【三人閑談】
想い出のつるの屋
2023/10/16
お店の方々との想い出
浜田 私が働いていた頃、ジイジは7時半ぐらいになると決まってどこかに行ってしまう。
北居 ああパチンコ。
浜田 そう、それで、大体1時間ぐらいで帰ってくるんですけど、忙しくなっても帰ってこないと、皆でブーブー言っているんですよ。ママが「また、パパはパチンコばかりして」と言って怒っていましたね。
ただ、あのジイジは一切酒が飲めないのです。ママは飲んだんですかね。あまり飲んでいるような印象はないですけど。
北居 聞いたことないですね。
浜田 チーも飲まないですよね。だから、あまり飲まない家系なのかもわからない。だから逆に冷静な目で酔っぱらいを見ている。
北居 そうですよね。やはり飲む人はああいうお店は駄目でしょう。
浜田 一緒に飲んじゃいますよね、先生や私だったら。
北居 絶対飲むと思いますよ。
浜田 もともとジイジはコパカバーナとかいうグランドキャバレーのマネジャーで、酒を飲まずに一生懸命やって、つるの屋を開いて。お金は持っていたと思いますけどね。外車の結構いい車で通勤していた。
北居 本当ですか。
浜田 昔、一家は洗足池のほうに住んでいた。そっち方面の應援指導部の同期とかがいると、車で送ってくれたのです。
北居 私は1回だけ、ジイジと将棋をしましたね。
高田 将棋がありましたね。
浜田 小上がりの横に。
北居 そうです。棚の所です。どういう経緯か将棋をすることになり、深夜2時ぐらいまでやっていた。飲みながら(もちろんお酒を飲むのは私だけですが)やろう、となって、4時間ぐらいやっていたんですかね。もう電車はないじゃないですか。チーさんがたぶん全く逆方向なんですけど、板橋まで送ってくれた。
無念の閉店
北居 ママには非常に申し訳ないことをしました。2001年からドイツに2年間行っていたんですけれど、ちょうどその間にママがお亡くなりになった。残念ながらご葬儀に出ることができなくて。本当にあれだけよくしてもらった方に、申し訳ないことをしたなと、すごく心残りなことでした。
結婚する時に、そんな発想がなかったものですから披露宴にお呼びしなかった。そうしたら、ママさんが披露宴会場の受付までお祝いをわざわざ持ってきてくれたのです。その姿を見ていたので悪いことをしたなと思って。もう不義理ばかりしていまして、本当につるの屋さんに足を向けて寝ちゃいけない。
そんなこともあって18年の11月に50周年をさせていただいたのですが、1年後に立ち退きせざるを得ないということになりました。高田さんがよくご存じの弁護士の藤本健一さんが立ち退かないと頑張っていらしたのですが、建物自体は取り壊さざるを得ないというので、19年の12月で閉めることに。もう移転先はその時決まっていたのです。
浜田 あの場所は決まっていたんですか。
北居 ええ。とりあえず閉めるけど、6月10日に再開するから、感謝の会をしましょうというので、19年の12月28日に、また枩山さんから「北居やれ」ということでやらせていただいたのです。あの時も浜田さんに来ていただいて、ワグネルが演奏しに来てくれました。ワグネルの部長だった経済学部の塩澤修平先生もフルートを持って実際に吹いてくれたのです。
そういう皆さんの協力があって、開催できたのです。私の記憶では翌29日が日曜日で、30日が本当の最後だったのではないかと。倉澤ゼミのOBの方もいらしていた。
高田 結局、最後のほうは毎晩行っても同じメンバー(笑)。
北居 最後まで本当ににぎやかだった。当然再開されると思っていたので、いっときの辛抱だと思っていた。それで新しいほうの店の内装も全部終わって、飾ってあったペナントや何かも全部そちらに運んでいた。
あとはもう店を開くだけという状況の中で、チーさんが残念ながら他界されてしまった。そこで都倉さん がそのペナントを引き継いで、今回の展覧会に飾られるという経緯です。
キャンパスの延長になる場を
高田 何とかして近隣に同じようなコンセプトのお店を、関係者の力でできないものかと思っています。「つるの屋なくして学問なし」ということがもし言えるのだとすると、今は学問がないことになってしまう(笑)。これはえらいことです。
北居 それこそ資金も、クラウドファンディングで薄く広く支えていただければ。皆さんの記憶が薄れないうちに。
高田 今回の展覧会が起爆剤になるといいなと。
浜田 そうですよね。先ほどおっしゃったように、やはり教室で教わることと、教室以外で学ぶことは違いますものね。福澤先生だって、よく勉強はされたけど、緒方洪庵の適塾では酒も相当飲んでいたんですよね。
高田 皆そう言ってお酒を飲むんです(笑)。
北居 学生さんも、ちょうどコロナで飲みたくても飲めない時期が続いて、人とつながる接点が少なかったじゃないですか。ですから、今そういうことを求めている学生も多いのではないかと思います。それを埋めずに、この空白が今後普通になってしまうと、もう二度と集まらなくなってしまう。
毎週行ける所となるとやはり相当安くないといけないし、先輩がボトルを入れてくれるのはとても有り難いことです。そして、「今日はゼミの後だから飲んでるはずだ」とOBが来る。そういうOBとのつながりも作りやすい店だったことが非常に大きかったですね。
浜田 いい意味のルーティンですよね。キャンパスの延長でもあって。
高田 妙な理屈を立てますと、教室ではお酒を飲んで議論することはできないし、教室では無制限1本勝負で話をしたり、青春の悩みを打ち明けることもできない。すると、その場が必要ではないかということになる。それを「つるの屋」と名付けるのであれば、われわれの心の中にあるものと似たようなもので、しかも次の世代にもそれを引き継いでもらえる場を作らなければ駄目だと。
北居 現役生もOBも含めての慶應義塾ですものね。キャンパスだけではなくて、慶應義塾の1つの場がやはりあってほしいと思いますね。
浜田 新聞のコラムか何かで読んだんですが、落語家の立川談志師匠が、酒が人を駄目にするのではなくて、酒は人が自分は駄目な存在だということを気付かせてくれるんだ、と言っていたそうです。
ああ、そうか。俺もそうだな。他の人もそうかもしれないと。つるの屋さんのことを考えていたら、そう いうことが頭をよぎりました。
北居 なくなって、その大きさがわかります。学生を連れていく店がなくて困る程度の話ではなく、やはり三田の大きな魅力の1つでしたね。
高田 他にああいうところはないですものね。
北居 今日は様々なお話を有り難うございました。
(2023年8月21日、三田キャンパス内にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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