三田評論ONLINE

【三人閑談】
格闘王国 ブラジル

2024/09/09

幅広い層に楽しんでもらうために

小堤 笹森さんのところには色々な方がいらっしゃるそうですが、人や年齢により、コースを分けたりしていますか。

笹森 基本的に皆同じです。年齢などで区別は一切していなくて、違いは大人と子どもぐらいです。それぞれができる範疇でやってもらえばいいので、最初は足が上がらない人もやっていくうちに、だんだんできるようになります。

小堤 少林寺拳法も、初心者には皆同じ練習をしてもらいます。経験者で、すでに段位を持っている人が入って来ると分けますが、基本的には先輩が後輩を指導します。

松田 OBのコーチもいるのですか。

小堤 OBのコーチも来ますが、基本、自主運営です。技術以外にも、学生たちに色々な経験を積んでもらえる。大学の少林寺拳法部は特にそういう面が強いかもしれません。

笹森 練習の中で何を学んでいくか、というようなところですか。

小堤 そうですね。そこは本当に、チームとしてどう運営していくかも考え、色々な意味で学ばなければいけない。

教える立場になると、責任感が生まれ、技術も後輩にどう伝えたら理解し習得してもらえるかを、一生懸命考えるようになる。それはいい経験になっているのではないかと思います。

松田 大学の部活動ならではの面白さですね。うちの道場は年齢が高めで、平均年齢は40代後半です。

小堤 そんな時から始めて大丈夫ですか。

松田 大丈夫です。40歳以上をメインターゲットにしていて、柔術をライフスタイルにして一生楽しんでいくことを目指しています。

笹森 体力的なものは、そんなに要りませんか。

松田 あまり要らないですね。グレイシー柔術は生き残ることに特化しているので、体力を消耗したら負けです。スパーリングや路上での実際の格闘においても、自分は極力動かずに体力を温存する。相手ががむしゃらになり体力を使い果たしてくれれば、体格差も筋力差も埋められる。極力何もせず、エネルギー効率よく動く、そういう練習をします。

小堤 カポエイラは体力が要りそうですね。

笹森 年代とか、自分の体の状態により、チョイスする動きや戦略が変わってくる感じです。どちらかというと競技に近く、カポエイラの試合に、どう挑んでいくかというようなところがあります。

小堤 試合とは、演舞のような感じですか。

笹森 いや、実際に闘っています。ただ、その闘いも色々な方向性があるので、その組み合わせにもよります。年齢は、うちだと一番上が70歳ぐらいで、一番下は3歳ぐらいですが、年齢も体力も一切関係なく、それぞれできることをやるし、レベル差があれば下の者を尊重してレベルを少し下げてやるという世界です。

松田 ランニングなど、基礎的なトレーニングのようなものはありますか。

笹森 ほとんどの動きそのものが基礎的なトレーニングになっている感じです。例えば、逆立ちや側転をするような動きをたくさん練習すれば、当然そういう身体になっていきます。トレーニングの一環として、腹筋を取り入れていますが、筋力トレーニングはほぼないと思ってもらっていいです。

小堤 普段、あまり運動をしない方も取り組みやすそうですね。

笹森 うちの会社でも最近、クリエーター向けに体験会を始めました。体を動かさない人でも大丈夫なものを教えています。

競い合うことの是非

小堤 私自身、総合格闘技の試合への憧れはあるのですが、大会に出るとなると、会社のこともあるのでなかなか難しいです。経営者仲間で大会に出ている人もいますが、彼は週6日総合の練習をしています。そこまでできるかというと……。

松田 難しいですよね。

小堤 本当に難しい。少林寺拳法の道場、あるいはジムを開いてほしいというオファーをいただいたこともありますが、実際やるとなると大変だと思うので、今はちょっと無理かなと。60歳ぐらいまで総合格闘技を練習し、オーバー60の大会があったら、出てみたいと思いますね。

松田 年齢別にカテゴリー化された大会があると、面白いですよね。カポエイラには大会はあるのですか。

笹森 元々が勝敗を決めるものではないですが、大会をやるところもあります。大会では色々な要素で採点をする形式になっています。

松田 採点競技になるわけですね。

笹森 そうです。ただ、そうなるとどうしても派手な、見栄えのするものが高く評価されがちです。それはどうなのかと。

例えば、古い流派にすごく儀式的で、ゆっくり床の近くを動くような動きをメインとしているものがあります。そこの高名なマスターが大会に出ても評価されなくていいのか、と思うわけです。

派手な舞台で、衆目の中評価されたいという、大会に対する情熱が皆を引き寄せるのもわかるので、自分は否定はしませんが、肯定もできない感じです。

小堤 競技スポーツと違うのですね。

笹森 だいぶ違うところがあります。

松田 スポーツブラジリアン柔術は、年齢が高い方も参加しますし、楽しんでいる方も多い。年齢カテゴリーも5歳刻みにマスター1(30~35歳)、マスター2(36~40歳)と細分化されているので、自分の年齢と、体重、帯の色などで、競い合うことを楽しんでいます。

