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【三人閑談】
司馬遼太郎生誕100年

2023/04/25

国民作家と見なされる理由

大石 マスカルチャーは混然一体となっていろいろな価値観が同居していた。それを拾い集めて整理してくれたのが、1人は司馬遼太郎で、もう1人松本清張が出てくる。国民作家と言ったなら、松本清張と司馬遼太郎が並び立つと思うけれど、いつの間にか司馬遼太郎の方がすっと浮上していって、差をつけられてしまったように思うんですね。そこに司馬さんの魅力もあるし、カリスマ要素もあるのかなと。

片山 日本に対して結構ひどいことを言っているはずなんですけどね。でも、皆が読みたいところを読めて、戦後の階級史観でもない、帝国主義史観でもない、日本が悪かったでもない。太平洋戦争のところは除けて、日露戦争まで日本は頑張っていたというイメージを与える。おっしゃるように司馬遼太郎が最終勝者になる。

松本清張だと明治も、『象徴の設計』で山縣有朋とか日本帝国主義の悪いやつがたくさんいたみたいなノリですからね。

福間 逆に言うと、司馬は明治の明るさと昭和の暗さ、両方語っていることが、国民作家とみなされる1つの理由でもあると思うんですね。暗い昭和だけを書いていたら、なかなかそうは言われない。明治の明るさだけだったら、当時の戦後歴史学が猛然と批判したでしょう。その両面に触れていたことが、戦後のある時期までは党派を超えて比較的受容された理由ではないでしょうか。

私は『覇王の家』は面白いと思うところがあって、家康のねちねちとした政治劇を延々と書いていくわけですよね。政治の駆け引きみたいなものの嫌な面も描きながら、組織のあり方やその歪みへのこだわりが司馬にはあるのかなと思います。陸軍的な組織へのいら立ちもあったのかなと思います。

松本清張はある種の弱者への肩入れは割とストレートに出すのですが、一方でそういう状況を生み出す組織のひずみや内部の力学を描くわけではないのかなと思います。

歴史を形作るものはなにか

大石 それは面白い視点ですね。お2人とも歴史が専門なのでお聞きしたいのですが、松山に「坂の上の雲ミュージアム」というものがありますね。これは、小説に乗っているからこそできるものだと思うのです。ある有名な創作物語が発表された後、そこで発掘された史実で歴史は修正されたり、膨らんでいくことがある。発見された事実を並べて編集するのが歴史だと考えた時に、歴史というものをどう捉えていったらいいのか。

片山 資料に即して専門的に研究すれば細分化していくわけで、どうしても大きな物語、まさに国民的というか、ある種の共同体が駆動していくような物語は生まれにくい。そういう大きな物語づくりのための、大ざっぱというか巨視的に見る見方、あるいは語りたいストーリーに努めて沿わせることはありますね。

『太平記』や『平家物語』も物語というのはそういうもので、史実を多少歪めても、皆をそうだと思わせる方に引っ張っていくことが大事だと。そういう機能を果たす人が国民作家というものになれるというところはあると思います。

大石 『竜馬がゆく』も司馬さんが書いて大河ドラマになり、龍馬の評価がぐっと上がって、龍馬空港という名前になった。そうすると、フィクションがノンフィクションの事実に影響を与えるという側面もあるのかとも思うのです。

片山 動員のための一種の方便としての歴史みたいなものでしょうね。そればかりになってしまうとまずいので、アカデミズム的な吉村昭や、あるいは五味川純平や松本清張的な逆からの物語もあってそこがある種の戦いになる。さらに、アカデミズムはそれは違うと突ついていく。これが全部機能しないとバランスがとれないのではと思うんですね。

アカデミズムが言っていることが全部正しくて、小説はインチキだと言っていたら、日本とは何かとか、日本人はどうやって生きているのかということに何の答えも出せないですよ。でも、それだけになってしまうと、抑圧された民衆のことなどが全部飛んでしまう。

だから、多元的に相克していくことが保たれる環境がないと、あっという間に焚書坑儒的にこれだけを読みなさいみたいになって、他はみんな要りませんと、とんでもないことになってしまう。

だから、清張と司馬、あるいは吉川英治とか、やはり何人か立場が違う国民作家がいて、司馬を読めば吉村昭も読んでいる人がいて、そういうことに実証的に干渉してくる学者がいるような環境がよいのだと思います。出版社もたくさんあった方がいい。どこかで一様になってしまうと怖いと思いますね。今ちょっとそういう怖さは感じるので。

