三田評論ONLINE

【三人閑談】
Jazz Moves On!

2023/07/25

音楽とスポーツを支援する活動

中川 この度、慶應義塾大学アート・センターの設置授業として、3年間にわたり「Jazz Moves On!」という授業が開講され講師を務める機会に恵まれました。服部真二 文化・スポーツ財団が助成してくださいまして本当に有り難いことでした。

慶應義塾とジャズは、実は戦前からとても深い繋がりがあります。日本最初のジャズ・ソングのレコーディングは、1928年3月の『菊池滋弥とレッド・ブリュー・クラブ・オーケストラ』(ニッポノフォン・レコード、後の日本コロムビア)によるもので、曲は「My Blue Heaven」。邦題は、「あほ空」でした(笑)。バンド名から察せられるように、リーダーでピアニストの菊池以下、益田智信(tp)、坂井透(banjo)、高橋宣光(ds)と大半が塾生でした。益田家でレコーディングされたと聞いています。慶應義塾がジャズ・レコーディングのルーツ校でもあるのです。

そんなことをお話ししているうちに、服部さんが、「それでは慶應でジャズの歴史の授業があってもいいね」と言ってくださって講座が創設できたのです。服部財団の創設の意図や経緯をお話しくださいますか。

服部 今年6年目を迎えますが、きっかけは昨今、戦争や異常気象で、世の中で苦しんでいる人がいる。そういう時こそ音楽の役割、重要性というのは見直されると思うのです。ジョン・レノンの『イマジン』も、ベトナム戦争の停戦活動に影響を与えたわけですよね。ですから音楽というのは、国境、人種や世代を超えて、人類を1つにできる力があると思うのです。スポーツも同じです。

音楽やスポーツで挑戦する姿を見ると、社会の人々は感動をもらって勇気づけられる。そういうことから服部真二 文化・スポーツ財団をつくって、今まで大体1年に6、7人、スポーツと音楽で活躍されている方々を表彰し、応援してきました。中には世界に羽ばたくような人も出てきています。現役だけでなくて、それを支える方々も表彰しています。

中川 パラリンピックの選手の伴走をされる方や義足をつくる方など、普段ですと光が当たらない方にスポットライトを当てて表彰される点も意義深いと感じています。

後からよくぞあの人を服部財団が見つけたという方もいます。服部良一さんの曾孫に当たるバイオリニストの服部百音さんなどは、5年前に表彰されて、今やスターですね。

服部 現在、幼稚舎生の吉村妃鞠さんもバイオリンの世界コンクールで数多く1位をとっているんですよね。すごい人がいるなと。

財団のリーフレットには、世界に挑戦する音楽家やアスリートを応援と書いてあるのですが、それも少し広がってきて、紀平凱成さんという、自閉症のピアニストの方とかスポットのなかなか当たらない方も表彰して、こちらも勇気づけられています。ハンディがあっても音楽の力で乗り越える勇気ですね。

先程申し上げた東北の被災地支援でも、宮城、岩手、福島の3県で演奏会を行い、ブラスバンドの子どもたちに、腕時計型のメトロノームを差し上げたり。日本の将来は子どもたちにかかっていますから。

「Jazz Moves On!」の授業

中川 素晴らしいですね。助成いただいた慶應の授業、「Jazz Moves On!」は、「拡張するジャズ」というような意味でつけさせていただき、新しい試みをさせていただきました。

これは慶應義塾大学アート・センターが設置した初めての授業だったのですが、どの学部からも受講することができたのです。本当に全塾から来てくださったので、いろいろな方にジャズの面白さや歴史を話すことができました。

また、ゲスト講師が来てくださった時も、音楽を演奏し、かつ講義をしていただけました。そのようにレクチャー&コンサートのような授業ができたのも、アート・センター設置だからでした。

服部 それは画期的でしたね。

中川 2020年度、ちょうどコロナ禍に授業が始まり、すべてリモート授業でのスタートになってしまったのですが、お蔭で、全講義をリモートで撮影して、全てアーカイブで残すことができました。それは嬉しかったです。慶應義塾に脈々と流れていたジャズの歴史を1つの授業で束ね、また拡張することができたかと感謝しています。

きっと30年後には新しい事実が見つかって、あの頃中川が間違ったことを言った、なんてこともあると思いますが、それは研究の礎にしていただいて、批判の対象になれることも嬉しく思います。

服部 ジャズの歴史は変わってきたのですか。

中川 調べれば調べるほど、ジャズの歴史は変わってくるのです。つい10年前までは、ジャズはニューオリンズで生まれたということになっていましたが、今はアメリカの南部全体で生まれたことになっている。

アフリカ大陸から奴隷として拉致されてきた人は、アメリカに来る途中、カリブ海の島々で一定の期間、奴隷として使役された後、アメリカ大陸に渡ってくるので、カリプソとか、カリブの音楽の影響を多く受けています。

