【三人閑談】
美しく文字を書く
2022/11/25
カリグラフィーの中の日本的なもの
岩井 西村さんが習ったミュリエル・ガチーニ先生の指導方法はどのようなものだったのですか?
西村 私は完全にガチーニ先生の指導方法を引き継いでいまして、まず、写本を見なさい、お手本もよく見なさいと言われました。あなたは見ているようで見ていない、だから書けない、と。
アルファベットは単純な図形の組み合わせでできているので、まずは丸や線で書体の特徴を分析します。つまりOとIとLです。書体の基本形を全アルファベット書けるようになったら、変形とアレンジも。スペースが狭い場合の節約の手法や、逆に余裕がある場合の延長のさせ方、効果的なイメージチェンジや全体のバランスの取り方などです。これらを歴史と合わせて習得していきます。
桂 全体のバランスというのは、岩井さんの言う余白に近いものでしょうか。
西村 そうかもしれません。以前、海外で展覧会に出品した時に、現地のアーティストにあなたの作品はすごく日本的だと言われました。私としては写本そのままの"ザ・西洋の古典"な作品を出したつもりだったので、その時に彼の言っている意味が全然わからなかった。どうやら一般的な西洋人が選ぶものよりも余白を広めにとり、真っすぐに書かれていたそうなんです。
もちろん真っすぐ書くのは西洋人も同じなのですが、日本人にはわからないような、西洋人から見て東洋的なポイントがあるのでしょうね。カリグラファーとしては一つの個性なのかもしれませんが、私は日本らしさを出そうなどとは思っていなかったので衝撃でした。
岩井 自然に滲み出たのでしょうね。
西村 日本人として培われた何かがあったのかもしれません。だとしたら嬉しいです。
岩井 たしかに仮名書道の余白と近いところはあると思います。こちらは日本のオリジナルの文化ですが、もしかすると日本人しか感じえないような余白の美みたいなものがあるのかもしれない。仮名書道でも、同じものを書いて個人差が出ることはよくあります。例えば同じ2行を書いてみても、行間を測ると数ミリのわずかな違いによってうるさく見えたり、寂しく見えたりするんです。
桂 微妙な違いによって与える印象が大きく変わるのですね。
岩井 自分の字を生かす行間というのもあります。さらに文字の中にも空間をつくる技術がある。いろいろなレベルの余白があり、その積み重ねで全体ができるのです。先に書いた線の勢いや形によって、次の字の書き出しの位置が変わることもあります。
西村 それはとてもよくわかります。
岩井 仮名書道と西村さんのカリグラフィーは結構似ているかもしれませんね。タイプが近い気がします。
西村 とても光栄です。
岩井 線を引く位置は同じでも、字の形によって行間が広く見えることもあります。じつに微妙な差なのですが不思議なものですよね。
字の美しさを客観的に伝えるには
西村 もしかしたら桂さんにとって結構つらいお話なのかも(笑)。
桂 よく、AIが登場することできっと何でもやってくれるだろうと言われるのですが、今日はやはりそんなことはないんだなと教えていただいた気分です(笑)。お二人とも日々修業され、それぞれの世界の道半ばであると仰り、その中でスキルを向上することの難しさがある。ロボットが上達するためには、同じようにさまざまな過程を積み重ねていかなければならないのだろうなと感じました。
コンピュータの世界は計算が高速なので、データを大量に扱えるメリットはありますが、地道なところはきわめて地道にやらないと、それこそ個性ではなく、癖だけを取り出してしまうようなことに陥りかねないと思いました。
西村 私は字を書くことに加え、カリグラフィーの歴史をつないでいきたいという思いがあります。その立場で言うと、やはり下手なものは下手だと言わざるを得ないなと思っています(笑)。積み上げて足して伝え続けていくのが自分の役割だろうと。
桂 そうですね。おそらくどの世界もきっと同じなのだろうと思います。私もものづくりなどいろいろなスキルを再現するロボット研究を進めていきたいと思いますが、研究の世界でも修業に時間がかかります。その中で人にしかできないものがあるのはなぜなのかを突き詰めていくと、スキルとは何なのか、ロボットに身に付けさせるには何が必要なのかといった問いにいきつくのでしょうね。
岩井 ご研究の中で、例えば僕の字の余白がきれいに見える理由を客観的に説明できるようなところにつなげていただけたら嬉しいです。
