【三人閑談】
格闘王国 ブラジル
2024/09/09
総合格闘技における活躍
松田 最近、カポエイラやブラジリアン柔術出身の選手が総合格闘技で活躍するケースが多いようですが、これはどんな要素が大きいのでしょうか。
小堤 ブラジルというくくりで、どこを関連づけるかは難しいとは思います。少し前だと、空手の世界でも、ブラジルがすごく強い時期がありました。フランシスコ・フィリォが極真空手の世界チャンピオンだった時の試合を観ましたが、闘い方に非常に柔軟性を感じました。日本の武道は、どうしても「こうであるべき」という傾向が強く、型にはまりやすい。
でも、私がブラジリアン柔術や総合格闘技の練習に行った時、ジムや道場の空気は何か日本の武道とは違うと感じました。自分のやりたいことをマイペースでやる。それぞれの個性を尊重し、お互いに切磋琢磨していく。そういう柔軟さがある。
その一方で、やる時にはものすごい練習をしている。漫画『巨人の星』に出て来るような、猛烈に前時代的な根性丸出しの練習も恐ろしいほどやっている。そういう両面があるところがすごく面白い。
松田 笹森さん、先ほどのお話だと、カポエイラには変則的な動きが多いようですが、総合格闘技の選手にとって、その動きは読みにくいものなのでしょうか。
笹森 私自身、UFCの試合もよく見ていますが、あれぐらいのレベルになっていくと、普通の攻撃はそうそう効かなくなる。そうなった時、カポエイラ出身の選手や、その動きを学んだ選手の攻撃というのは非常に有効なのではないかと思います。
小堤 総合格闘技の試合で、カポエイラの動きを取り入れたりしたことはありますか?
笹森 試合ではないのですが、軽くスパーリングなどをしている中でやってみたことはあります。蹴りの軌道を軽く曲げたりするだけでも、普通は相手は対応できないですね。
日本の柔道とグレイシー柔術
小堤 グレイシー柔術は前田光世が持ち込んだ柔術が元になったということですが、日本の柔道と似ている点もあるのでしょうか。
松田 現在の日本の柔道とは随分違うのではないでしょうか。柔道は嘉納治五郎が柔術を近代化させたものですが、グレイシー柔術と大きく違う点は、嘉納治五郎は、寝技を投げ技ほど重要としていなかった。
ブラジルには黎明期の柔道が渡り、その中で最初に習ったグレイシー一族、特にエリオ・グレイシーは細い体格のため、柔道の技は彼にとって困難だった。そのため、すべてのテクニックを修正し、力やスピードよりもテコの原理とタイミングを重要視する寝技中心のグレイシー柔術を生み出した。日本柔術というお父さんから、投げ技や立ち技中心の柔道というお兄ちゃんと、寝技中心のグレイシー柔術という弟に分かれたようなイメージかと思います。
小堤 日本の柔道でも高専柔道は、寝技が強い人が有利なルールになっています。大本のルーツとして、日本の柔術を考えると、すごく面白いですね。
私も、元々大らかに行われていた競技が、どんどんルール化され、区切られていくのは、あまり面白くないと思っています。例えば高専柔道の試合で、審判が試合を止めることなく、10分間ずっとやり続けるのは、すごいと思いました。
笹森 ブラジリアン柔術を実際にやり、少林寺にこういう動きが生かせるとか、こういうところは似ていると感じることはありますか。
小堤 体幹の使い方が全然違うと思います。ブラジリアン柔術の体幹の使い方を取り入れることで、打撃が強くなる。
あとは、逆に寝技の中で、どうやって少林寺の技を使えるか、ずっと考えながらやっていました。ただ、反則になってしまう技も多々あるので、そのあたりは気を遣います。
松田さんに聞いてみたいのですが、柔術で、相手の痛点やツボを攻撃するのはありなのでしょうか。
松田 スポーツブラジリアン柔術のルールはちょっとわかりませんが、グレイシーでやっている考えや練習はスポーツ柔術とは異なります。
例えば、スポーツブラジリアン柔術では打撃は禁止ですが、実際に路上でもめ事になり、マウントを取られて殴りかかられた時に、どう対応するか。それを第一に考えます。他にも首を直接わしづかみにして絞められた時に、それをどうやって外すかということもやります。
もちろん、目つぶしや急所攻撃、かみつくとか、本当に危険なことはやりません。しかし頭の中では、「相手がそういうことをしてくるかも」という想定でスパーリングをします。
笹森 護身術だから、襲いかかってくる危険がある世界でどう動くか、ということですね。
松田 これはヒクソン・グレイシーの言葉の受け売りですが、昔、ブラジルにグレイシー柔術が生まれた頃、人々は自分の身を守る方法、予期しない事態に対処する方法を学びたいと思い、道場に通った。当時、ブラジルは治安も悪く、物騒だったため、柔術はスポーツではなく自己防衛のための手段だったのです。路上で何か厄介なことがあっても自分の身を守るための技術、理念、自信を身につける、それが、当時の人々が柔術を学ぼうとした一番の動機でした。
小堤 やはり護身の面が強いのですね。
松田 その後に、柔術対柔術というセルフディフェンスの高いレベルでのゲームを楽しみ始めますが、根底にあるのは護身です。そのため、総合格闘技にもそういった要素──何でもありの一面があるのではないかと思います。殴ったり、投げたり、寝技で抑え込んだり、時には寝技から殴りに行く。ストリートと同じ、ルールのない世界と共通しているところもあります。
ヒクソンが総合格闘技の試合でマウントパンチを見せた時に、「何だ、あれ。子どものけんかじゃないか」と笑われたという話もありますが、それをあのトップのレベルでできること自体がすごい。一見、けんかに見えるけれど、そこに至るまでの考え方や洗練された技術などはまるで違う。
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