三田評論ONLINE

【三人閑談】
絨毯を愛でる

2022/12/26

触り心地の魅力

鎌田 檀さんは寝室にもペルシャ絨毯を置かれているんですか?

 小さいものですけど、ベッドの足もと用に。寝室はフローリングなので、朝起きて降りる時、固くてヒヤッとしますよね。シルクのすべすべしたやさしさが、素足には心地いいです。

鎌田 色とデザインがきれいという視覚に加えて、触り心地も絨毯の魅力の1つですよね。

雑誌で読んだのですが、坂東玉三郎さんもご自宅の寝室にすごくいい絹のペルシャ絨毯を敷かれていて、目覚めて、一番初めに触れるものが美しいものでありたいということでした。そういう触覚の楽しみもありますよね。

 絨毯は、そこに置くだけで部屋が華やかになったり、がらりと雰囲気が変わったり、いろいろなアクセントにもなりますね。

私は雑誌の企画で、裏千家のお家元をお招きしてお茶会を開いたことがありますが、その時に例の海が描かれたトルコの絨毯を敷いて、海の上でお茶会を開いているような感じにしようと言って、山まで1人で取りにいきました。そうしたら、重くて、重くて(笑)。

 絨毯は本当に重いですから。

 本当に爪がはがれるかと思いました。きれいな絨毯でしたが、カビてしまって、あれはもう甦らないですよね?

 実物を見ればできるかもしれないですね。毎年、地元の修理屋さんと一緒に絨毯の買い付けに行きます。僕が扱っているのは古い絨毯なので、少し破れていたり、房がもうなかったりするからです。

 頼もしいです。一度現地から呼んでいただきたい(笑)。

 やはり修理して、また元に戻して100年ぐらい使えるのも絨毯の魅力だと思います。

最古の絨毯

 タイルだったら1000年前のものとか残っていますよね。ローマ遺跡のタイルを見た時、「わあ、絨毯みたい」と思ったのですが、絨毯とタイルではどちらが先なのかしら。

鎌田 絨毯の歴史はすごく古いです。起源がわからないぐらい。現存最古はシベリアのお墓にあったパジリク絨毯と呼ばれるもので、かなりいい状態で出てきたものです。紀元前4世紀のものと言われています。

 シベリアから!

 パジリク渓谷というバイカル湖の近くです。冬はかなり冷えるところで、偶然が重なり、奇跡的に残った絨毯です。

スキタイという古い騎馬民族のお墓から出たのですが、スキタイは金製品のバックル、冠やベルトとかを古くからつくっていた民族で、たぶん墓泥棒がそこに入って金製品だけ盗んで絨毯は残っていたようです。

その後、水が中に入り込んでシベリアだから凍ったんでしょうね。偶然が重なったことで、絨毯が奇跡的に冷凍保存状態になったんです。

 色もきれいなままなんですか?

鎌田 きれいに残り、今、エルミタージュ美術館にあるので見ることができます。とにかく奇跡的な状態で残っています。

 騎馬民族は行く先々で絨毯を敷いていますものね。常に持ち歩いて。

鎌田 絨毯も大きく分けると2種類あります。ペルシャ絨毯のように都市の工房で商品としてつくられるものと、遊牧民が彼らの生活の中で作ってきたタイプの「トライバルラグ」と言われるものです。遊牧民はヤギやヒツジといった家畜を飼っているので、自分たちで毛を刈り、紡ぎ、それを女性が織り、それら全てが家財になるのですね。敷物だけではなく、袋物にしたり、生活に必要な道具を全部織って作ります。

榊さんは特にトライバルラグを扱われていますが、欧米にはトライバルラグのコレクターがたくさんいて、オークションもあり、同好の人が集まるソサエティもたくさんあるんです。一方、日本は欧米ほどにはそれが根付いていない。でも、私はだんだんトライバルなもののほうにはまってきています。

まず、都市の絨毯に比べると、価格が抑えられていて集めやすい。それと遊牧民は今、定住化政策などでだんだん少なくなっています。これまであったものがなくなっていくことはとても残念であり、それゆえ当時の技術で作ったものに心惹かれます。だから古いものを欲しくなってしまう。

 今、作られているものではなく、古いものということですね。

鎌田 はい、大体100年ぐらい前ですね。そういうものはまだまだ買えます。それが部族ごとに色や文様が皆違うので、それを知ると、また面白くなり、次は何族のものが欲しいとなってしまう。

それぞれの部族のトライバルラグについて、榊さんはたぶん日本で一番お詳しいディーラーでいらっしゃって、現地の遊牧民からたくさん購入されています。

トライバルラグに惹かれて

 遊牧民の方々は、親から受け継いだ古いものを持っていたりするわけですか。

 そうですね。私は最初は1988年、イラン・イラク戦争の末期のイランに行きました。そこでトルクメンという部族に出会い、それまで知らなかったトライバルラグに出会ったんですね。

エスファハーンという、日本で言えば京都のような古都で、何もやることがなく町を歩いていたら、1人の若者が声をかけてくれた。周りはひげの濃い人ばかりの中、彼は日本人のような顔をしていました。

それでホッとして話をしたら、彼はトルクメン族で、エスファハーンの美術学校にカスピ海の近くのゴンバデ・カーブースというトルクメンが多い町から、カリグラフィーの勉強に来ていたのです。その他にも美術学校では、クルド人やアルメニア人などいろいろな人たちが絵や伝統工芸の勉強をしていて、小さなカレッジみたいでした。

彼らも日本人が珍しかったのか受け入れてくれて、そこで1週間ほど過ごした経験が、トライバルラグに惹かれる大きなきっかけでした。

鎌田 トライバルラグは本当に生活の中から生み出されているのが魅力です。民藝の柳宗悦も1950年代に、家畜の背にかけて荷物を運ぶために遊牧民が作った袋物を、クッションのようにして書斎のソファーに置いているのですね。

柳は、絨毯について、そのデザインは生活の歴史の中から出てきたもので、作為がなく、生活そのものからつくられる美しさがあるとして、理想的な工芸品と位置付けている。そのことは驚きでした。

もう少し若い民藝の芹沢銈介や濱田庄司は、たくさんトライバルなものを持っています。民藝の人たちが理想とする美を体現するものの1つに遊牧民の絨毯もあるのですね。

 私は画家の堀文子先生の「押しかけ弟子」を自称していて、よくお宅にお邪魔していました。

最晩年、お体が弱られた時に、先生のおそばで泊まったりしましたが、堀先生も本当に世界中を旅した方で、いろいろな民芸品を持ち帰りお部屋に飾っていらっしゃいました。それをモチーフにした作品も多く遺されています。布などもよく集めていらした。生活の中から生まれたものの作為のなさと美しさが素晴らしいとおっしゃっていましたが、本当にそうなのでしょうね。

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