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【三人閑談】
歴史のなかの猫たち

2022/06/24

  • 真辺 将之(まなべ まさゆき)

    早稲田大学文学学術院教授。同大学歴史館副館長。2003年早稲田大学大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士課程満期退学。博士(文学)。専門は日本近現代史。著書に『猫が歩いた近現代』等。

  • 金子 信久(かねこ のぶひさ)

    府中市美術館学芸員。1985年慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。専門は江戸時代絵画史。著書に『ねこと国芳』『江戸かわいい動物 たのしい日本美術』等。

  • 志村 真幸(しむら まさき)

    南方熊楠顕彰会理事。慶應義塾大学非常勤講師。2000年慶應義塾大学文学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。2020年にサントリー学芸賞。著書に『熊楠と猫』『日本犬の誕生』『絶滅したオオカミの物語』等。

歌川国芳が描いた猫

金子 私は江戸美術が専門ですが、『ねこと国芳』という本の他に、歌川国芳(うたがわくによし)(1797~1861)が絵を描いた山東京山(さんとうきょうざん)の『朧月猫の草紙』という本の現代語版(『おこまの大冒険〜朧月猫の草紙〜』)も出しています。絵画から見ると、江戸時代の猫って、今と同じだなと思ってびっくりするところがあるんです。

私などは猫がみっともないことをしたり、いたずら好きといったことを含めて大好きで、かわいいなと思っているんです。ただ、そういう複雑な「かわいい」の受け止め方は現代人特有のものかと思っていたら、国芳の猫を見る限り、そうでもないなと。国芳の時代から200年近くたつけど一緒だな、と親近感が湧くんですね。

真辺 今の日本ではネット上で、猫の面白さみたいなところに着目する写真や動画が溢れていますけど、国芳の絵は現代と相性がいいんでしょうね。だから人気がある。

ただ歴史的に見ると、必ずしもそういったやんちゃな猫のかわいさがもてはやされた時代ばかりではない。昭和期などはむしろおとなしい感じの、チョコンと座った猫の絵が多く、時代による猫の評価は変化している部分も結構あると思うんです。

金子 おっしゃったように国芳の猫の絵は、今、非常に人気があり、『ねこと国芳』は、外国でも売られていて好評だと聞きます。府中市美術館で国芳の展覧会を2回やりましたが、猫のコーナーを目指してくる方はとても多いし、グッズをつくれば喜ばれます。そして明らかにいつもと客層が違うんですね。

国芳の絵を見ると、誰もが「かわいい」と思うような、すべすべした毛並みの、いかにもおとなしそうな猫の絵もあれば、いたずら心いっぱいの動物だというところをかわいく描いた絵もある。

円山応挙の子犬の絵が好きだという人ともちょっと違うんですよ。真辺さんがおっしゃるように、まさに現代の猫好きに響く、時代を飛び越えているかもしれない面があるような気がしますね。

真辺 応挙の描く子犬のかわいさと、国芳の描く猫のかわいさは、そのかわいさの種類がだいぶ違うような気がしますね。

金子 そうですね。応挙の子犬というのは、「万人向け」というか、本当に形が整っていて、見ていて気持ちがほがらかになる。一方、国芳が描く猫のやんちゃさというのは、目いっぱい頑張っているんだけど、おっちょこちょいみたいなところを手の平の上で楽しんでいるような。

志村 国芳は子猫ではなく、ほとんど大人の猫を描いていますね。

金子 そうなんです。犬の場合、絵になるのは子犬ですが、猫は大人の猫です。野犬って怖いじゃないですか。昔は犬なんてきれいな動物ではなく、大人の犬はかわいいものではなかった。でも子犬はかわいい。反対に猫は大きくなってもきれいだという違いがあるのではと思います。

また、子猫は、よくわからない、クシャクシャして毛糸玉みたいな格好をしていますよね。あれをかわいらしく描くのは難しいのではないかと思うんですね。

化け猫と芸者のイメージ

志村 ただ、私がこれまで持っていた江戸期の猫の絵のイメージは、むしろ化け猫などで、「怖い」印象が強かったんです。国芳的なかわいいもの、面白いものというのは意外な感じがしました。江戸絵画全体だとどっちなんでしょうか。

金子 浮世絵師としての国芳は、すごく仕事の幅が広く、中心的な存在でした。ただ、猫は国芳のレパートリーの中のあくまで1つで、江戸時代に浮世絵の世界で、猫の絵を多く描いたのは国芳とその弟子たちぐらいで、そんなに多くはないでしょう。

