【三人閑談】
格闘王国 ブラジル
2024/09/09
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松田 紀太朗(まつだ きたろう)
KJJ慶應柔術三田会代表。1996年慶應義塾大学環境情報学部卒業。
卒業後から現在までロサンゼルスのグレイシー柔術アカデミー(グレイシーユニバーシティー)にてグレイシー家より直接柔術を教授され、近年はセミナーのアシスタント・通訳として携わる。 -
笹森 智之(ささもり ともゆき)
カポエィラ・テンポ笹森道場代表。
2006年慶應義塾大学環境情報学部卒業。ブラジルでカポエイラの研修を受け、指導者へ。一方で、バンダイナムコスタジオでクリエイターとして働く。動画投稿、総合格闘技練習など幅広く活動する。
カポエイラ、柔術との出会い
笹森 私は高校でカポエイラ(格闘技と音楽、ダンスの要素が合わさったブラジルの文化)を始め、大学在学中にはサークルを立ち上げました。社会人となった後も続け、今では道場主も務めさせてもらっています。
ただ、最初はカポエイラをやるつもりはなかったんです。当時、総合格闘技がすごく人気で、「俺もこれをやるぞ!」と思っていたのですが、いざやろうとすると、ものすごい身体能力を持った選手だらけの世界なので、そうそう勝てないだろうと思って。
そこで、行き着いたのがカポエイラでした。
小堤 カポエイラは、どういった競技なのでしょうか。
笹森 簡単に言うと、足技が中心の格闘技です。足技自体は他の格闘技にもありますが、カポエイラの技は地面すれすれに動きながら蹴りを放ったり、逆立ちをしながら技を繰り出したりと様々な動きがあります。総合格闘技は、転んでもそのまま闘うし、投げ飛ばされても闘うこともある何でもありの競技なので、その中で、カポエイラの多様性のある動きは有効なのではないか。そう思ったのも始めた理由の1つです。
小堤 松田さんは、実際にグレイシー柔術をやろうと思われたきっかけは、何だったのでしょうか。
松田 僕は環境情報学部を卒業してからアメリカに留学した際にグレイシー柔術に出会いました。元々、格闘技に興味があったわけではなく、何か体を動かしたいと思い、現地の電話帳の「ジム」というカテゴリーを見たら、そこにグレイシー道場が載っていたのです。当時、UFC(Ultimate Fighting Championship) という総合格闘技団体で、ホイス・グレイシーが活躍して有名になったこともあって、名前は知っていました。
始めてみると、武術、護身術をメインにやっていて、いわゆる総合格闘技のイメージとは全然違い、あまり怖くなく、やりやすいと感じました。僕は日本に帰ったらSFCで体育の先生になりたいと思っていましたが、実際に何を教えるか、専門分野があまりなかった。そんな時、グレイシー柔術に出会い、護身の武道のため学校教育として授業で教えるのに適しているな、と思いました。
SFCで体育の非常勤講師を14年間勤めた後、現在は柔術の道場を主宰しています。グレイシーの認定トレーニングセンターではありませんが、グレイシーで学んだ理念や技術を受け継いで教えています。
小堤 私も、元々総合格闘技をやりたかったのですが、塾生だった当時は学内にそうした競技をできる団体が何もなかった。そんな時、理工学部の少林寺拳法部がすごく強いと聞いて、入部することにしました。少林寺拳法は全然知らなかったのですが、4年間、一生懸命やって、大会で優勝することもできました。
その後、空手や、様々な競技を学んでいたのですが、結婚前に、最後に何かやり残したことはないかと思った時、寝技をやっておこうとブラジリアン柔術を始めたんです。
ただ、やってみると、打撃は今まで取り組んできたこともあり、他の格闘技でも通用する部分はあったのですが、柔術でスパーリングをした時には何もできなくて。とにかく衝撃でした。
笹森 寝技だったから、打撃をやっていても通用しなかったと。
小堤 そうです。寝たら何をしたらいいのか、まずわからない。殴ろうにも、あんなにきちんと倒されて抑えられたら無理、というような感じでした。
カポエイラ、柔術の成り立ち
小堤 カポエイラでは踊りや音楽も重要な要素と伺いましたが、殴り合う格闘技とは少し違うものでしょうか。
笹森 そうですね。成り立ちが不明であるのが1つ大きいです。16世紀にアフリカからブラジルに、労働力として黒人が大量に奴隷として連れていかれ、恐らくその頃にできたと類推されています。500年ぐらいの歴史がありますが、どういう経緯で、何が混ざってできたのか、はっきりわからないのです。
おそらくアフリカの色々な部族が集められた際、言葉が通じなくても、身体の動きを通じてコミュニケーションを取ることはできた。そうして自分たちのアフリカの文化を共に楽しむことで、仲間意識を高めるという意味合いもあったのではないかと。踊りの要素、音楽の要素が混ざっているのも、そうした影響が強いのではないかと思います。
松田 色々とミステリアスな部分が多いですね。
笹森 ただ、発祥があいまいな分、誰かがつくったものが、その後、分派して、色々問題が起きていくようなことは逆にない。それぞれが自由にやっているので、流派によって技の名前も違ったり、ルールや考え方も全然違ったりします。
小堤 なるほど。ブラジルで柔術というと、グレイシー柔術と、ブラジリアン柔術。この2種類がありますが、違いはなんなのでしょうか?
