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【三人閑談】
歴史のなかの猫たち

2022/06/24

熊楠が描いた猫

志村 日本の近代小説の猫には、西洋文学での猫の描き方が影響を与えているんでしょうか。

真辺 相当影響を与えていると思います。志村さんのほうがお詳しいかもしれませんが、漱石にはイギリスの猫を主人公にした文学がかなり影響を与えていると言われています。

最初は明治中期に児童文学の世界で西洋の猫の描き方が入ってくる。その中で描かれる猫は、多少擬人化はされているものの、基本的には猫の存在そのままで描かれているものが多いのですが、そういったものが明治の終わり頃、一般の小説にも相当入ってきます。

志村 現代のわれわれの猫に対する態度って、いったいいつぐらいから日本にあったものなんでしょうね。伝統的なものなのか、輸入されたものなのか、気になります。

金子 志村さんのご本で熊楠の描いた猫を初めて見たのですが、そこで印象に残ったのは、全部ではないですが、人間みたいな顔をした猫が多いなということです。

その時思ったのは、ヨーロッパでは風刺として描かれる動物がありますが、ああいう影響ですかね。

志村 熊楠がいったいどんな影響の下に猫の絵を描いたのかは、われわれ熊楠研究者のあいだでも懸案となっているのですが、残念ながらわかっていないのです。

ご指摘いただいたように、熊楠の絵は写実的なものではないんですね。明らかに人間的な感情とか表情とかが込めてある。その理由の一つは、熊楠が気合いを入れてきちんと描いた絵は、しばしば人に贈るために描いているからなんです。

自分の貧しい境遇や世に認められない状況を猫に託し、パトロンに当たるような人に贈って、なにがしかの援助や謝金をもらうといったものです。だから、ある意味、熊楠は猫の中に自分自身を描いている面もある。

ただ熊楠は日記の端っことかに猫を描いていることも多く、何でここに猫がいるんだって不思議な絵もあるんですけど(笑)、そういう猫たちはのびのび暮らしています。

一時期、南方熊楠顕彰館でも、猫を館内で飼ったらどうかという案が出たこともありましたが、さすがに無理でした。

金子 館長を猫にしたらいいんじゃないですか。名誉館長ぐらいなら(笑)。

現代の猫事情

志村 ペットフード協会が毎年ペットの飼育頭数の調査をしていますが、2017年に猫の飼育頭数が犬を逆転しました。猫の人気が高まりつつあるわけですが、今のようなかわいがられ方になった転機みたいなのはいつ頃なんでしょうか。

真辺 基本的には高度成長の後にだんだんそうなってきたのだと思います。いろいろな要因があると思いますが、一番はやはり豊かになって余裕ができたということがありますし、同時に家族自体が変容していきます。

核家族化が進み、夫婦だけの世帯も増えていく。そうすると猫を子どもみたいに可愛がることも増えてくる。そういった社会のあり方の変化も関わっていると思います。

金子 今は1人暮らしでも猫を飼っている人がいますね。

真辺 やはり猫は飼いやすいでしょうからね。犬の場合は散歩もさせなければいけないし、大きいと外で飼うことが多いけれど、猫の場合は家の中で飼えるので、マンション暮らしが増えてきているところにも合っていますよね。

金子 獣医さんなんかが推奨してきたのだと思いますが、完全な室内飼いが普及しましたよね。

真辺 都市は特に交通事故があるので。

金子 私が前に飼っていた猫は、会津若松でうちに通ってきた猫だったんですけれど、東京に引っ越さなければいけなくなり獣医さんに相談したら、「大丈夫。この子なら順応できますよ」と言われて閉じ込めたんです。

ある時、ようやく砂の上でトイレをしてくれた。そうしたら一切外に出たがらなくなりました。不思議なものですね。だから室内飼いは猫にとって苦痛じゃないんです。

真辺 猫は結構臆病なので、知らない場所にあまり行きたがらないですよね。もちろん猫にも個性があるから、猫ごとに違うと思いますけど。

志村 それと、猫の入手方法が気になっているんです。うちは野良がいつの間にか居着くパターンでしたけど、かつては血統書付きの猫がもてはやされましたよね。でも、ペットショップに行って購入する人は最近ではむしろ減っているとも聞いていて。

