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【三人閑談】
歴史のなかの猫たち

2022/06/24

消える野良猫

金子 地域猫は基本的に一代限りということであれば、目指すのは外にいる猫をなくすということでしょうか。

真辺 最終的にはそれを目指しています。

金子 すべて不妊・去勢してしまうということですね。

志村 そうですね。東京の中心部だと相当効果があるようです。さらにそれが徹底的に行われているのが、例えばロンドンです。熊楠の日記にはよく出てきますし、1990年代まではいたようですが、今は街を歩いていても野良猫を全然見ません。行政が完全に管理して野良猫をなくしてしまった。だから猫好きの私としてはロンドンを歩いていてもつまらない(笑)。

真辺 今はヨーロッパではどこの国も、都市で野良猫を見ることは少ないですよね。昔はイタリアなんかもすごくたくさん野良猫がいたようですが、今はローマでも保護猫団体が管理する場所以外ではあまり見ない。

事故や虐待を避けるには仕方ないですが、社会全体として見た時に、猫も歩けないコンクリばかりの都市でいいのかという気持ちもあります。

金子 一生、家の中にいても猫にとっては不幸ではないのかもしれませんが、われわれ人間にとっては塀の上を歩いていてほしいという願望もある。でも、結局、それは人間の願望ですよね。

志村 そうですね。

真辺 猫カフェとか猫島とか、今、猫名所がいっぱいできていますけど、それはやはり身近に猫が減ってきた結果だと思うんですね。野良猫がいっぱいいれば、猫カフェに行かないでも触れ合えるわけだから。

猫カフェは日本では確実に増えていますし、今はヨーロッパにも猫カフェがたくさんあり、世界に広まっている感じです。

志村 『熊楠と猫』の本をつくった時に、打ち合わせを池袋の猫カフェでしました。初めて猫カフェに行ったんですが、ワラワラ寄ってきて、楽しいは楽しいですね。料金は結構しますけれど。

猫の死をどう受け止めるか

志村 猫は短命で、必ず人間より早く死ぬのが一番つらいところです。寿命は15年ぐらいと言われていますね。うちは飼っていた子が死んだ後、家族がすごく悲しんで、もう次の猫は飼えなかったくらいで。猫の死と、どのように人々が向き合っていくのかがすごく気になります。

金子 私も親が死ぬよりつらかったですね。もう飼えないと思い、それから飼ってないです。私はこのあいだ60歳になったんですが、今もし子猫を飼ったら、自分のほうが先に死ぬかもしれないと思ってしまうし。

志村 あれだけつらいのに、何で人は猫を飼うのかな、と。

金子 猫が死ぬと何であんなにつらいんでしょうね。体重、減りましたから。

真辺 私も最初に飼っていた猫が死んだ時は本当に涙が止まらなくて。親戚が死んだ時にも泣いたことがなかったので、何でだろうと、ずっと思っていたんです。佐藤春夫が、やはり飼い猫が死んだ時に涙が止まらなくて、何でだろうと考えたらしいんです。

佐藤は、人間だったらその人が何かしゃべれば、違う人格だということがわかるんだけど、猫の場合、「この猫、いま何を考えているのか」と、推測しないといけないので、ある意味、自分がその猫を見ている時に猫になりきっている。そのように自分の一部になって自分が猫の立場になって考えているので、それがなくなった時に自分の一部がなくなったかのように悲しいのだろうと書いていて、なるほどと思いました。

金子 犬が死んだ時もつらかったですけど、でも、やっぱり猫のほうがつらかった。同じくらいかわいがったんですけど、死んだ時の気持ちは違った。

志村 うちも犬も飼っていたんですが、犬のほうが距離感というか、序列的な感覚があった気がします。真辺家には今も猫がいるんですか。

真辺 はい。1匹います。当初純血種のロシアンブルーというあまり鳴かない猫を飼い始めたんですが、8歳で死んでしまった。その時はもう二度と飼いたくないと思ったんですが、その死んだ日に生まれた、同じ種類の猫に偶然出会ってしまったんです。「これは生まれ変わりじゃないか」と思い、それでまた飼い始めました。もうすぐ13歳です。

志村 猫は生まれ変わるという話がありますね。「猫には9つの命がある」と言ったりして。犬の場合はあまり聞かない。

真辺 そうですね。

志村 どうしてそんなことが言われるんでしょうか。『100万回生きたねこ』という作品もありますし。

大学と猫

志村 そう言えば三田には猫がいませんよね。何年か前に文学部の民族学考古学専攻の学生が猫をテーマに卒論を書いたことがあったんですが、やはり「三田では見たことがない」と言っていました。早稲田ではこの子以外に何匹いるのですか。

真辺 3匹ぐらいですね。でも、だんだん数が減ってきて。一時期1匹だけになったことがあるらしく、今はまたちょっと増えましたけど、基本的には減少傾向にあるようです。

志村 京大の大学院生時代に研究科棟の脇に、箱に入れた子猫が3匹捨ててあったことがありました。大学に猫を捨てるというのは、定番の方法なのかもしれません。

京大には吉田寮という有名な寮がありますが、寮生の誰かしらが面倒を見てくれるということで、あそこもしばしば捨てられるらしいです。

金子 府中市美術館も22年間で1回だけ捨て猫がありましたね。

真辺 佐藤春夫もそうですが、尾崎行雄、久保田万太郎、松永安左エ門、村松梢風、龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)、奥野信太郎など、慶應出身者は昔から割と猫が好きな人が多いようなイメージがあります。早稲田は戦前にはあまりいない。

実は慶應の図書館は、昔の猫に関する洋書をたくさん持っているんです。なぜかというと、水木京太(大正8年卒)という劇作家がいまして、水木京太はものすごい猫好きですけど、奥さんが猫嫌いだったらしく、猫を飼えない代わりに猫の本を集めていたらしいんです。亡くなった時にそれが慶應の図書館に寄付されたんですね。

志村 民族学考古学専攻の収蔵庫には、発掘されたオオヤマネコの骨がたくさんあります。

金子 猫好きはグッズを買いまくるそうですね。犬好きは自分の飼っている犬しか興味がないらしいんですが、猫好きは自分が飼っている猫だけではなくグッズも欲しがるのが犬好きと違うと聞いたことがあり、確かにそうかもと思います。

志村 やはり犬は、それぞれの家の中に序列的に組み入れられている存在だからですかね。

真辺 そうですね。自分との関係において忠実だから好きだというところがあり、猫は、別にかまってくれなくても、それでも好きだということだから。

金子 自分の猫以外にも興味があるのは猫好きの特徴ですね。

(2022年4月20日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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