三田評論ONLINE

【三人閑談】
ベトナムに誘われて

2024/03/18

ベトナム名所案内

長島 どうしてもハノイとホーチミン市の話が中心になりますが、北部にはサパという山岳地帯があり、この地域の棚田はとてもきれいです。サパには山岳民族の人たちが多く暮らしていて、少し違う文化圏という感じがしました。ベトナムにはいろいろな民族の方がいますよね。人口の1割ぐらいをとても多様な人たちが占めています。その人たちは民族によって衣装が違えば、織物も違う。サパはとてもいいところでした。

グェン ホーチミン市とハノイ以外で最も都会なのは中部のダナンです。東ベトナム海(南シナ海)に面して人口はあまり多くなく、バイクが少ないので安全です。最近は日本のIT企業や工場が増えていて直行便も出ています。ダナンに旅行する日本人も多いと思いますが、ベトナム人にとっても人気の都市です。

ベトナム人の観光客が多いのはニャチャンや世界遺産があるホイアン。日本ではフエの遺跡も人気ですが、暑くて雨が多いので旅行で出かけても大体1、2日です。

難波 私は最近、コンダオに行きました。ここはもともと流刑地だった島で植民地時代はフランス語でプロコンドールと呼ばれていました。そこにかつてのコンダオ刑務所跡が残っています。

グェン ダオは「島」を意味します。日本ではコンダオ島とも呼ばれます。

難波 最近観光地化されていると聞いたので、それは行かねばと。島には素敵なホテルができていましたが、多くの人たちが殺された歴史があります。島は風が強く、波も荒い。とてもじゃないけど逃げられません。ここを囚人島にしたのはそれなりの理由があったんだと思いました。

この島はインドシナ戦争でフランスに抵抗して19歳で殺されたヴォー・ティ・サウのお墓があるんです。ヴォー・ティ・サウはベトナムのジャンヌ・ダルクとも呼ばれる女性で、ベトナムの人たちが今もお参りに行きます。お墓にはいつも花が供えられており、ベトナムの歴史にとってとても重要なところだと思います。

国外で学ぶ人たち

難波 今はグェンさんのように、日本に来てビジネスを経験した後、帰って起業するような人が年々増えていると思うのですが、グェンさんもいずれはそういう事業を考えておられるのでしょうか。

グェン そういう人もいますけど、私の周りには留学先の国で働きたいと思っている人がたくさんいます。私もまだ帰りたくないです。

難波 それはなぜですか?

グェン 日本語を勉強しながら旅行するといろいろな新しい発見があって楽しい。日本は交通機関も発達していてとても便利に生活できます。ベトナムではいろいろなところに出かけたくとも移動が不便です。

難波 そうかもしれませんね。フランス統治時代につくられた鉄道を使えば南北を行き来できますが、ハノイ~ホーチミン市間の移動にはとても時間がかかります。必要に迫られて移動する場合は大抵飛行機でしょう。そういう事情もあって皆すぐには帰らないのですね。

グェン 帰る人たちの中には2つのタイプがあると思います。1つは家族と暮らしたい人。ベトナム人に何が一番大事かと尋ねると、ほとんどの人は家族と答えます。皆家族と一緒に暮らしたいと思っています。

もう1つはビジネスをやりたい人。たしかに現在、ベトナムではビジネスチャンスがたくさんあります。若い人も多く、スタートアップは日本よりもベトナムのほうがしやすいでしょうね。

難波 でもベトナムもこれから少子高齢化がものすごい勢いで進むことでしょうね。ベトナム政府は二人っ子政策を打ち出していましたが、これも緩和されました。

グェン そうですね。でも今も多くの家庭で子どもは2人です。ベトナムでは子どもをつくりたくないと言うと家族から強く反対されます。日本でもそういうことはありますか?

