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【三人閑談】
司馬遼太郎生誕100年

2023/04/25

カリスマ化した後

大石 司馬さんは、文筆活動を創作から距離を置いて評論に入っていく時に、どこかで転換していくところがあったのかなと感じるのです。『街道をゆく』になるとある種の名人芸で、カリスマ化、神格化された司馬は、どこへ行っても、何を見ても、思ったことをパッと書けてしまい、それを皆がもてはやすという全く違う段階に入っていきますね。

そうした中、日中文化協会のトップであったにもかかわらず、台湾に行って李登輝と会見し、結果的に政治的な動きと評価されてしまった。皮肉なことです。

片山 確かにおっしゃるように、現実の日本に対していろいろ提言しているように見えても、やはり司馬ロマンの中での提言なんでしょうね。

司馬遼太郎だから許されるような独特の存在形態になっていたと思いますが、結局は司馬好みの世界の中のイメージであって、実際は馬賊だって組織がある。ましてや、モンゴルは騎馬軍団の統率だから、偉い人の言うことを全部聞かなければいけない、ものすごい統率の利いた組織で、司馬遼太郎の馬賊とはかなり違う上意下達的な社会です。

そうすると、どこかで司馬は海も入れないといけないと思ったのだと思います。最初から土佐好みがあって、『竜馬がゆく』があって、長宗我部があって、『木曜島の夜会』とか急に変なものを書いたりする。台湾好みも海は船の個人プレーで自由だからでしょう。戦車への幻滅があって陸に満たされないものが海に行き、自由に島で船をこいでいるイメージの台湾シンパシーはあると思います。

大陸の中国の駄目なところを島が救うみたいに、司馬ロマンの世界の中で台湾というのは正当化されていたのではないかと思うのです。

大石 そこにつながったのはすごく面白い。

福間 私自身は、『街道をゆく』には、いまひとつ惹きこまれないのが正直なところです。でも好きな人がたくさんいるのはわかるんですよ。『街道をゆく』は司馬が書いているから読まれたような気もして、たぶん私が同じ文章を書いても、誰も読んでくれないと思うんです。

片山 司馬も最初が『街道をゆく』だったら、国民作家にはならないでしょうね。

福間 水木しげるが『コミック昭和史』をデビュー早々に書いても、恐らく読まれないのと同じで、「一流作家」たる司馬の名前があるから読まれるようになったのだと思います。

司馬なりに資料に向き合い、歴史小説を書いていた時期と違い、『街道をゆく』は自分の知識を引き出しから出しながら、物語全体の整合性など気にすることなく、のびやかに書いている感じですよね。台湾とか、土地問題などに言及するようになったのも、自由に発言し、行動できるようになったからなのでしょう。そして同時に社会の中で司馬自身がつくられていったところもあるのではないかと思うんですよね。

描かなかった福澤諭吉

大石 司馬遼太郎は福澤諭吉については、例えば緒方洪庵について書く中では触れますが、正面切って論じなかった。なぜなんですかね。

片山 たぶん司馬好みの人ではなかったのだろうと思いますね。福澤諭吉がもっと早く死んでいたら書いたと思いますよ。慶應義塾をつくって、バーンと構えて大御所として、当時としてはそれなりに長生きした。

伊藤博文や山縣有朋を書かないのと同じ理由で、司馬から見ると西洋近代に向かっていって、陰も帯びながら巨大化して、システム化していくものをつくる片棒を担っている人の1人です。高杉晋作みたいにロマンいっぱいのうちに死ぬのではなく、ドンみたいになってしまっている。そういう人は興味がないんですね。

福間 やはり、ある種エスタブリッシュメントになっていますから。司馬はエスタブリッシュメントになる手前で筆を置きますよね。『新史 太閤記』も、天下を取った後の話などは駆け足で、本当にわずかのページ数です。それこそ福澤が慶應義塾をつくるまでだったら司馬っぽいストーリーにできたかもしれませんけれど。

