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【三人閑談】
Jazz Moves On!

2023/07/25

  • 服部 真二(はっとり しんじ)

    一般財団法人 服部真二 文化・スポーツ財団 理事長。
    セイコーグループ株式会社 代表取締役会長 兼 グループCEO 兼グループCCO。1975年慶應義塾大学経済学部卒業。Jazz&Pops三田会(JPM)会長。

  • 井上 幹(いのうえ かん)

    エクスペリメンタル・ソウル・バンド「WONK」ベーシスト、作曲家、アレンジャー。
    2013年慶應義塾大学法学部卒業。勤務するゲーム会社ではゲームサウンドデザインを担当。

  • 中川 ヨウ(なかがわ よう)

    音楽評論家。
    慶應義塾大学アート・センター訪問所員。洗足学園音楽大学名誉教授。2020~22年度慶應義塾大学アート・センター設置講座「Jazz Moves On!」担当講師。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

アメリカンポップスからジャズへ

中川 本日は、音楽が大好きな3人が集まりました。服部さんはスキーやテニスがお得意で、学生時代は音楽をなさっている印象はなかったのですが、どういうきっかけで音楽に熱中することになったのでしょうか。

服部 私は昨今、音楽には大きな力があると信じるようになりましたが、特に音楽を勉強してきたわけでもないのです。2011年の震災直後から東日本応援コンサートを開催するため、東北被災3県に毎年通い続けています。被災地の宮城県多賀城中学校を訪れたのがきっかけで合唱曲を作曲し、生徒に作詞をしていただいて、2021年にはコンサートで披露しました。このような活動をしているのは音楽の力を信じるが故です。しかし、もともとこんなに音楽の力を信じていたわけではありません。

小さい頃、私の叔母の服部豊子が、上皇陛下のお母さま香淳皇后にバイオリンを教えさせていただいていた。その影響で、バイオリンの先生に習いましたが、練習が嫌で嫌で(笑)。

昭和36、7年ぐらいですか、当時、SONYのトランジスタラジオで聞いていたのがアメリカンポップスなんです。ビートルズ登場以前です。当時はラジオと言うと、「S盤アワー」とか「FEN」。1位から4、50位ぐらいまで、全米チャートで上昇している曲をかけるんです。

中川 赤丸急上昇の曲ですね。

服部 「次の曲は48位から22位に一挙にランクアップ」とやっていて、ずっと聞いていたので、その時代だけは詳しいんです。ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスとかね。全部好きでしたね。

中学2年の時にビートルズが来日して熱狂的なブームになりましたけど、やはり私の原点はアメリカンポップスなんです。一番好きなのは、エルヴィス・プレスリーですね。それから日本ですと、グループサウンズや加山雄三さんが登場してきて。

ただ、私は聞いているだけだったんですよ。皆がギターを弾くから、僕にもギターを買ってくれと言ったら、贅沢だと言って、ウクレレを与えられた(笑)。バンドには入ったことがない。「皆いいなあ、すごいなあ」と思いつつ、私はひたすら聞くだけでした。

中川 その頃は歌っていらっしゃらなかったんですね。

服部 ええ。カラオケに行ったりギターをかき鳴らしていましたが、40代になって初めてCDをつくったんです。自分でギターで作曲して。

そのとき音楽というのはアレンジによってこんなに違ってくるのだと、はじめてわかりました。そこから病みつきになった。私はそういう単なる音楽愛好家です。

中川 でも音楽愛好家が、CDをつくろうというのは行動的ですよね。

井上 すごいです。

服部 ジャズに興味を持ったのは、やはり40代ぐらいからかな。スタンダードジャズをいいなあと。

ある時友人からご紹介いただいてジャズ界の大御所、穐吉敏子さんと食事をしました。忘れられない言葉があったんです。「クラシックというのは難しい曲を弾いたほうが勝ちなのよ。でもジャズは『キラキラ星』を弾いても、難しい曲に勝てるの」と。面白いなあと思って。

ジャズは即興でぶつかり合うじゃないですか。あれには大きなエネルギーを感じます。素晴らしいなと思い、それでジャズに興味を持つようになりましたね。

でもやはり私は、歌のあるスタンダードジャズのほうがどちらかというと好きなんですね。

中川 ご自分が歌が上手いと気がついたのはいつですか。

服部 あまり上手いと思っていません。ちゃんと習い出したのは10年くらい前です。特に発声とかを勉強したのは本当にこの5、6年です。ジャズというのは英語なので発音が大事ですからね。音程は自分の録音を何回も聞いて、どういうときにピッチが悪いかを勉強するようになりました。

社会貢献のためのコンサートや、世界各国での会社のイベント、大使館などで歌っています。

10年程前、ベルンの在スイス日本国大使館でのパーティで、欧州各国の駐スイス大使が大勢参加されました。大使館の方は席次に相当気を使っていましたが。イタリアのバンドで私が歌うと、最後は国境を越えて笑顔で1つの輪ができました。海外で音楽の力を体感した最初の出来事でした。

