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【三人閑談】
絨毯を愛でる

2022/12/26

日本の絨毯普及

 絨毯の流通というと、日本ではずっと、売る側が利益が一番出たり、売りやすく入手しやすいものを、販売していた気がします。僕も35年ぐらい扱っていますが、始めた頃はパキスタンの絨毯すらほとんど日本にはなかった。その頃、主流だったのは中国緞通(だんつう)でした。

 うちにも緞通、ありました。

 日本全国、ちょっとリッチなお家に行くと、必ず大きな緞通が敷いてあった。日本で最初に大量に入ってきた手織り絨毯なんですね。これは田中角栄さんの日中友好が背景にあると思います。その頃は中国にほとんど輸出品がなく、天津緞通と言われる中国製の絨毯が入ってきて、政治的な意図もあって広く売れたのではないかと思っています。

 そうか。最初に建てた家の少し広い部屋に緞通を入れたのですが、あれは角栄さんのお蔭ですか(笑)。ただ、その頃の絨毯は大きく重くて厚くて。もう、すぐに「これは要らない」ということになって。

 そうなんです。とても重かった。その後、まさにバブル期に入ってきたのがペルシャ絨毯です。絨毯自体は素晴らしいものでしたが、価格的 な混乱がありまして……。

 あの時は高ければ高いほどいいとか、細かければ細かいほうがいいとかいう話ばかりでしたね。

 そうです。イランの人たちが日本に持ってきていたのです。その当時はイランと日本の経済格差はものすごくあり、1枚絨毯を持ってきて日本で売れば、イランでマンションが建てられるくらいの利益が出たそうです。

 ちょっと大きな織りの細かい絨毯を買うと、日本でも車1台買えるどころではないような値段でしたよね。

 それがバブルが崩壊した後に絨毯が急に売れなくなり、イランの人たちも困って絨毯を直接安く売り始めたので急に値段が十分の一ぐらいになってしまった。そこで今までの流通とは全く違う形での販売が始まり、高額で買っていた方々は価格不信に陥り、絨毯はマイナスイメージができてしまった。

その後、キリムがおしゃれな女性の間で人気になり、アジアの家具や着物、工芸とともに入ってきました。一時、非常に売れましたが、そういう人たちが高齢化し、もう、ものは増やさないという断捨離に入ってきてしまって。

 まさに私の世代だわ。

 もう1つ、ギャッベという、たぶん日本で一番売れた手織り絨毯があります。これはイランの遊牧民が織っていると自称しているものですが、その多くは商業的な絨毯で、動物が文字の中にピョンといたり、日本人の感性に受ける感じで、今でも人気があります。

ところが、これはペルシャ絨毯のように細かくなく、どこでも織れるのですね。だからインドや中国とかで真似したものが出回って、これまた価格がオリジナルのギャッベとそれ以外で違いが出ています。このように常に絨毯は、いろいろなことに影響されやすいとも思います。

西洋絵画に描かれた絨毯

 でも、それだけ皆が好きなんでしょうね、絨毯を。

鎌田 そう思います。絨毯の歴史を振り返ると、ものすごい人気商品だったことがわかります。ちょうど絨毯の生産地はイスラーム圏と地理的に重なっているのですね。いい羊毛が採れ、そして、イスラームの広がりとともに、絨毯を使う慣習も広がっていく。というのも、イスラーム宮廷では絨毯は絶対に必要な調度だったからです。高級な絨毯はペルシャでもトルコでもインドでも、宮廷工房で織られていきます。

そして、イスラーム圏の絨毯が商品や贈答品としてヨーロッパにもたらされます。14世紀以降にはイタリア絵画の中にトルコの絨毯が描かれます。描かれる場所が宗教画の、例えば受胎告知の場面や聖母子像の下の部分なのです。その描き方がすごく細かいので、画家の名前を取り、ロレンツォ・ロットだったらロット絨毯と分類されるぐらいです。

一番初めは教会勢力、その後は力をつけてきたイタリアの商人層、それからヨーロッパの君主たちが14世紀から17、8世紀まで熱心に入手しました。はじめはトルコの絨毯が多いのですが、だんだんペルシャやインドに移っていきます。

