【三人閑談】
知れば詠みたい現代短歌
2024/06/10
結社という文化
穂村 お二人は短歌結社に入られていますよね。それも外部の人にとっては謎の文化に見えるかもしれない。〈心の花〉や〈塔〉を知らない人が「〈塔〉に入っている」と聞くとラプンツェルの世界をイメージしそうだよね。
鈴木 逃げられなさそう(笑)。
穂村 お二人はどういう経緯で結社に入ったのでしょうか。
鈴木 私は俵さんの本で永田和宏さんや吉川宏志さんを知ったこと、ちょうど働きはじめた京都を拠点にしていることから、伝統のあるところで勉強しようと〈塔〉を選びました。
田中 私は〈心の花〉に入っていますが、どちらも現代の短歌界では十指に入る老舗ですね。〈心の花〉は昨年125周年を迎えました。
〈塔〉は永田和宏さん、河野裕子さんご夫妻を中心に吉川宏志さんや栗木京子さん、さらには角川短歌賞受賞者を何名も輩出しています。〈塔〉の活動は何年ぐらい続いているのでしょう。
鈴木 この4月に70周年記念号が出ました。
穂村 どちらもすごいよね。『心の花』は雑誌の歴史が日本で五指に入るでしょう。
田中 雑誌としては古いですね。私の場合は中野サンプラザで月1回歌会をやっているのを知り、どういうものか見てみようと飛び込んだのが最初です。自分の歌に意見をもらいたいと思い、高校3年生の学校帰りに制服姿で初めて参加しました。
そうすると、大事にしてくれるんですよ、若い世代を。角川短歌賞受賞当時は短歌界の高齢化の中、子役デビューではなく孫世代デビューみたいな感じでした(笑)。
歴史と繫がる感覚
田中 〈心の花〉では今、伊藤一彦さんが毎日新聞の歌壇の選歌をやっていて、読売新聞を俵さんが、朝日新聞を佐佐木幸綱先生が担当しています。でも結社の中にいると125周年を迎えてもまだ青春期みたいな感じもある。
幸綱先生のご祖父様の佐佐木信綱先生が最初に「広く、深く、おのがじしに」と語り、それぞれの持っているものを大切にしながらという思いがあったからこそ、今もいろいろな人たちが集まってくる。死刑囚の人たちが刑務所から作品を送ってきたりもします。年齢層も幅広く、来る者拒まず去る者追わずです。
穂村 結社にはどのくらい教育性があるものですか。
田中 〈心の花〉の東京歌会は毎月1回、世代も仕事もさまざまな人たちが三十一文字を持って集まるのですが、そこでは忌憚のない意見が交わされます。その中でこんな見方があるのかとか、それならばここを作り替えてみようといった具合に自分自身が探求する感じです。
こうした歌会が全国主要都市をはじめ、26カ所以上で毎月開催されています。歌会でコメントするには素養も必要なので、さりげなく勉強して臨みます(笑)。教育っぽさはなく、三十一文字に一生懸命向き合う中で、自然に学べている感じです。
穂村 添削されたりはしますか。
田中 私はあまりありませんでした。こうしたほうがいいのではという意見は飛び交いますが、「おのがじし」なのでこうでなくてはならない、と強制されません。ただ、添削希望者には選者が丁寧に添削するシステムもあります。
鈴木 〈塔〉も基本的には同じで、歌会は詠みを学ぶ場ですね。SNSを見ていると「いいね」がつく歌を作りたい誘惑にかられますが、結社では長い歴史の中の詠み人知らずになれるところがあります。自分が短歌の歴史の中にいるのを知ることが重要ですね。
穂村 〈心の花〉は今、佐佐木幸綱さんが先生だと思いますが、ご祖父様の佐佐木信綱は与謝野鉄幹や晶子と同じ世代ですね。岡野弘彦さんも釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))の晩年にお世話をしていたお弟子さんで、そういう方と接すると、この人は折口と一緒に住んでいたんだと、歴史に直結する感覚があります。