ジャズが流れる家庭で育って

中川 素晴らしいことですね。井上さんはジャズとの出会いはどのようなものだったんですか。

井上 慶應は大学からですが、僕は両親がジャズミュージシャンで、父親がサックス、母親はピアノだったんです。もう生まれた時から、ジャズの中という環境で育ちました。自然と音楽は好きになっていくのですが、僕も親から言われてピアノを習わされたのが、本当に嫌で嫌で(笑)。厳しいことを言われるのでやりたくなくなって、小学6年生ぐらいから、小さな反抗でギターを始め、ジャズ以外の音楽も聞くようになりました。

小学校から高校ぐらいまでは、「ジャズはちょっと」という感覚がありましたね。

中川 家庭でずっとジャズが鳴っているわけですか。

井上 そうなんです。それで当時流行っていたロックバンドに傾倒したり。高校生ぐらいまでは、いわゆるオーセンティックなジャズに少しアレルギーがありました。でも大学に入って慶應のサークルを覗いてみると、とてもハイレベルで、この人たちは何のために大学に来ているんだ、というような楽器奏者がジャズにもゴロゴロいまして。

中川 プロのミュージシャンのようなレベルですよね。

井上 そういう人たちを見ると、こんなに高度なことができるんだったらジャズも楽しそうだと思えてきて、そこでやっと自分もジャズをやってみようと決心がついた感じです。

中川 今、所属されているWONKさんは、素敵なメンバーが4人で結成したグループですね。ボーカルの長塚健斗さんとは、高校の時から一緒にバンドをなさっていたんですね。

井上 そうです。高校からの友人で、高校生の時はロックバンドを一緒にやっていました。大学に入って、いろいろなつながりからWONKを結成する時に、たまたま彼も参加。それは本当に偶然だったんです。

中川 面白い。

井上 大学の頃は彼も、小さなジャズクラブのようなところで、ジャズスタンダードを歌っていたんです。僕もジャズといろいろなジャンルのクロスオーバーに興味があって。荒田洸(ドラムス)と江﨑文武(キーボード)はジャズ研だったので、ジャズという1つのキーワードで4人集まったんですね。

中川 なるほど。その荒田さんがやはり慶應。江﨑さんが芸大の出身ですね。

服部 中川さんは子供の頃からジャズ好きだったのですか。

中川 私は、幼稚園から幼稚舎にかけて、父が運営していた児童福祉施設のブラスバンドのマスコット指揮者をしていました。親御さんのいないお子さんが、まだ学校などで辛い目に合うことが多い時代です。音楽好きだった父が考えついたブラスバンド活動。そこで、ジャズも少々やっていた。お子さんたちが音楽活動をすることで、自信と明るさを取り戻す姿を見て育ち、音楽って素晴らしいなと肌で感じていました。

実験的な「ソウル」を目指す

服部 WONKさんの音源を聞かせていただきました。「エクスペリメンタル・ソウル・バンド」ということですが、どういう意味でしょうか。

井上 ソウルというのは、いわゆるマーヴィン・ゲイなどオールドなソウルという意味ももちろんあります。皆、そういう音楽もすごく好きなので、その影響を受けたことを示したい。それともう1つは、何か心、魂に来る音楽をやりたいという意味合いもあるんです。実験的だけどストレートに魂に来るものはなかなかないなと思っていたので。

一見複雑だけど、聞けば心に響くものを目指す、という意味でエクスペリメンタル・ソウル・バンドとしました。

服部 なるほどそういう意味ですね。曲を聞かせていただきましたが、今、おっしゃったマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』にちょっと透明感が似ていますね。

井上 そうですか。根底にはそういうソウルミュージックやジャズがあって、それを実験的に自分なりに解釈しようというバンドです。

中川 WONKという語は、スラングなのですが、オタクといった意味ですね。

井上 はい、いろいろな意味があって、もう少し悪い、変なやつみたいな意味もあります(笑)。

あとは「揺らぐ、ひねる」みたいな意味もあって「ちょっとひねた人たち」という意味合いもあるのですが、実はジャズピアニストのセロニアス・モンク(Thelonious Monk)のMを逆にしてつけたのですね。

服部 新作の『artless』でしたか。あれは今おっしゃったような、いろいろなジャンルの音楽が融合していていると思うのですが、その基になるものはどういうものですか。

井上 僕の場合、根幹を言えばやはりジャズとビートルズみたいなところになってくるんですよね。

でも、それは自分の意図した根幹というよりは、やはり育った環境で聞かされてきた音楽が多分に影響している。親がずっとスタンダードジャズを演奏していたわけですので。

自分の根幹になっているのは、きっとそういうものなんだろうと思いつつ、ソウルミュージックや70年代のアース・ウインド&ファイアーのようなファンクミュージックのようなものが、自分で摑んできたルーツとしては重要に思っています。

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