【三人閑談】
知れば詠みたい現代短歌
2024/06/10
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田中 章義(たなか あきよし)
歌人。
1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中に「キャラメル」50首で角川短歌賞受賞。作歌活動とともに評論、作詩、選歌等も手がける。近著に『日本史を動かした歌』。元国連WAFUNIF親善大使。 -
鈴木 晴香(すずき はるか)
歌人。
2005年慶應義塾大学文学部卒業。『ダ・ヴィンチ』誌上での穂村弘氏の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに作歌活動を始める。歌集に『夜にあやまってくれ』『心がめあて』等がある。
歌を作り始めたきっかけ
穂村 僕が短歌を作り始めたのは大学生の時です。同学年に俵万智さんもいて、短歌が話し言葉に切り替わっていく時代でした。きっかけは北海道大学でルームメイトが読んでいた塚本邦雄の歌集を見たことです。
その後、北大を中退し上智に入りますが、図書館の奥で短歌雑誌を見つけ、林あまりというやはり同学年の歌人の「なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた」という作品を読み、これが短歌なのかと思った。『万葉集』や百人一首のようにできるとは思えなかったけど、話し言葉でもできるならという感じで始めました。
田中 私が高校2年生の頃に俵さんや穂村さんが出てこられました。最初は『サラダ記念日』ではなく、大学入試の小論文対策で読みやすいものとして手に取ったのが万智さんの『よつ葉のエッセイ』でした。その中に寺山修司の10代の短歌があり、こんな世界があるのかと驚いて、その後、予備校に通いながら一生懸命短歌を詠んでいました。
慶應に入学してすぐ、浪人中に応募した作品50首で角川短歌賞を受賞しました。その頃、松尾芭蕉が日本中を廻って『奥の細道』を編んだように、私も世界中を廻り地球版『奥の細道』づくりをやってみたいと思ったのです。
200の国すべてに降り立って短歌を詠んだ歌人は1400年の歴史でまだ一人もいないだろうと。1年に4カ国廻り50年で実現できると考えました。
穂村 すごいですね。今も廻っているのですか?
田中 はい、廻っています。土地ごとの歌枕を探しながら、これまでに訪れた国は100カ国を超えました。
鈴木 私が短歌を始めたのは少し遅く27歳の時です。やはり俵万智さんの『あなたと読む恋の歌百首』を読みました。掲載されている歌がどれも素敵で、お二人の歌も載っていました。
いいなと思う歌集を片っ端から買い、穂村さんの『シンジケート』や田中さんの『キスまでの距離』も読みました。穂村さんの「体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ」も、田中さんの「せつなさと淋しさの違い問う君に口づけをせり これはせつなさ」も好きな歌です。
短歌に感動したのは東日本大震災の直後、2011年4月に家族の仕事の都合で偶然東京から大阪に引っ越したことも大きかったのです。震災の翌月から大阪での暮らしが始まり、両親や友だちを置いてきた寂しさやどうしようもない気持ちが歌の中の誰かを恋しく思う気持ちと重なったんです。
その後、穂村さんのエッセイを読むうちに気持ちが高まって、『ダ・ヴィンチ』で今も連載中の「短歌ください」に投稿するようになりました。そうすれば一方通行であっても穂村さんにメッセージを送れると思ったのです。実際に取り上げていただけることもありますし、今も送り続けています。
現代短歌今昔
田中 「短歌ください」は多くの歌人を輩出していますね。連載はどれくらい続いているのでしょう。
穂村 16年です。僕は連載の依頼があると基本的に「永遠にやります」と言います。雑誌が存続しているかぎりは続ける。でも、短歌はわりとやめる人が多いよね。晴香さんのように環境が変わることで始める人もいれば、就職などでやめる人もいる。もったいないけれど、コレクションしておけば、その人がやめても歌は残りますよね。
鈴木 話し言葉で詠むのは穂村さんの時代は斬新だったのですか?
穂村 本当は斬新なはずはないんです。だって、普通の人は皆話し言葉で話しているし、小説はずっと前にそうなっていたでしょう。現代詩でも萩原朔太郎の『月に吠える』は1917年に出ている。
短歌と俳句だけがなぜか時間が止まったように文語体を使っていて、それは魅力でもありハードルでもありました。
田中 穂村さんは以前インタビューで、短歌はマイノリティーだと仰っていました。今は世界でも俳句や短歌を詠む人が増え、国連機関の親善大使をやっていた頃、短歌を世界遺産にしようという動きが国内外で起きていると聞きました。
俳句ではなく短歌なのは、世界遺産は一般的に500年以上の歴史をもつものが認定されるからです。短歌は国歌にもなっている詩の形で、「君が代」は五七五七七の詠み人知らずの和歌ですし、天皇家は126代の御歴代の多くが歌を詠まれています。
そういうことが歴史や伝統を重んじる海外の人たちにも注目されているようですが、穂村さんや私たちが短歌を始めた時代はまだ年配者の趣味みたいに思われた時代でした。
穂村 「和服着ないんですか」とか言われましたね(笑)。
田中 その頃に比べると鈴木さんが作歌を始めた時はもう若い世代にも短歌が定着していたのでしょうか。
鈴木 そうですね。でも私自身は、初めて穂村さんの歌集を読んだ時はこういう世界があることすら知らなかったのです。「恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死」という歌に衝撃を受けたことを覚えています。
穂村 漫画とか現代アートを初めて見たような感覚かもね。鈴木さんは「短歌を作っている」と、友だちにすんなり言えました?
鈴木 言えたのですが「感受性が豊かなんですね」と返されてしまうと、どう答えたらいいかわからないんです。
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穂村 弘(ほむら ひろし)
歌人。
1990年に歌集『シンジケート』でデビュー(2021年新装版)。作歌活動の他、選歌、評論、エッセイ、翻訳等で活躍。『楽しい一日』で短歌研究賞、評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞他受賞多数。