設立し、県会の開設に尽力した。県会では書記でありながら、議長に散会を命じ、議事録に「愚論聞くに堪えず」と評価を書きこむなど、指導の域を超えた行動を見せた。

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