そして南部で一番大きい奴隷市場があったニューオリンズから、様々なところに奴隷として売られていく。ジャズはニューオリンズで始まったと思いがちですが、始まったのは、当時、奴隷として働かされていた人々が住んでいた様々なプランテーションだったという事実がわかってきたのですね。

多様なミュージシャンを生む塾の風土

中川 塾生の音楽サークルの話をしたいと思うのですが、井上さんが塾生だった2010年頃は、すでにいくつも部に入るという動きがあったんですね。

井上 はい、そうですね。

中川 それは慶應では、割と新しい動きなんですけど、音楽ではどんなサークルがありましたか。

井上 ジャズではもちろんジャズ研があり、クロスオーバー研究会があり、あとはモダンシャックス。

中川 そしてKALUAがあり。ビッグバンドが2つありますね。ライトミュージックソサイェティとKMP。ライトが日本最古の学生ビッグバンドです。

井上 あとはポップス研究会、シャンソン研究会。

中川 津軽三味線のサークルもありますね。本当に多岐にわたるジャンルのサークルがあります。

井上 ただ一部のサークルは、名前が創設時のまま中身が変わっているところが結構あって。例えばオフコース研究会というのは、たぶん当初はオフコースの曲をやっていたんでしょうけれど、今はバンドサークルで何をやってもいい。

シャンソン研究会も、当時はシャンソンをやっていたと思うのですが、今は各々好きな音楽をやっています。やはり歴史ある慶應義塾だからこそ、いろいろ変遷があって今の姿がある。

本当に表題どおりの音楽をやっているのは、クロスオーバー研究会、ジャズ研、あとはライトミュージック。

中川 KALUAも、昔はハワイアンから始まって、ボーカルが上手い方たちが入るクラブだったんです。今はR&Bとかやっていますよね。

服部 戦後の日本はハワイアンが流行った時代があったわけですよね。ハワイアン三田会というのがありますが、80代、90代の方がたくさんいて演奏もしておられます。今はハワイアンの研究会はないんですか。

井上 KALUAとモダンシャックスは、設立当初はハワイアンのサークルだったんです。

僕も両方のサークルに所属していたんですが、KALUAのOB会に行くと、80代の方がスチールギターでハワイアンをやって、次は若者がR&Bをやるみたいな感じです。

中川 ライトの創立が1946年、戦後すぐですが、その頃にたくさんクラブができている。慶應では戦前から軽音楽も塾生の間で盛んで、それが戦後きちんとしたサークルの形になっていった。

服部 ライトはすごく有名なミュージシャンを輩出していますよね。北村英治さんなんて今も現役でしょう。

中川 そうです。94歳で素晴らしい演奏家です。

服部 すごい方ですね。一度ご挨拶させていただきました。

中川 素晴らしいですね。授業「Jazz Moves On!」に教えに来て下さったライト出身ミュージシャンは、即興演奏家の佐藤允彦さん、トランペット奏者の島裕介さん、福田組というコンテンポラリー・ビッグバンドを率いる福田葉介さんがいらっしゃいました。慶應義塾出身の方では、ピアニストの林正樹さんと伊藤志宏さん。WONKから荒田洸さんと井上幹さん。塾外からは、ジャズ作曲家の挟間美帆さん、人気ドラマーの石若駿さん、ギタリストの井上銘さんと実に多彩でした。ジャズ以外からも、アルゼンチン・タンゴの小松亮太さん、三味線の上妻宏光さんがゲスト講師としてご来塾下さいました。

村井邦彦さんも、プレイヤーにはならなかったんですがライト出身で、YMOなどを輩出したアルファミュージックという会社をつくられた。

服部 大作曲家ですよね。

中川 そうですね。もっと広く慶應義塾出身の音楽関係者と言えば、加山雄三さんもいらっしゃるし、石原裕次郎さんも歌手と言ってもいいですし。

服部 世間の方々は日本初のシンガーソングライターは加山雄三さんだと思っていますよね。ところが日本初のシンガーソングライターは、日本でハワイアンが流行っている頃、ハワイアン歌謡曲をつくった慶應の大橋節夫さんなんです。

中川 そうかもしれませんね。

服部 十数年前に大橋さんのラストコンサートを見にいったのですが、ゲストはペギー葉山さんでした。もう亡くなって20年近くかな。

彼はよく言っていましたよ。スチールギターを庭でやっていると、裕ちゃん(石原裕次郎)が庭で見ているんだと。笈田敏夫さんはジャズでしたね。幼稚舎の友人同士です。

古くから、あらゆる分野で世の中に影響を与えた慶應出身のミュージシャンがたくさんいらっしゃるんですよね。

加山さんが日本のポップス界に与えた影響は素晴らしいですよね。あの方に憧れた桑田さんやユーミンさんはじめ、数え始めたらきりがありません。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事