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【三人閑談】
ボードゲームを楽しむ

2022/05/25

大人気の「カタン」

長岡 先ほど話した「カタン」は世界で3番目に売れているボードゲームです。1位が「モノポリー」、2位が「人生ゲーム」、3位が「カタン」です。

「人生ゲーム」は日本のゲームと思っている方が多いですが、もとは「ゲーム・オブ・ライフ」とい外国のゲームです。ただ、日本はいろいろなスピンオフをつくっています。

「カタン」の日本版が出たのが2000年頃ですが、あるユーチューバーの方が言うには、「カタン」はダイスを2個振って駒を進めて、お金を出し入れするという「モノポリー」の次のトレンドが5、60年越しにやっと現れたものだと。それまでずっと「モノポリー」、「人生ゲーム」が市場を独占していたところに数十年ぶりに食い込んだのです。それくらい圧倒的な人気でした。

杉浦 「カタン」は世界選手権があって日本人も活躍していますよね。

長岡 こういうゲーム、日本人は強いですからね。「カタン」は95年に「ドイツ年間ゲーム大賞」を取っています。翌年、アメリカでも賞を取り、99年から2000年に「日本テーブルゲームグランプリ」で1位。ほかにチェコ、ポーランドでも賞を取っています。

ちょっと悔しいのは、日本産で世界に通用しているゲームが少ないことです。特にプレイ時間が90分以上かかる重量級と言われている花形のゲームの分野では日本人のクリエーターはほとんどいません。海外の有名な賞で上位に食い込んだとかいう話もさっぱり聞かない。

杉浦 なぜ日本ではそうしたクリエーターが誕生しないのでしょう?

長岡 台湾のクリエーターの方と話したことがありますが、台湾ではゲームをつくっている人たちのコミュニティがしっかりできていて、ドイツで年間大賞を取ることを前提に戦略を練っているようです。日本だと「記念にとりあえず赤字が出ないぐらい売れればいい」くらいの感覚の方はまだまだ多いです。

島田 何でそうなってしまうのですかね。

長岡 日本は制作コストが高いのが大きな理由でしょうね。僕もゲームをつくりますが、重量級のゲームになると、輸送コストも含めてアマチュアにとっては予算が膨大になる。

では日本の大手玩具メーカーがそれをつくるかというと、日本のボードゲームの流通量は、ヨーロッパ諸国と比べて20分の1とか30分の1というレベルです。大量生産がしにくいため、製造コストが高くなるか、薄利になるかで敬遠されます。

だから、日本では低コストでつくれる、カードが50から100枚ぐらい入った小箱サイズのゲームが必然的に多くなっているのが現状です。

杉浦 諸外国は国を挙げてボードゲームのマーケットづくりに取り組んでいるという話を聞いたことがあります。それから、デジタルにもすごく投資をしている。日本はいまやデジタルゲームすら後れをとっていることがあり、残念だなと思います。

でも、私が知っているところだと、日本のOink Games というメーカーが作った「海底探検」という、面白いゲームがあります。海底に潜って宝物を取ってくるのですが、酸素ボンベをプレイヤーで共有しているので、誰か1人がたくさん酸素を消費してしまうと、他の人も戻ってこられなくなってしまう、いわば運命共同体のようなゲームです。

パワー自体が他の人と共有されているところが面白く、これは使えるなと思ってゼミの中でもやって、それで卒論を書いた学生もいました。

長岡 それはすごいですね。

杉浦 また、今は絶版になっていますが、環境問題を扱う、「キープクール」というドイツ製のゲームが面白いです。地球温暖化をテーマにした国際間交渉のゲームで、世界地図のボードがあり、世界に工場を建てていく。

世界の二酸化炭素濃度を表すメーターがあるのですが、与えられた目標に従って私益を優先させる行動をとると世界の気温が上がっていくようになっています。その温度上昇により、災害のリスクが高くなっていきます。授業でも15年以上やっています。

ゲームを通じて得られる体験

杉浦 デジタルゲームは、すべてが入力と出力の対応関係みたいなところがあります。一方、ボードゲームは、いろいろなボードやカードや駒があり、それを手で触りながら、「これって何をするのだろう」と試行錯誤しながら進めていき、時には間違ったルールの理解で進めてしまうこともあるわけです。

ルールについても、「あ、そうか。こういうルールなのだ」と気付いた時に、ある種のゲームの素晴らしさを感じることができる。つまり、自分たちでルールというものを獲得していく、というプロセスも含めた面白さがあると思うのですね。

島田 確かにそうかもしれませんね。

杉浦 例えばサイコロを振って6が出たら救われるというシチュエーションで、6が出たら、皆で「ワーッ」と大喜びする。別にサイコロを振った人に責任があるわけではないですよね。でも、その人が振ってその目を出したということが、その場にいる人にとっては意味がある。

これは心理学で言うと、コントロール感があるということです。サイコロを振っている人があたかも、その場をコントロールできるかのような気持ちになれるわけです。ただサイコロを振るだけなら、機械にやらせてもよいと思いますが、なぜ私たちはサイコロを振るのか。その運、不運みたいなところが興味深い。

長岡 サイコロというアイテムを使用するからこそ得られる体験だと。

杉浦 今の世の中、コロナになったり、災害が起こったり、戦争が起きたり、いろいろな予測できない要因で想定外のことが起きる時に、私たちはどのようにしたらいいのか。そういう状況へのシミュレーションの機会もボードゲームは提供してくれているのではないかと、最近、よく考えます。

島田 不確実性が高い世の中で生きていくために、ゲームには示唆や価値があると私も思っていたので、今の話にはすごく共感できます。

僕は大学に入った瞬間、「もう勉強しない」と宣言したのですが(笑)、実際にはゲームをつくっていく中ですごくいろいろなことを学びました。

いろいろなことを調べなければいけないし、チームで作業しなければいけないから、そこでコミュニケーションをとらなければいけない。それをやったことがその後の人生にすごく役立ったなと感じています。

ゲームをつくるというのは、1つのルールをつくる、1つの世界をつくるみたいなことだと思うのです。最近、子どもたちに接する時には、なるべく自分で考えて自分でルールをつくって、自分で遊びの場をつくろうと促しています。この木の棒と板で遊びをつくってみようと言って一緒にやってみると、その体験が、「自分でどうにかする」ことにつながるのではないか。

僕は、ゲームを「つくること」自体に価値があるのではないかと思っています。

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