17世紀以降は東インド会社が現地でヨーロッパで人気のデザインのものを商品としてつくらせ、ヨーロッパに入ってきます。そのように、常にヨーロッパが熱心に絨毯を集めている。やはりずっと変わらない魅力があるのだと思います。

 絵画の中に見られる絨毯を追ってゆくのもとても面白そうですね。そういえばフェルメールの絵の中でも、テーブルの上に絨毯がのっかっているものがありますよね。

鎌田 まさにそうです。当時は床に敷いて踏むのではなく、テーブル掛けなどとして使っていることが一般的には多いのです。

 そうか、貴重なものだから。

鎌田 はい。でも貴重であるゆえに、例えばヘンリー8世の肖像画などは、絨毯の上に立っている姿で描かせています。だから、ステイタスシンボルとしても絨毯は機能していて、君主たちの肖像画は、どれもペルシャやトルコの絨毯の上に立っている。

東インド会社の文書を読むと、当時の人もやはりペルシャ絨毯が一番良いことは把握しています。あとは北インド、ラホールとかの織の細かい絨毯が良いこともわかっている。一方、インドの南部でヨーロッパに人気のデザインを商品として作らせると安くできる。そういうものがヨ ーロッパ各地や、日本に入ってくるのです。

日本に現存しているインド絨毯は、日本にばかり残っているデザインなのですね。オランダ商人が日本側の人気デザインを把握していて日本で人気の赤い色のものを持ってきます。絨毯を見ると、当時の日本側とオランダ、インドの商人との密接な関わりが浮かび上がってくるようです。

様々なトライバルラグ

 トライバルラグは、遊牧民の各部族の女性たちが織るというお話でしたよね。着物の取材をしていた時、同じような絣で、見た目は同じようなものでも、その土地により、作り方が全く違い、染料も違っていて、その地方独特の工程や、特徴が表れていました。トライバルラグの場合も、その土地により、違ってくるわけですか。

 そうですね。トライブとは部族という意味ですが、部族ごとに、色、柄、技法、素材、とても特色があります。例えばトルクメンは絨毯を作る技術が非常に高いのです。

トライバルラグ:トルクメン ヨムート族(トルクメニスタン〜アフガニスタン北部) ラクダの膝飾り パイル 羊毛

 トルクメンの絨毯は、赤くて何か宝石のような感じがしますね。

 トルクメンはもうほとんどが赤です。トルクメン族とバルーチ族はトライバルラグの中で数が圧倒的に多いのですね。例えば、婚礼の時に持っていく絨毯は敷物が何枚と決まっていたりするんです。

 婚礼のプレゼントとして?

 いいえ、持参品です。自分の結婚のために、かなり若い頃から織り始めるのですね。持っていくものも袋が何枚とか、塩袋、サドルバッグとか細かく決まっています。

婚礼の時だけのためにラクダに飾る飾り絨毯とかもある。すごく量も必要なので、当然、技術も高くなってくるのです。そのように、生活に密接して絨毯があったのです。

トライバルラグ:クルド族(ホラサーン地方 イラン北東部) 塩袋 パイル 羊毛

 スコットランドのタータンチェックの文様のように、自分たちを表す特徴があるということですか。

 まさにそういうことです。トルクメンは、特に八角形のギョルとかギュルという文様がありますが、それは日本の家紋のようなものです。

トルクメンの中でも、テケ、ヨムート、サロール、サリク、エルサリなど、いろいろな支族に分かれている。さらにスレイマン家とか家柄までわかる。家紋的な文様は、現在でもずっと続けて織られています。

鎌田 そういうのが面白くてはまってしまうんです(笑)。

 日本の織物の絣なども、文様の1つ1つに意味があるとか、織り方にもいろいろありますからね。

鎌田 トルクメンも、女性が小さい時から母親に習っていく形で、部族の模様などが継承されていきます。日本の機織りも、かつては農村で母親から娘へと継承されていましたが、そういうところはとても似ていますよね。

 渋谷のトルクメニスタン大使館の若い女性の外交官から話を聞いたのですが、今も高校の必修科目に、絨毯を織るという科目があると言っていました。現在でもほとんどの女性は絨毯を上手に織れるそうです。

そういう意味では、日本でも高校や中学校で織物の授業とかで親しめるような機会があればいいですよね。

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