大石 『福翁自伝』などの著作が世に出回り過ぎていたこともあるのですかね。大学というものに対する距離の置き方もあったのでしょうか。日露戦争時に開戦に賛成した学者たちに対しても「ふふん」という感じでしたし。

あと、『坂の上の雲』もそうですが、天皇が出てこないとよく言われますね。国民の物語、英雄の物語、あるいは民衆の物語にしてしまうと。

片山 そこがある種の革命というか、階層が下の人が頑張って上に行くのが好きなのでしょうけど、『最後の将軍』とかもとても薄い。司馬遼太郎で幕末を知ったつもりになっていると、お公家さんも孝明天皇も明治天皇も出てこないから、いくら読んでも明治維新史が頭に入らないですよね。

大石 大学入試に落ちてしまうかもしれない(笑)。

人文知を見直すきっかけとして

福間 司馬の読者はサラリーマン層が多かったとよく言われるように、あの当時のサラリーマン社会への親和性があったと思うんですね。それは基本的に一度就社したら転職しない社会で、社内でステップアップしていく、日本型経営みたいなものが前提でした。だからこそ歴史人物を通して組織人としての人格陶冶をめざす。そのような読み方をしていた部分もあったと思います。

でも、今は定年まで1つの会社にいることを前提にできない社会になっているので、「サラリーマンの教養」としての読み方は難しくなってくるのではと思います。

また、かつては歴史、あるいは文化的なものへの関心は、司馬に限らず高かったと思います。70年代には『プレジデント』のような雑誌も歴史特集をやっていて、そこでは学者がわかりやすい形で歴史を論じていることもよくあった。そうやってビジネスマンたちが人文知に緩やかに関心を持っていたと思うんです。

今はどの大学も世界ランキングを気にしていますが、それに資することはなくとも、一般の人々が読むような媒体に知的なものを書いていくのは重要だと思いますし、一般の人々の読みをフィードバックさせて、人文知を組み替えていく相互作用も重要だと思います。

今のアカデミズムのあり方や大衆教養主義のあり方みたいなものを考え直すきっかけとして、司馬が読まれた時代を見直すことはあってもいいと思います。

片山 司馬さんは動乱期の、これから生まれてくる、あるいは壊れていくところに関心があって、完成したものには関心がなくなっていく。だから、種をまくような人や既存の制度を壊す人を描いて、その後どうなったかには関心がない。

例えば『花神』の大村益次郎がまいた種は、司馬さんが一番嫌いな日本陸軍になるのだから、大村は悪いのではないかと私は思うけど、司馬史観では、まいた種をその後育てた人が悪くて、大村は悪くない。

種をまいて、その後を見届けられずに去っていくような人が大好きなんです。それなのに、今日の日本や未来の日本の方向を示してくれるようなアイデアが司馬作品にあると多くの読者が信じてしまったところに、私は悲劇があったと思うんですね。でも、司馬さんはそれをわかっていたのではとも思う。

もともとは日本への幻滅から始まって、大陸ロマンみたいなものを書いていた。でも、日本の読者が喜ぶので、そんなに書きたいわけではないけど、日本の歴史について書いてみたら、それが受けてしまったと。

しかし、やはり西郷とかを書く時に、イデオロギーとかは深まらないから、結局小説を書くのが限界に達したと思うんです。

そこで『街道をゆく』みたいないくらでも書けるエッセイに転換していった。だから、司馬遼太郎らしい、皆が求めている長編歴史小説というのは、割とはやくに終わってしまいますよね。

大石 その後にカリスマ化され、それが逆に反映されて作品の評価を高めたり、色づけたりしている。いろいろな立場からの読みが可能な人だから、いろいろな評価が今後も出てくると思うのです。

司馬さんの神話は、その時々の社会の考え方、価値観の分布に応じた読まれ方をしていくのでしょう。純文学でもないし、たんなる思想でもない。分野を超えた作品なわけですよね。その多面性が、今後もまだまだ躍動し続けていくのかなと。

今後、この生誕100年を期にどのような読まれ方をしていくのか。楽しみでもありますね。

(2023年2月23日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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