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【三人閑談】
美しく文字を書く

2022/11/25

なぜロボットに書かせたか

岩井 こうした技術を応用すると、今後どのようなことが可能になるのでしょう。

 一つは技術保存や伝承でしょうか。書家の方の書法をデータ化することで後世にも再現可能になります。書く速さや筆圧も数値化されているので、特定の動きを分析することもできます。

このほか、練習や指導の場でも先生と生徒の字の違いをデータで比べられるようになるとトレーニングにも生かせるのではと考えています。

西村 例えば、ロボットが再現するアームの動きを生徒が持って体感するといったこともできますか?

 はい、それも可能です。

西村 すると、私が岩井さんの運筆を体験し字を再現するということもいずれ可能になるのでしょうか。

 おそらく実現可能です。岩井さんご本人がその場にいなくても、手を取って指導してもらえる状況をつくることもできます。

西村 ロボットに文字を書かせようと考えたのはなぜでしょう?

 当初、書道だけはロボットにできないと言われていたのが挑戦しようとした一番の理由です。

この技術はテレビ番組でも取り上げてもらい、ご覧になった方からは脳卒中や脳損傷の患者さんで高次脳機能障害をお持ちの方のサポートに応用できないかという問い合わせもいただきました。

高次脳機能障害の症状の一つに、漢字を読むことはできるものの、お手本を前に同じ字を書こうとしてもそれができないという状態があります。「失書」と呼ばれますが、まだリハビリのやり方も確立されていない中で、私たちの技術を見てリハビリに取り入れられないかというお話をいただきました。とはいえ、ロボットにできない部分もまだ多く、今後は改良を加えながら、もっと技術を高めていきたいと思っています。

西村 今後どれくらい繊細な動きが再現可能になるのか興味が尽きません。

 仰るとおり、これはロボット業界の共通の課題です。字を書くためのアームには縦・横・高さに対応する3つのモーターしか付いていません。人間の手や腕の関節は三十弱ある。それぞれの部位を個別に動かしながら、人間並みに自由度を高めていけるようにすることも課題です。

やはり一番すぐれているのは人の手なのです。道具を使う動きをロボットで再現するのはなかなか難しい。ちなみに、岩井さんが筆をとる時は、体の使い方をどのように意識しておられますか?

岩井 字を書く時は机で書くこともあれば、床で書くこともあり、バランスのとり方はさまざまです。

例えば、人前でデモンストレーションとして書かされることがあります。僕もある時、300人くらいが見ている前で畳一畳分ぐらいの紙に書いたことがありました。この時は漢字書道の先生と私がそれぞれ書いたのですが、左手の付き方やバランスのとり方が全然違いました。加齢によって腹筋、背筋が弱くなり、体勢が変わる場合もあります。

文字を繰り返し書く時に全く同じ動作をとることはないんですね。筆の軸と、筆の先端の穂の位置を逆にして書く「逆筆」という書法がありますが、これには最後に力を少し抜いていき、毛の弾力で筆自身が書いてくれる瞬間があります。それをロボットに書きながら選択させるのはなかなか難しいかもしれません。

西村 でも、期待しますよね。

岩井 うん、おもしろいと思う。

 ロボットが再現することに、抵抗はありませんか?

西村 私は期待しかないです。

芸術の世界でAIができること

岩井 少し意地悪を言うと、毛の種類によって筆の弾力は違いますし、紙の種類によって滲み方や筆の引っ掛かり方が違います。

テニスで言えばクレーコートとハードコートでボールのはね方、打ち方や道具が違うのと似ているかもしれません。書道も筆や紙に応じた筆運びがあるわけですね。こうしたデータをインプットするのはものすごく労力がかかるように思います。

 課題はそこなんです。今はまだ情報が不足しており、同じ字を再現するには同じ半紙と同じ筆でなければなりません。

西村 先が長くて楽しいですね。こうした技術にどうして期待が持てるかというと、私たちもいずれいなくなる存在なので、今の知識や技術をどう残そうかと考えるわけです。

例えば、羽根ペンは鳥から抜けた羽根をカットしただけのものなのですが、とにかく繊細。目の前にいる生徒たちには手をとって微妙な力の加減を伝えられますが、それも永遠ではありません。また今は方眼紙を1ミリごとにわけるブルーの線一本一本の上と下を見分ける自信があっても、いずれピントが合わなくなる歳になると同じ精度では書けないでしょう。どうしたらいいだろうといつも考えています。