真辺 江戸時代はやはり化け猫のイメージは強かったみたいですね。例えば、昔の歌舞伎の中では、ほとんど化け猫や不気味な存在として描かれるようです。

だから国芳が、それに対して意表を突くようなかわいい猫を描いて、それで面白がられたという面もあるんじゃないかと思うんですよね。

金子 歌舞伎で化け猫と言えば、3代目の尾上菊五郎の当たり役でした。いろいろな演目の中で菊五郎が化け猫をやるんだけど、その都度浮世絵が出る。だから結果として今、浮世絵を眺めた時に、菊五郎の化け猫のイメージが強く印象づけられているという気はします。

真辺 あと、猫には芸者のイメージもありますね。江戸時代にはお客が芸者と楽しんだ後に寝ていて、ふと気づいたら芸者に化けていた猫が正体を現し、料理を食べている姿を見るといった話が結構あるようです。

これが明治の初期になると、幕末の志士出身の官僚たちは女遊びも結構激しいので、それがメディアで批判されて、芸者を「猫」、官僚はひげを生やしているので「ナマズ」と呼ばれ、猫とナマズの風刺画が、たくさん新聞に出ていたりします。

金子 河鍋暁斎とかが描いていますね。

志村 例えば、江戸と京都と長崎で、地域によって猫の受け入れられ方が違ったりしたんでしょうか。

金子 私の知る限り、上方で国芳が売られていた形跡はないですね。向こうにも浮世絵師はもちろんいましたが猫の絵はほとんどないです。

志村 ちょっと意外な気がしますね。江戸時代には人気だった猫の柄(がら)ってあるんですか。国芳はほとんど黒猫を描かなかったんですよね。

金子 黒猫、少ないですね。あとトラも少ない。国芳の絵の中では、白と黒のブチが多いですね。

志村 それは国芳の個人的な好みですか。

金子 どうだったんでしょうね(笑)。『朧月猫の草紙』とかを見ると、三毛やキジトラ、白や灰毛など、いろいろな柄がいるんですよ。

志村 あまり柄によるステータスとかはなかったんですね。黒猫は不気味なイメージですが、化け猫の絵は必ずこういう柄だというのはあったんでしょうか。

金子 なぜか三毛風が多いですね。

志村 ヨーロッパでは、多くの国で黒猫が前を横切ると不吉だとみなしますけど、イギリスでは逆に幸運だと言ったりもします。猫に関する文化の差ってあるのでしょうか。

金子 黒というのは不思議ですよね。日本だってカラスを不吉と思う見方と、吉祥と思う見方と両方あるじゃないですか。何か特別感はありますよね。でも、絵画的な見地から考えると、黒猫はあまり「絵」として浮世絵には適さない感じもします。

愛玩動物としての猫と犬

志村 江戸時代は全体的に見れば犬のほうが価値があると思われていたでしょうね。しかし、ペットとして特定の家で飼われることは少なく、まちの犬とか村の犬とか呼ばれて、いろいろな家から餌をもらっているのが一般的だったようです。

金子 飼われている犬も、その辺をうろうろしていたんでしょうね。首輪とかもないですし。

志村 国芳の絵の猫は、首輪はしているんですか。

金子 しているのもいますね。山東京山にも、赤いちりめんの首輪が猫の白と黒に映えて美しい、みたいな描写がありました。

志村 それは所有の印という意味でしょうか。

金子 そうですね。それで食器はアワビじゃないですか。そういうペットとしてのこだわり、かわいがり方というのはあったと思います。

志村 愛玩動物としては、もしかしたら猫のほうが犬より古いのかもしれないですね。

犬でいわゆるペット、愛玩犬が広まるのは大正の末ぐらいです。それまでは犬は何らかの役割を負っていて、特に西洋から来た猟犬なんかが重要視されていました。

真辺 猫は昔はすごく数が少なかったみたいで、中世まではひもでつないで飼うことが多かったらしいです。江戸時代初期に、ひもでつないで飼うことの禁止令が出て、その結果数が増えたようです。中世までの史料では割と大事にされている記述が多いのですが、数が増えて珍しいものではなくなり、扱いがぞんざいになった面もありそうです。

猫は農村では養蚕などをやっているところがネズミ捕りのために飼うことが多かった。もちろん愛玩用で芸者が猫を飼うこともよくあったようです。愛玩用という意味では、絵では芸者と猫が一緒に描かれていることが多く、女性が飼っている率が多かったように思われますが、それも実態はよくわからないですね。

志村 猫を飼っているのは女性的というイメージがありますよね。

真辺 そうですね。「猫と女性」はセットのイメージがずっと続いているところがあります。ただ、女性は猫嫌いも多かった。つまり家事をやっていると猫が泥棒するので嫌いになる。猫は好きな人と嫌いな人に極端に分かれるんですね。現代だと割と好きな人が多いですが、昔は嫌いな人も相当多かったみたいです。

評価が相当幅広く、しかも歴史の中で結構変わってきたと思います。

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