【三人閑談】
憧れのビスポーク
2024/12/20
知っておきたい「装いのマナー」
隅谷 着こなしを学びたい時に、かつてはファッション誌が強かったですよね。クラシコイタリアが流行ったのは『MEN’S EX』や『LEON』の影響が大きかったと思います。マニアックなネクタイの締め方も雑誌で勉強しました。
渡辺 雑誌が教科書でしたね。
隅谷 今は雑誌の影響力が弱くなっているので、青木さんのように良い先生との出会いは本当に大きいと思います。でも、誰もがそういう人に出会えるわけではない。
最近は男性でもネクタイの締め方をご存じではない方がいます。お医者様の中でも普段白衣の下にTシャツを着ている方は締め方をご存じではなかったり。スーツで座る時にジャケットのボタンを外すこともあまり知られていませんね。
渡辺 そうそう。写真を撮る時にボタンを締めてお腹を引っ込める方がいますが、それは違うんですよとお伝えすることがあります。でもそんなことは学校では教えてくれませんし……。
隅谷 最近、僕たちの研究会で美容ジャーナリストの齊藤薫さんが仰っていたのは、「美の概念が崩れてきている」ということでした。例えば、電車コスメ。車内でお化粧するなんてはしたないと昔は言われていましたが、今は普通に見かける光景になってしまっています。
変えてはいけないことと変えなければいけないことの分別ってありますよね。
渡辺 「装いのマナー」ですね。
隅谷 先ほど「服育」と聞いてなるほどと思いました。
渡辺 皆、知らなすぎます。
青木 その一方で、あえてルールを崩して楽しむ文化もありますよね。例えば、本切羽(ほんせっぱ)(袖口が開くジャケットのデザイン)で一番外側のボタンを外している人を見たら、「あの人、本切羽じゃん」と、嬉しくなったりします(笑)。
隅谷 ああ、やっぱり青木さんはスーツが本当にお好きなんですね(笑)。
青木 はい。でもそれはたぶん個人的に楽しんでいるだけで、とくに正解がある話ではないのですが。
隅谷 青木さんも試しにご自身で切羽のボタンホールを縫ってみてください。自分でやると、縫う人に感謝したくなります。
青木 なるほど。難しいのですね。
隅谷 そうなのです。ボタンホールはとくに難しい。
不揃いのボタンが格好良いわけ
青木 少し気恥ずかしいのですが、僕はボタンの縫い付けをあえて不揃いにしてもらっています。テーラーの方にはまっすぐ縫わないでくださいと。機械ではなく手仕事で仕立ててありますよというアピールですね。
隅谷 ボタンが不揃いのほうが格好良いとされるカルチャーの由来はご存じですか?
青木 知らないです。ぜひ教えてください。
隅谷 日本のテーラーは仕事が丁寧なので、きれいに揃える技術を持っています。それに比べると、イタリアのテーラーは仕事が雑です。ところが、そのイタリアのスタイルがトレンドになってしまいました。
その結果、不揃いがおしゃれとされ、流行るようになったのです。キートンのような有名ブランドのスーツでさえ袖口が波打っていたりします。
青木 なるほど。たしかに日本人のマインドなら真っ直ぐ丁寧に仕上げるでしょうね。隅谷さんの言うJAXUARYとは、そうした日本の几帳面さをもう一度見直そうという提案でしょうか。
隅谷 そうですね。僕は日本製の良さとヨーロッパ製の良さをきちんとアップデートしたいと思っています。日本のスーツはビシッとしていますが、まるで鎧のようで色気がないのです。日本のビジネスパーソンはポケットに財布や手帳など何でも入れたがるでしょう?
青木 そうですね。
隅谷 スーツはもともとそういうものとして作られていません。ポケットに色々な物が入っているのもエレガントではありません。ですので、ヨーロッパのテーラーたちは顧客にはっきりとバッグを持つように伝えます。
かつて日本のテーラーは、御用聞きのように注文を請けてきました。ポケットが丈夫なスーツがほしいという顧客からのリクエストにも真面目に応えてきたのです。すると、がちがちの芯地を入れるので分厚いジャケットができてしまう。
美しくないのも無理はありません。ポケットに何でも入れてしまうのは悪しき慣習だと思います。
シャツに対する考え方も違います。日本ではシャツを肌着の延長線上にあるものと考えられがちですが、ヨーロッパの人たちにとってはジャケットと同じアウターです。実は日本国内でシャツの工場がなくなりかけているのはご存じでしょうか。
青木 いえ、知りませんでした。
隅谷 スーツには数十万円かけるのにシャツはカッターシャツで良いと考える人が圧倒的に多かったのです。それによって丁寧な仕事をするシャツメーカーが減ってしまいました。最近は少しずつ変わってきていますが、ビスポークでシャツを作れるシャツ屋さんは今、国内におそらく5軒あるかないかです。
日本のテーラーが減っているのは、お客様のリクエストに真面目に応えた結果、スーツが美しくなくなり、イタリア製に負けてしまったからです。かつて百貨店などでイタリアのテーラーを呼んでオーダー会をやると、70万円もする縫製が雑なイタリアのスーツがよく売れるのに、丁寧に作られた日本の完璧なスーツが30万円でも売れないという状況が見られました。
青木 深く納得しました。僕がビスポークを好きな理由は、テーラーの方からこういう話を聞かせてもらえるところです。慶應では文学部西洋史学専攻を卒業したのですが、歴史や文化に触れられるのが本当に楽しい。ずっと聞いていられると思いました。
渡辺 そうですね。おしゃれには正解がないので、その歴史を繙いていくのはとても勉強になります。
隅谷 僕も普段、実際にオーダーされている方と自分の仕事について客観的に話す機会はほとんどなかったので、今日は貴重な体験でした。
(2024年10月3日、三田キャンパスにて一部オンラインで収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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