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【三人閑談】
司馬遼太郎生誕100年

2023/04/25

  • 福間 良明(ふくま よしあき)

    立命館大学産業社会学部教授。
    2003年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。出版社勤務、香川大学准教授などを経て現職。専門は歴史社会学・メディア史。著書に『司馬遼太郎の時代』等。

  • 大石 裕(おおいし ゆたか)

    慶應義塾大学名誉教授。
    十文字学園女子大学特別招聘教授。東海大学特任教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門はマスコミュニケーション論。著書に『国家・メディア・コミュニティ』等。

  • 片山 杜秀(かたやま もりひで)

    慶應義塾大学法学部教授。
    同大学教養研究センター所長。慶應義塾大学大学院博士課程法学研究科博士課程単位取得退学。専門は政治思想史。著書に『未完のファシズム』(司馬遼太郎賞受賞)、『左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本』等。

司馬作品の読み始め

大石 今年は、作家司馬遼太郎(1923~1996)の生誕100年に当たります。そこで、今日はいろいろな面から司馬さんについてお話しできればと思います。この企画の一番のキーワードは恐らく「国民的作家」ということになろうかと思います。司馬の他には、吉川英治や夏目漱石が国民的作家と言われていますが、近年では司馬遼太郎が抜きん出て、評価が高いのかなと。

まずは、『司馬遼太郎の時代』を昨年出版された福間さん。司馬作品との出会いからいかがですか。

福間 私が司馬を読み出したのは、小学校の高学年か中学の頃だったと思います。小学生や中学生にはちょっと小難しいので、「余談」のところは飛ばして、登場人物が勇躍するところばかりを追っていたようなところがあります。受験の時のある種のストレス発散みたいな、坂本龍馬はいいよな、と思いながら予備校に通っていた時期もありました。

ただ、それから20代半ばまでは断続的に読んでいたのですが、社会人を経て大学院に入ってからはパタッと読まなくなり、40半ばになってもう1回読み出した口です。

大石 どうして40半ばに再び読み始めたのですか。

福間 学部で面倒な仕事が回ってくるようになってきたんです(笑)。打ち合わせが多いので、時間が細切れになり、研究書や資料を、腰を据えて読めない。そういう中で息抜きに司馬を読むのがいいかなと。

また、司馬の本が、なぜこれだけ読まれているのかという関心もうっすらと芽生えていました。その頃は戦争体験論みたいな研究をやっていましたので、司馬の戦車兵体験がどのように作品に投影されていたのかや、大阪外国語学校時代のことにも関心がありました。

また、思想史の内在的な研究は片山さんはじめいろいろあるわけですが、もう少し外在的な、当時のビジネスの状況や戦後社会の変容と絡めてみたらどうだろうという意識も芽生えていました。

片山 私は司馬との出会いはかなり具体的に覚えていて、1973年、NHKの大河ドラマで『国盗り物語』が放映された時です。私が小学3年生の3学期に始まりました。『国盗り物語』には引き付けられて、見始めたら原作を読みたくなったんです。

それまでは本格的な大人が読むような文庫本の長編小説は読んだことがなかったんですが、『国盗り物語』の4巻本を買ってもらい熱中して読みました。

それから『関ケ原』や『城塞』に行って、一生懸命、司馬を読み始めたんです。私のおじが、甥が小学生なのに司馬を読み出したと聞いて、『坂の上の雲』のハードカバー、6巻本をくれたり(笑)。『空海の風景』や『翔ぶが如く』も、連載や単行本で出た時に読んでいました。

新撰組ブームもあったんですよね。『燃えよ剣』が栗塚旭の土方歳三でテレビドラマ化されて。あのときには間に合っていないのですが。

どのぐらい理解していたかは疑問ですが、とにかく、いつも司馬作品をそばに置いて、そのうち、山岡荘八や海音寺潮五郎や吉川英治も読むようになり、読み比べながら、いつも司馬遼太郎を気にしていました。司馬の本に育てられたような気持ちがとてもありますね。

福間 戦国物と幕末・明治物は同時並行で読まれた感じですか。

片山 まず戦国でしたね。『国盗り物語』『関ケ原』『城塞』あたりを読んで、当時『覇王の家』がまだ新しい本だったかな。『覇王の家』は今でも評判が悪いと思うけど、あまり面白いと思わなかった。家康を書くとつまらない、というのはたぶん司馬遼太郎の本質に関係していると思うんですね。

やはり信長や光秀とか、何かやってすぐ死んでしまう人のほうが輝く。坂本龍馬、高杉晋作、織田信長、大村益次郎など、やることをバッとやって、途中で死んでしまう人が司馬遼太郎の関心事なのだと思います。

三島事件と司馬遼太郎

大石 私の場合も、大河ドラマの影響があって『竜馬がゆく』とか、いくつかの作品は読んでいました。ただ、強い関心をもったきっかけは実は松本健一の本だったんです。私が中学生の時、三島由紀夫の割腹自殺があった。当時は気が付いていませんでしたが、毎日新聞の1面で司馬さんが三島を強く批判していた。その理由を松本さんは『三島由紀夫と司馬遼太郎』という本の中で大変面白く論じていた。司馬が三島をあそこまで強く批判したのはなぜなのか。これが1つのきっかけでした。

あともう1つ、吉村昭と司馬遼太郎の対比なんです。出来事が記録として残る時に、例えば司馬さんは記録の中にも嘘はあるのだから、俺はその記録を嘘も含めて歴史を鷲摑みするんだと。一方、吉村さんは、記録を徹底して調べて、残ったところは推測するけれど、それは妥当性を持った推測だと言うわけです。

虚像と実像が入り混じるという問題を司馬さんや吉村さんはどう考えているのか。ニュース論などとの関連で興味をもったというわけです。

国民的作家だけあって、司馬は国民的記憶というか集合的記憶として日本の芯にいる方のように思える。本人は周辺にいたつもりかもしれないけれど、文化勲章をもらっていつの間にかど真ん中に来ている。彼自身が歴史的なストーリーの中にどんどん組み込まれているところにも面白さを常に感じていました。

福間さんは、どの作品に一番こだわってこの本を書かれたのですか。

福間 特定のどれということではないのですが、どちらかというと『街道をゆく』などよりは歴史小説、しかも長編にフォーカスを当てました。『国盗り物語』『新史 太閤記』、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』といった、司馬の売上上位にくる作品に、結果的に注目したかなと思います。

でも、私自身は『坂の上の雲』を読み出したのは遅くて、会社員になった20代です。そしてその時はそれほど面白いと思わなかったんです。ただ、40半ばぐらいに読み直した時、やはり戦争体験や戦争を巡る情念みたいなものが、あの作品には結構投影されているなと感じ、そういう観点から若い頃によく読んでいた戦国物を読み直しました。

司馬の場合、幕末明治物、特に『坂の上の雲』が一番注目されると思うのですが、もちろん史実と違うところは結構ある。でも、そのことよりも私が興味を持ったのは、なぜ司馬がそういう事象をそういう切り口で描こうとしたのかです。

うがった見方かもしれませんが、やはり自分自身の戦争体験や、あるいはエリートに対する違和感といったものを投影する形で乃木のことを書き、『翔ぶが如く』の西郷、『国盗り物語』の明智光秀、『新史 太閤記』の秀吉を書いているのではないか、と感じるようになりました。

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