松田 混同されがちなのですが、グレイシー柔術は競技スポーツではなく護身を根幹の理念とした武道で、その起源は日本の柔術だと言われています。元々柔術は日本の戦場でできたもので、後に嘉納治五郎が柔術を近代化させて講道館柔道としました。その嘉納治五郎の弟子である前田光世がブラジルに渡り、グレイシー一族に授けたのが、いわゆるグレイシー柔術の起源とされています。
小堤 なるほど。
松田 グレイシー一族が日本の柔道を修正し、寝技を主体としたグレイシー柔術を確立しました。その後、柔術のスポーツ面が発展しブラジルで広まり、ブラジリアン柔術となったのです。
笹森 つまり、元を辿れば同じ柔術、ということなのでしょうか?
松田 そうなると思います。ブラジリアン柔術も元々はグレイシー柔術なのですが、だんだんスポーツ的な要素が濃くなり、護身的な要素が省かれ、競技として確立していった。寝技を主体として、絞め技・関節技などを用いて競い合う格闘技ですね。ブラジリアン柔術と聞くと、こちらのスポーツ競技を連想される方が多いのではないのでしょうか。
似ている部分は多くありますが、護身に重きを置いているのか、スポーツに重心を置いているのか。それが大きな違いかと思います。グレイシー柔術にもスポーツの側面はありますが、優先事項は競技で競うことではなく、実際のシチュエーションでどう身を守るかです。まず護身を核として身につけ、その後に柔術対柔術を始めることで、「最高の護身術」であると同時に「素晴らしいスポーツ」として両立させています。
小堤 松田さんのところに習いに来る人は、グレイシーとブラジリアン、どちらをイメージされていることが多いのでしょうか?
松田 バラバラの人が多いですね。僕らくらいの年齢だと、ホイス・グレイシーやヒクソン・グレイシーなどをイメージされている方が多いようです。最近の方だと、テレビや動画でブラジリアン柔術を見て問い合わせてくることもあります。
ただ、いわゆるブラジリアン柔術を見て興味を持った方は、柔術を競技として捉えています。
そのため、うちはスポーツ柔術の道場ではないこと、グレイシー柔術はまず先に護身がありスポーツはその後にあるもの、という説明から始めます。やりたいニーズと、こちらが教えることに齟齬があると、申し訳ないですし、こちらが一方的に押し付けるものでもないですから。
小堤 少林寺拳法でも、同じジレンマがあります。というのも、入部希望者の中には、ガンガン格闘技をやりたい若者が来ることも多く、そのニーズには応えたいのですが、少林寺拳法も根本は護身術のため、彼らが思っているよりもどうしても地味に見えてしまう。
正直、私が色々格闘技をやっているのも、彼らのニーズを受け止め、こうやったら強くなれるよ、でも、その先に護身や精神的成長があるんだよ、ということを、少林寺を通じて教えていきたいという想いがあるからです。
笹森 カポエイラはそこが難しいですね。先ほども言ったように、流派ごとで色々と異なる部分も多いのです。だから、何を見て道場に来たのかを聞くようにしています。例えばゲームを見て来たのか、フィットネス的な感覚で来たのかを聞きながら、全体の説明をしています。完全にカポエイラを理解して来る人はいないと考えています。
一見、何をしているのか、すごくわかりにくいので、全部、最初に説明します。だんだん格闘的な要素、アクロバット的な要素もできるようになりますよ、と。
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小堤 啓史(こづつみ ふみと)
株式会社キッド代表、慶應義塾大学理工学部体育会少林寺拳法部総監督。
1994年慶應義塾大学法学部卒業。様々な格闘技に触れ、今は趣味で総合格闘技に打ち込んでいる。