田中 私が今、10年ほど受け持っている國學院大学の短歌の授業を、それまでずっと担当されていたのが岡野先生でした。國學院では折口が残そうとしたものを現代の学生にも知ってほしいということで、教授陣から折口も含めた和歌の魅力を大学で語ってほしいと言われました。
穂村さんのように、折口も当時、美意識、表現方法まで、いろいろな挑戦をし続けた人でした。今の慶應の学生にも、ぜひ折口のチャレンジ精神や多彩で多様な表現に触れてほしい。歌壇で由緒のある賞の1つに折口の業績を称えた迢空賞がありますが、慶應の中でも折口の意義と価値や、現代短歌の可能性を講義する場があっていいのではないかと思っています。
穂村 作家の北村薫さんのお父さんが慶應で折口門下でした。北村さんは父の日記を基に『いとま申して』という三部作を書かれています。その中に三田時代の折口の横顔が日記や資料を使って書かれていてすごく生々しい。折口のすごさと恐ろしさみたいなものを感じます。
短歌に流れている時間
穂村 佐佐木幸綱さんはよく短歌の特徴は2つあると仰る。1つは五七五七七の音数律を持つ定型詩であること、もう1つは1000年以上の歴史を持つ伝統詩であること。この横軸と縦軸の交点にあるという言い方をされます。
最初は定型詩の形式がパズルみたいで面白いと思って僕は始めましたが、短い音数律に何を求めるかは個人差があると思います。鈴木さんはどうですか?
鈴木 最近「100分de名著」でフロイトの『夢判断』を取り上げていましたが、夢を見る時というのは、学校の友だちが職場に現れたり、別々の場所が地続きに構築されていたりといろいろな記憶が混ぜ合わさっています。私は実際に体験したことをそのまま書くというより、いろいろな記憶のレイヤーを重ねて新しい世界を生み出そうと考えます。定型詩の形式が「夢」のようなイマジネーションを引き出して、増幅してくれるんです。
穂村 鈴木さんにはそういう短歌がありましたよね。
鈴木 「思い出は増えるというより重なってどのドアもどの鍵でも開く」ですね。
穂村 この歌には今仰った感じが現れていますね。思い出は時系列で増えるように感じるけど、確かに夢では混ざっている。時間や空間が混ざって「どのドアでもどの鍵でも開く」と鍵の意味がないんだけど、確かに夢の中ではそんな感じがある。
田中 私にとって三十一文字は1400年のタイムマシーンみたいな存在です。『万葉集』や『古今和歌集』のような教科書で習う世界だけでなく、戦国時代に伊達政宗や豊臣秀吉、徳川家康らも短歌を一生懸命詠んでいましたし、幕末でも吉田松陰門下の久坂玄瑞や高杉晋作らが歌を詠み遺しています。
歴史の教科書に載るキーパーソンの多くが実は歌を詠み遺していることに驚きます。そういうことを知ると詩型そのものがいろいろな時代の鍵を開けられる装置なんだと実感します。
私はぜひ今のビジネスパーソンに短歌を詠んでほしい。仕事でも人生でも喜びや悲しみを重ねている人たちがどんな歌を謳うのか興味があるんです。
田中 ある時代までは政治家や会社経営者も歌を詠んでいました。教育者もさまざまな歌を詠み遺しています。辞世の歌の文化もあった。三十一文字で何かを語る文化がこの1400年で培われてきました。
穂村 昔、馬場あき子さんと岡井隆さんと永田和宏さんと僕で、『新選・百人一首』と題して政治家や軍人、絵描き、物理学者といった文学から遠い世界の人たちの短歌を選んだことがありました。
田中 それは素晴らしいですね。
穂村 やはりある時代までは皆短歌を遺しています。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の歌集が何冊か出ていて、僕なんかより全然古典を読み込んでいるわけ。小津安二郎は短歌どころか長歌も書いているし、そう考えるとわれわれはいつからか短歌を作るハードルを感じるようになってしまった。
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