僕も大学で講義を受け持っていますが、学生たちに最初に話すのは、できるだけ感性の要らない授業をしたいということなんです。というのも、東山先生は「この点はここに打った方がきれいだと思わないのかな?」という教え方をする人だったんです。黙って聞いていると「そう思わないからそこに点を打つんだろうね」と。嫌味でしょう?(笑)。
でも授業では、ここに点を打つと余白が広がるというふうに、客観性を持った説明ができないといけない。「こっちの方がきれいでしょう」では違う感性を持った人には通じないと思うのです。桂さんにもそのような分析を期待したいです。
美しく書くとは
岩井 とはいえ今日のテーマの「美しく書く」というのは難題ですね。
西村 本当に難しいです。
カリグラフィーの世界ではやはり明確さと正確さ、線の美しさが大切です。曖昧にならないように気を付けなければいけないんです。
文字も言葉も変わっていくものではありますが、変わらない部分も必ずあって、1本1本の線を丁寧に書くとか、きれいなつなぎ目とか、心を込めて正確に書くことが美しさにつながるのだろうなと思います。小さくて画数の少ない文字だからこそ、緻密さを心がける。おのずと、自分の気持ちも文字に乗ってきます。
岩井 その点、仮名書道は一般の方が美しいきれいな字を書くというのとはまた少し違うアプローチなのかもしれません。僕たちの場合は何文字かをつなげて書きます。でも、つなげるというのは実際の線でつながっている場合と、離れていても呼吸がつながって見える場合の両方があるんです。それは「受け止め」というような感覚なのですが、その時の間にもちょうどいい距離というものがあり、そうしたつながり方、呼吸の流れが美しさを醸し出していると言えます。
でも、僕がいろいろと工夫をして、これは面白いぞと思っても、じつは平安時代にほとんどやり尽くされているんですよね。新しい発明というのはほぼないんです。仮にあったとしてもそういう作品は独りよがりで、見る人に感動を与えるものにはなりません。
ですから、あまりよけいなことをせず、伝統に則ったほうがいい。その根底には、平安時代から変わっていない日本人の美意識のDNAがあるかもしれないからです。その美意識が今も生きていれば、現代人がわざわざ現代らしく書こうなどと思う必要なんてないと思うのです。
西村 日々積み上げてきたもの、という感じですね。
岩井 それは滲み出てくるのではないかなと。古典に則った書き方で、真摯に自分らしさを出したいと思えば、それが一番美しく見えるのではないかなと思います。言葉にすれば、品と格調ということになるでしょう。
西村 同感です。
桂 平安時代にやり尽くされているというのがすごいですね。
西村 私たちの書道もそうですし、桂さんのテクノロジーも同じかもしれませんが、違うことをやるぞと意気込んでも、過去を知らないままで試みたものの大半は、過去に淘汰されたものですよね。新しいことよりも古いことの中にこそ自分がさらに輝ける種があると思って、まずは真摯に昔のものを勉強することが大切ではないかと思います。
岩井 すぐに結果を求めず、筆やペンを持って何かを書いているという過程が好きな人には、書道が向いている気がします。
西村 私の生徒の中でも、淡々と続けた人ほど個性的になっていきます。文字が伸び伸びとその人らしくなっていきますね。
桂 最近はペンで字を書く機会が本当に減ってしまい、強いて言えば学生の論文を添削する時ぐらいです。今はいろいろなツールがありますが、添削はできるだけ自筆で直したものを渡すようにしています。というのも、文字にはやはり書いた人が心を込められる部分があると思うからです。大学に書類を出す時も手書きのメモを付けますが、そういう部分に人の心が現れる気がします。
ロボットもどこか無機質なものに思われがちですが、人間の行動を再現するだけでなく、西村さんのように歴史的なものを慮る中から原理となる理論が見えてくると、そのロボットは人と親和性をもつ動きができるようになるのではと思いました。
レオナルド・ダ・ヴィンチではないですが、かつて芸術と工学が一体だった時代から、学問が次第に細分化されていき、今はスマホのようなもので読み書きできてしまうまでになりました。これからは芸術と工学が再融合する形でロボットに人間由来のものを取り込んでいきたいと考えています。
岩井 いいですね。そんな未来を楽しみにしています。
(2022年9月5日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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