【三人閑談】
憧れのビスポーク
2024/12/20
テーラーとともに人生を歩む
隅谷 最近はDXが進んだことで安くて早く作れるスーツも増えています。中国で仕立てを1週間で行って5万円で作れてしまう店もあります。そういう状況に慣れてしまうと、「すぐできないの?」と仰るお客様も出てきます。
青木さんのようにスーツが好きで楽しんで作られる方は、今だいぶ減っている気がします。女性のスーツはいかがですか。
渡辺 私の肌感覚では、むしろ待つ楽しみを感じておられる30、40代の方が増えている印象です。ファストファッションはもうお腹いっぱいなのかもしれません。こういう生地でこうデザインしてはどうでしょうと提案すると、最初はなかなかイメージできない方もおられるのですが、それを想像するのが楽しいと言っていただけることもあります。
青木 やっぱり皆さん、作る時間を楽しんでおられるのですね。
渡辺 そうです。反対にお客様のほうから「この生地でこのデザインはどうですか?」と訊かれることもあります。そのような提案をいただけるのも嬉しいですね。
もちろん、生地によってはその特性上合わないこともあります。例えばスカートにすると張りが強く出すぎてしまうとか。そういう時には、「こうしてはどうでしょう」とこちらから逆に提案し微調整をします。
私たちの場合は1つのきっかけからオーダーを始めてくださるお客様がいて、そういう方々と一緒に年齢を重ねていく関係もあります。お子様の入学式で初めてスーツを作った方が、卒業式や結婚式といった特別なシーンに合わせて新たにスーツを仕立てる。一緒にライフステージを歩む感じですね。
単なるプロダクトとして洋服を売るという以上に、お客様と関係を深めながら人生を楽しめるのはとても楽しい仕事です。
隅谷 渡辺さんは本当に楽しそうに語りますね(笑)。
渡辺 お付き合いが長いと、お客様ともつい話し込んでしまうんです。会話が弾むと、後で「今日は何を決めたんだっけ?」となることもあります(笑)。そうしてお客様との距離が縮まることも接客の面白さなのですが。
青木 話が盛り上がると、ついその日の工程のアジェンダを忘れてしまうことはありますよね。
渡辺 そう。その代わり、プロダクトではないところの深みが生まれます。
隅谷 やはり長年にわたって築かれた信頼関係が大きいのでしょうね。
“服育”で学ぶ
隅谷 ちなみに青木さんがスーツを作る時は、どのような動機でテーラーに行かれるのでしょうか。
青木 スーツの着こなしが格好良い人たちを見ると、自分もつい作りたくなって出かけてしまいます。上手に着こなしている人たちのシャツの色や、ネクタイ、チーフのバランス、あるいはこういう生地だとこういうふうに見えるといったことをいつも観察しています。スーツは仕事で身に付ける戦闘服ですが、ビスポークは本当に趣味の領域です。
隅谷 私は、ビスポークの文化はますます着物に近づいていくと思うんです。きちんと誂(あつら)えたスーツで出かけると、ホテルやお料理屋で働いている人たちには、きちんとしていると伝わります。スーツを仕立てる文化が若い人たちを中心に、良い形で残ってほしいと私は常々思っています。
渡辺 青木さんがスーツを好きになったのは、何か特別なきっかけがあるのですか?
青木 テレビ局に入社するまでは、所謂リクルートスーツを入学式と卒業式で着るくらいでした。スーツの着こなしをいろいろと教えてもらったのは、日本テレビのアナウンス部です。それこそベルトの色と靴の色と時計の色を合わせるといった基本的なルールから教わりました。
日テレのアナウンス部はスーツの着こなしに厳しいのです。初めてボーナスが出た時には、先輩から「革靴を買いに行こう」と誘われました。最初は自分のボーナスの使い道をどうして人に決められなくちゃいけないのかと思いました。ですが、その靴は今もリペアに出したりして、メンテナンスしながら履いています。
基本的なことを先輩から教えてもらいハマっていった形ですね。
渡辺 日テレには“服育”があったのですね。
青木 服育! いい言葉ですね!
渡辺 私はそれを学校教育でも採り入れてほしいとずっと思ってきました。コージアトリエでは慶應の幼稚舎と横浜初等部と中等部の制服のデザインを監修させていただいています。正装の文化や、相手に敬意を表す時の洋服、あるいは、なぜ正装するのかといった装いから学ぶ文化を教育の中で広めていってほしいと思ってきました。
青木 僕のように着こなしを教えてくれる人に出会えるかどうかは、環境次第で大きく変わりますからね。うちには今小学生の息子がいますが、僕は将来、彼のファーストスーツを作りに行くのが今から楽しみで仕方ありません(笑)。うるさく口出ししてしまいそうなので気をつけないといけませんが。
ジェームズ・ボンドがお手本
隅谷 ちなみに青木さんは、後輩や知り合いにもビスポークを勧めるとしたら、どんなところをアピールしますか?
青木 まず第一に、所作がエレガントになることでしょうか。大事に作ったスーツに袖を通す時は、自然と丁寧に扱うし背筋も伸びる。手をかけ、時間をかけて作ったものに袖を通すのはすごく良い経験になるということは伝えたいですね。
手軽に手に入るようなものだと、雑に扱ってしまう人も多いじゃないですか。ビスポークではきっとそういうふうにはなりません。雑な印象を与えるのはアナウンサーとしてよくないので、見た目が与える清潔感という意味でも、アナウンサーの後輩には是非勧めたい。
隅谷 でも、日本のアナウンサーにはおしゃれな方が多いですよね。ヨーロッパのテレビはアナウンサーがおしゃれに見えないんですよ。
青木 日本はスタイリストが付いていることが多いので、最低限のことは教えてもらえるんです。スーツの着こなしで私が憧れるのは俳優の谷原章介さん。いつも本当に格好良くて毎朝8時に谷原さんの番組をチェックしています(笑)。
隅谷 僕が憧れるのは、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアの頃の007の着こなしです。色気があってとても格好良い。007を見ると、スーツを着たくなります。
青木 僕もそう。世代的にはダニエル・クレイグですが、ジェームズ・ボンドの着こなしの格好良いところは、戦えることがまず1つ(笑)。それと同時に、007は劇中で女王陛下に謁見する可能性があるんです。だから彼の着こなしはいつもエレガンスさをまとっていて格好良い。
隅谷 英国スーツと言えばチャールズ国王。スーツの着こなしがやっぱり格好良いのです。日本の上皇陛下もすごく素敵です。
渡辺 英国王室のファッションは私もいつも気になっています。とくにキャサリン妃の着こなしは、王道のスーツを着ているのに、一部にファストファッションを取り入れたりして少し“外し”が入っているところに感心します。すべてオーダーではない絶妙な匙加減が素敵です。
隅谷 “外し”を入れて抜け感を作るのですね。
渡辺 そう。でも、それが嫌味にならない。本当に勉強になります。
コージアトリエでは、日本の皇室のスーツも仕立てさせていただいています。いつもとてもフォーマルなドレスをご用命いただくのですが、いつかキャサリン妃のようなファッションもお召しになっていただけたらなと密かに思っています。
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