笹森 競技であれば、基本的には勝てなくなる時が引退、となるかもしれませんが、ブラジリアン柔術のように、年齢のカテゴリーがあると、引退もなく、かつ自分を認められるという、すごくいいモチベーションを保てる環境がありますよね。よくできていると思います。

先ほどグレイシー一族のデモンストレーションの話がありましたが、カポエイラにも中興の祖のような先生がいて、自分の直系の師匠にあたります。その人がカポエイラを近代化させ、かつ合法化に導き、その先に裾野が広がっていったのです。

その先生も同じように、カポエイラの有効性を見せるために、リング上で他競技の選手と闘って全勝して、カポエイラの新しいスタイル、有効性を示してみせた。世の中に働きかけるには、強さも1つ大きい要素なのかなと思いました。

カポエイラ・柔術を通して学べるもの

小堤 ブラジル人に武道精神のようなものはありますか。

笹森 武道的な精神があるかというと難しいですね。カポエイラは裕福な人たちがやっていたわけではないので。奴隷が解放された後、稼ぎようがなく悪事にカポエイラを使う人たちもいました。そうした行為から、禁止になっていた時期もあります。

そういった悪いイメージを一新するために、中流階級の白人にもカポエイラを教えるなど、在り方を変えてきました。練習も屋内で行うようにし、職業をきちんと持っている人でないと道場は受け入れない、といった改革を行ったのです。

小堤 それは今の総合格闘技の世界にも必要かもしれません。総合はもう、試合会場や来場者の雰囲気からして違うじゃないですか。

笹森 でも、そういう何か鬱屈したものが、正当な場できちんと発揮できることは1つ、格闘技のよいところかもしれません。一種の発散ではないですが、その中で何か精神が養われることもあるかと思います。

そういう集中できるものがあるから、悪事に手を出さないで済むことは、道を説くとは少し違う方向ですが、人をよい方向に導くと思います。

松田 そこは武道に通じるところがあるかもしれません。笹森さんはカポエイラを通してどのようなことを伝えていきたいですか?

笹森 格闘技は直接人と触れ合う機会が多いとも言えます。今、人と人との距離って、すごく遠いじゃないですか。マンションの隣に住んでいる人でさえ、どんな人かわからない。だけど、カポエイラはもちろん、柔術も、やれば人が集まり、直接手を交えられる。そうすることでわかり合える面もあると思います。

また、同じ競技をすることで、コミュニティとしても、心の近さなども感じられる。特にブラジルつながりのものには、なおさら彼らの明るさのようなものも根底にあるだろうし、そういった一面も、競技を通して伝えられるのではないかと思います。

ブラジル的な「大きい家族」のような温かいコミュニケーションをもって、カポエイラを通じ日本に貢献していきたい気持ちがあります。

小堤 身体を通じて修練することは、自分という人間をよく理解する1つの手段だと思っています。最終的には結果を全部、自分のこととして捉え、自分の今の技量に向き合い、きちんと見つめ直さなければならない。相手がいれば、その相手のことを理解する必要もある。

距離感という言い方もできるかと思いますが、人というものをより理解するのに、少林寺拳法はすごくいいツールだと思います。それはどんな武道であれ、格闘技であれ、根底に通じてあるものだと思います。

私は今、大学を中心に、外でも教えることがありますが、日本だけではなく、世界中で、そういった考え方がいい形で広まっていってほしいと思います。自分のこと、相手のことを理解することの大切さが、これからの時代、より必要になるのではないかと。

松田 1つ重要なキーワードになってくる言葉がエゴかと思います。人間、誰しもエゴはありますが、特に柔術、護身、グレイシー柔術をやっていくことで、自分のエゴというものを認識できる。

40過ぎで柔術にどう向き合うか、というコンセプトの中の1つにエゴが出てきますが、いずれ自分よりも下だった者との実力が逆転して、その人に負ける日もやってくる。その事実もしっかり受け入れる。

いつまでも自分が最後まで強いと思い続けるのは、エゴであり、幻想でしかないので、それをきちんと認識して、相手が成長した、と称えられるようになれるくらい、人間として成長しなければいけないと思います。

そうすれば、もっと自分にとって大切なこと──60、70歳になっても柔術ができるという素晴らしい喜びを得られる。そのエゴを認識して自分の中で昇華できたら、もっと自分の人生を長く楽しむことができるのではないかと思います。

小堤 そのような考えで、格闘技と長く付き合っていきたいですね。

(2024年6月21日、慶應義塾大学三田キャンパス内で収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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