『坂の上の雲』がおかしいというのは、『坂の上の雲』を読んでいるから初めてそう言えるわけで、半藤一利も吉村昭も司馬も、もっと若い人も読んでもらう。結局は教養の問題になりますかね。教養形成力としての国民作家みたいな。司馬遼太郎は今後も別の文脈で、時代の中で求められる作家だと思うのです。

福間 何で司馬だけこんなに議論され、批判されるのか。もちろん批判されるべきことはいろいろあるのですが、吉川英治や吉村昭を叩いても、議論としてあまり目立たないからだと思います。その点で司馬は別格で、それだけ逆にインパクトが大きかったと思うのです。

また社会学もそうだし、歴史学でもそうだと思いますが、どうしても狭い領域の中に閉じがちだと思うんですね。多角的な思考実験みたいなものは、もうちょっとなされてもいいのではないかと思うんです。

司馬は古代史や騎馬民族とかいろいろなことを好きに言って、学問に照らせば間違っていることもあったのかもしれませんが、細分化しがちな学問のあり方を考え直す契機にはなると思うのです。

もちろん大きな物語が常にいいというわけではないですが、細かなところに閉じがちなアカデミズムの中にも、1つの思考実験を組み込むような意識が、今日、もうちょっとあってもいいのかなと思います。

司馬にイデオロギーはないのか

大石 司馬さん自身は思想やイデオロギーを拒絶しますよね。三島についてもそうですが、あんなものは要らないとはっきり言う。その発言を聞いた時に、私はダニエル・ベルの『イデオロギーの終焉』(1960年)を思い出したんです。イデオロギーなき時代というのは、現状維持でいいんだと。マルクス主義というイデオロギーじゃなくて、資本主義という生の姿、現実を見ろと。色眼鏡で価値観を先に持って見るなと言うわけですよね。

だけど、司馬は作品の中で英雄を追っていったり、事件をたどっていったりするだけでも、実はそこに司馬さんの価値観、イデオロギーがあるじゃないかと、中村政則などは盛んに言うわけです。

司馬さんの価値観やイデオロギーというものが、歴史的コンテクストの中に置かれたときの思想史的な位置付けはどうなるのかという問題がありますね。司馬さんが1970年代に読まれた時と、今の2023年に読まれた時にどういう違いがあると思いますか。

片山 司馬さんのイデオロギーというか好みは、やはり朝鮮、高句麗、満州族、モンゴル、馬、自由というラインで満たされる世界があって、そこにつながっていると良い。アンチとして出てくるのは、中国の中原でも日本でも農耕民、農地にしがみついて、あるところでセクト化しているもの。そしてそれを正当化するようなイデオロギーです。そこに天皇がいて、三島などはそこにしがみついていると見えたのでしょう。

非農耕民的なイデオロギーを一生懸命肯定して、島国根性的なものは全部軽蔑する。これを司馬さんは脱イデオロギー的に言っているけど、司馬遼太郎イデオロギーは絶対にあると思うんですよね。当たり前過ぎて、皆、真面目に論じていないですが、そこを1回括弧に入れ、それが今後の日本にどのように役に立つのかを考えたほうがよいと思うのです。

高度成長期に第1次産業から第2次、第3次産業が主流となり、地方から都市への人の流れがある中で司馬はよく読まれたわけです。自由にあちこちに行って商売をし、合戦をしたり日本を大きくしたりするものがいいんだというノリで、皆読んだ。新撰組なんかも結局は多摩の農民が、農民をやめたいというだけですから。

そう考えると、司馬遼太郎イデオロギーをきちんと析出して、何で農業が駄目になって、日本が高度成長する時代に、なぜ皆喜んで読んだのかを考える意味はあると思います。もしかすると日本が今疲弊している中、モンゴルの馬賊が好きですみたいなノリで、ベンチャー志向の人などが読めば、高田屋嘉兵衛はいいなとか、次の価値観に基づく国民文学にもなりそうな気がします。

福間 おっしゃるように、司馬のイデオロギーみたいなものは当然あります。ただ私自身は、司馬の思想にももちろん興味はありますが、どちらかというと、司馬が言っていることそのものより、なぜそんなことを言ってしまうのかということの方に興味があります。

それは司馬の戦中体験が大きいと思うんですよね。司馬が言っていることは、史実に照らせば誤りもないとは言えないでしょうが、司馬なりに戦車兵体験の中で感じていたファナティズムへの違和感みたいなものを、三島批判などに仮託しながら語っていたということかと思います。

特に戦車は、陸軍の中でかなりメカの部分が強いところですし、商人の家という生い立ちからも、経済合理性への関心があったと思うんです。そういうところから、司馬なりに合理性を阻むようなイデオロギーは拒否していく。それが結果的には戦後の高度経済成長期以降の日本社会に親和的だったのだと思います。

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