難波 家族によると思いますが、日本もそういうことは多かれ少なかれあると思います。でもベトナムほどではありません。ベトナムはやはり家族をとても大切にしますね。

グェン ベトナムでは家族との時間やワークライフバランスをよく考えます。夕方6時になれば皆仕事を終えて帰ります。日本では6時を過ぎても上司が残っていたら帰りにくいでしょう? ベトナム人はそういうことをあまり気にしません。

難波 良いことだと思いますよ。日本も次第にそういう考え方に変わりつつあります。

ベトナムの歴史とこれから

長島 ベトナムは東南アジアの国ではありますが、私が感じるのはタイのような底抜けの明るさがないことです。むしろ少し落ち着きがあり、日本の“わびさび”に近い。どこか深みがあるところに魅力を感じます。

難波 歴史的な背景があるからかもしれませんが、私は、ベトナムの人たちは逞しいと感じます。彼らがかつての植民地時代をどう認識しているのかがすごく気になるのでいろいろな人に尋ねるのですが、まったく頓着する様子がありません。フランス人のことも大好きで、私が滞在した2018年にはちょうどサッカーのワールドカップでフランスが優勝したのですが、皆たいへんな喜びようでした。あれほど大変なことを経験しながらも前を向いているのはすごいと感じます。

ところで、これからのベトナムはどのように変わっていくと思いますか? 2023年は日本とベトナムの国交樹立から50年という節目の年でしたが、今やものすごい勢いで経済成長が進んでいます。それが次第に落ち着くと、物質的な豊かさ以外のことにも目が向けられるようになると思うのです。そうした時に、フランスや米国、中国といった大国と戦争し、ことごとく勝ってきた人たちがどのように成熟していくのか、私はとても興味があります。

今は、かつての戦争のことは置いておいて経済発展にまい進していますが、いずれやはり過去に目を向けることになると思うのです。ベトナムの人たちがそれにどう向き合うかというのが、10年後、20年後に向けた私の関心です。

グェン 2、3年前は、カフェを始めるうえで一番重要なことと言えば立地だったのですが、今はサービスやコーヒーの質が重視されるようになりました。移動手段もアプリが便利になり、電動バイクの品質も上がっています。私はこうしたサービスや技術がこれからどのように発展していくか楽しみです。

難波 今はとにかくエネルギッシュに前を向く時代を突き進んでいるわけですね。過去のことはどうでしょう? 例えば、グェンさんは戦争の話をおじいさんやおばあさんに聞くことはありますか?

グェン 戦争で犠牲になった方々に関する番組は、お正月によく放送される内容の1つになっていますが、戦争のことを祖父母と話す機会はあまりありません。

難波 それはなぜですか。戦争を経験された世代ですよね。

グェン 戦時中は食べ物がなくて苦しんだから食べ物を大事にしなさいといったことは言われます。ですが、それ以上のことは話しません。

難波 それはあまりにも重い経験だからなのでしょうか。

グェン そうだと思います。

難波 あまりお話になりたくないのでしょうね。でも、その時代を生きた経験をグェンさんたちには聞いておいてほしいと思います。ベトナムの人たちはあまり政治の話をしませんが、グェンさんのように海外で教育を受けた人たちが10年後や20年後に戻った時、ご自身の国のことを考える時がくるのではないかなと思うのです。

長島 私も同感です。ベトナムは平均年齢が若く、さらに若い世代を中心にスマートフォンなどのツールが普及しており、さまざまな情報に自らアクセスできる状況になっています。「経済成長」「国の発展」と聞くと、日本の高度経済成長期が思い浮かびますが、手元に情報ツールがあるという意味では、それとは違った発展のかたちを遂げるのではないでしょうか。

若さに加えて、情報ツールを兼ね備えた世代が、今後どのような方向に国を発展させていくのか。その時に、グェンさんのようなエネルギッシュな若い世代がこれまでのベトナムをどのように考えるのか。国の発展とともにとても興味深く思います。

(2024年1月18日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事