金子 減っているんですか。

志村 ええ、譲渡が多いと。保健所とか、そこにつながっている愛護団体とかが頑張っていて、処分される猫の譲渡がずいぶん広まっているみたいです。

金子 そっちのほうがうれしい話ですけど。

真辺 猫をペットショップで買ってくること自体、そんなに歴史が長くはないですね。犬や鳥は専門の業者が江戸時代からあるらしいですが、猫はペスト対策の一時期を除けば、専門店はずっとなかったらしく、高度成長期の頃にやっとできてきた。

以前は、例えば芸能人が猫を飼うというとシャム猫やペルシャ猫といった洋猫を飼う人が多かったのですが、最近は保護猫がクローズアップされてきています。今、石田ゆり子さんの猫とかインスタグラムで人気があるようですが、やはり保護猫です。ペットショップで買う比率はかなり下がってきているのかと思います。

志村 猫がペットショップで売りにくいのは、品種の確立が難しいのもあると思います。外に出して飼っていると、勝手に恋をして混ざりますからね(笑)。血統書が付いていれば高く売れるけれど、ミックスには値はつけられない。

ブリーダーなり愛猫団体なりで、品種ごとに純血の系統を確立して血統書付きで売っているところも、もちろんありますが。

真辺 あと犬との大きな違いは、犬は今、ほとんどうろついている野良犬はいないですよね。猫はまだ結構いるので、そのあたりも違いますよね。拾ってくることができるので。

「地域猫」の登場

志村 真辺さんのご本(『猫が歩いた近現代』)の表紙の猫は早稲田大学の地域猫だそうですね。

真辺 そうですね。大学にある地域猫サークルが面倒を見ている猫です。慶應はないんですか。

志村 三田では聞いたことがありませんが、日吉に「猫サークルひよねこ」という未公認団体があります。

真辺 今は結構いろいろな大学にできているようです。早稲田でつくられたのが、大学では一番早いみたいですね。

金子 地域で猫をという動きはいつ頃からでしょうね。

真辺 地域猫という名前自体は、たぶん90年代ぐらいに広まったと思うんですが、それを実際にやっている団体はもうちょっと前からあったとは思います。行政がかかわったのは、横浜の磯子区が最初だと言われていて、それが成功したので広まっていったみたいですね。

金子 行政がどんなかかわり方をするのですか。

真辺 地域の中で猫が好きな人と嫌いな人がいて、トラブルになることが多い。そこで行政が加わって説明会を開き、「ちゃんと避妊、去勢をさせますし、餌をあげた後には片付けますので」とお互いに合意形成して、地域に猫が一代限りでいることを認めてもらうんです。

金子 一代限りなんですね。猫嫌いというのは今でもかなり多いですからね。

真辺 昔に比べれば減ったと思いますが、それでもかなりいますね。

金子 何か壊したりひっかいたりといった実害もそうですが、何となくイメージで猫を嫌う人は今も多くて、私の父や弟も割とそうです。猫に上から見られている感じがして嫌らしいんですよ。犬って絶対下からじゃないですか。人間に忠実だし。

猫の視線に、ちょっと薄気味悪さを感じるらしいですね。それは化け猫につながってくるのかもしれないですけれど。

志村 近頃は猫嫌いの人も、表明しづらくなっているでしょうしね。

真辺 自分の猫は好きだけど他人の猫は蹴っ飛ばすみたいなのは、表面上はだんだんなくなってきていると思いますが、実態としては今でも猫を捨てる人は結構いますし、身勝手な飼い方をする人もいますね。

社会的に猫ブームが過熱して、捨て猫や殺処分が大きく批判されるようにもなってきているので、大っぴらに猫を捨てたり、猫を嫌いだと言って乱暴に扱ったりはできない雰囲気にはなっていると思います。

最近問題になっているのは、猫をかわいがっている人でも、たくさん飼ってしまって崩壊状態になっているケースです。そういう人は猫を嫌いなわけではないけれど、結果的に猫をつらい目に遭わせている。

志村 地域猫がかわいがられている地域には、いつの間にか知らない猫が加わっていることが多いと聞きますね。ネットなんかで知って、遠くから捨てに来る人がいる。

和歌山の田辺市でも以前に問題になった地域がありましたが、わりと早くから市民団体と協調して管理できるようになりました。熊楠の猫好きとは関係ないとは思いますが。

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