岩井 桂さんの技術からは、私たちに取って代わられる危機感はない。安心感があります(笑)。

西村 そうですね。とても楽しみです。

 よかったです。今日は、AIが芸術の分野でも人の仕事を奪ったらどうなるんだという反応だったらどうしようと不安でした。

西村 まさか。本当に期待しかないです。

岩井 書道を学ぶことで最低限のテクニックを身に付けたら、その後は個々のセンスや感性を磨いていけばよいと思うのです。絵も同じでしょう。模写を繰り返し、色使いやタッチを学んだ後にオリジナリティを身に付けていくわけじゃないですか。

書の場合は、ずっとお手本を見て書いている印象が強いと思いますが、自分らしい字が書けるようになるためには、いろいろと学ばなくてはいけません。そこへの橋渡しをロボットが担ってくれるのは期待が持てます。

手と道具との対話

 岩井さんの逆筆のお話の中で、筆や紙選びによって書かれるものが違うというのが印象的だったのですが、カリグラフィーでも身体と筆や紙が対話するような側面があるのでしょうか。

西村 私たちが使うのは洋紙ですが、歪みや滲み具合には非常に気を配ります。同じ紙、同じ道具を使っていても気候による影響は大きいです。

紙だけではなく羊皮紙も使います。羊皮紙は動物の皮なので個体差がすごく大きい。動物の身体の一部そのものですからね。羽根ペンも、柔軟性とか、カーブの曲がり具合とか、水鳥の脂っぽさとか。道具の組み合わせによって毎回違うので時々で変えるしかありません。正確に書くためには、手を当てた瞬間から細かい調整が必要です。

岩井 正確に書くという場合、何に対して正確にと言うのでしょう?

西村 アルファベットは漢字に比べて画数がとても少ないのです。単純な形が二十数個しかない上に、似ている形が多い。そこで線の明確さと形の正確さが大切になるのです。これは読み手に伝わるポイントの一つになります。

文字の歴史は人の心の歴史で、残したい思いがあるから書き残したものなのだなと日々感じています。文字そのものが意味を持たないアルファベットだからこそ、文章と印象を駆使して「伝えるために書く」を大切にしたいと思っています[図2]。

図2 西村弥生さんによるカリグラフィー作品

少しの滲みやつなぎ目の太さでも印象は大きく変わります。古い書体用の幅のあるペンではペンの幅以上に太く書けないので、細いところを細く書くことでしか太さの差が出せません。でも、その差こそがエレガンスなのです。

見る力も重要です。とくにトラディショナル・カリグラフィーは誰が書いても同じに見えると言われるのですが、私には著名な能書家の字はもちろん、生徒の字もすべて違って見えます。線の伸び、つなぎ目や跳ねの数値化できない差、書体の理解と選択。誰一人同じではありません。でもそういう目を持っている人がまだ少ないので書く技術とともに見る技術も伝えていきたいです。

岩井さんも仮名書道の指導に当たられていますが、作品を読解するためには相当な訓練が必要ではないかと思います。生徒さんたちにも読めるように指導を行うのでしょうか。

岩井 読めるように教えます。ですが、もちろんいきなり読めるようにはなりません。僕も何年も訓練しましたから。やはり最初は真似から入ることになりますね。

20代のころ、ある先生から「墨の使い方三年、線一生」と言われました。墨はだいぶ使いこなせるようになりましたが、線は今も発展過程です。最近はやっと余白も書けるようになってきたかなと、自分なりに感じています。

 「余白も書ける」というのはどのような感じですか?

岩井 美しく見せるための要素の一つに、余白に響く余韻というものがありますが、それはきわめて主観的なものです。美しく見えないと言われてしまえばそれまでのこと。ですが、僕自身は試行錯誤を重ねた結果、こう書くときれいな余白が生まれるというレベルになってきたように思います。

西村 余白をいかにつくるかはカリグラフィーにおいても重要ですが、私はまだまだ勉強中です。

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