【三人閑談】
魅力溢れるルーマニア
2021/12/24
民族衣装「イエ」
雨宮 あと、ルーマニアというと縫製技術、洋服を作る技術が進んでいます。これは共産主義時代からの伝統ですが、大変上手で安いものですから、イタリアの洋服メーカーが、ルーマニアで作って、それをイタリア製品として海外に売っている。
それほどいろいろな技術を持っているのですが、日本の方はあまりご存じない。
川上 イタリアやフランスの高級ブランドを見ると、「メイド・イン・ルーマニア」が結構あります。
そして最近ルーマニアのブランドも少しずつ出てきています。ハリウッドのセレブが愛用するような高級ランジェリーの「アイディーサリエリ」は、後で知ったのですが、仕入れているのが塾員の先輩でした。
民族衣装である「イエ」と呼ばれる刺繍付きのブラウスも、ルーマニアとモルドバが一緒に世界遺産に申請しようとしています。洋服の縫製の技術はすごく高いですね。
田辺 イエは市役所に男性用、女性用の2着、買ってありますよ。
川上 あら、もうシビウに行く準備はバッチリですね(笑)。
田辺 それを着て、古賀市をアピールしたんです。ルーマニアは羊も多いですか?
川上 地域によります。トランシルヴァニアでも山岳地方ではたくさんいますし、モルドバやウクライナに近いブコビナ地方には本当に羊と生きる文化がありますね。
田辺 母親が機織りをやっている染色家なんです。私が「ルーマニアに行くんだ」と言ったら、「羊のたくさんおるところで、あんた、いいね」と言われて。
川上 その地方は、人よりも羊たちが優先で、羊が通りすぎてから人が道を進む時もあります。
紡いで衣装にするだけではなく、寒い地域なので羽織るジャケット、それから絨毯や家を飾るためのタペストリーも、羊毛で作るものもあって色鮮やかです。そういうものが地域によっては、伝統の嫁入り道具の1つであったりします。
田辺 日本人はイエも好きだと思うんですよね。着てみてすごくよかったですし。
雨宮 日本人との相性は、様々な分野で絶対いいんですよ。
ルーマニアは第2次大戦以降、社会主義圏の一国として長いことソ連の影響下に置かれていたため、オリジナルな文化に日本の皆さんが触れる機会は少なかったと思います。
でも明るい国なんですよね。ルーマニアの人々はやや運命論者ですが、周辺大国に囲まれて忍従する、おとなしい部分があるかと思えば、大変明るくて情熱的な側面もあります。このあたりがもうちょっと日本に紹介されるといいかなと思います。
英雄ドラキュラ
雨宮 話してきたように、かようにルーマニアはあまり知られていない。ルーマニアの人はあまり宣伝が上手ではないんだろうと思います。
川上 ルーマニアを世界にもっと広めるために、公認サンタクロースのように公認ドラキュラをつくって、それを各国で認定したらいいんじゃないかと考えています(笑)。
雨宮 ドラキュラはルーマニア人にとって英雄ですね。
川上 通称ドラキュラ公と言われるヴラド3世はトルコに征服されていた時代にワラキア公国の君主だったんですね。お父さん(ヴラド2世)がオスマン帝国と戦っていて、そこからドラクルという名称が生まれたんですね。
雨宮 ドラクルというのは13、4世紀に、ハンガリーの王様が中心になってつくったドラゴン騎士団の一員で、そこに由来している。その息子がドラキュラ(竜の息子)と呼ばれたようです。
イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーが、彼を材料に小説に書いて有名になったのですが、ルーマニアにとってはオスマン・トルコと激しく戦った英雄だと思います。
川上 ヴラド3世が一時身を隠したと言われているブラン城も、ドラキュラ城として知られています。トルコ時代に戦っていたときに造られた修道院なども美しいですね。
雨宮 ブラン城に行きますと、克明に説明が載っていますね。
川上 ドラキュラ公だけではなく修道院を造ったトルコと戦っていた君主も、英雄として称えられ、大通りや空港にその名前を使ったりしています。
雨宮 海外への宣伝として、物語があるということはいいことなんじゃないでしょうか。
田辺 まちづくりをしている立場から申しますと、まずドラキュラから入ってもらってブラン城に行く。その先に、ほかの魅力的な人たちや歴史があれば、ルーマニア応援団としては大いに利用してほしいですね。ドラキュラを知らない人はほぼいないので(笑)。
国交100周年を超えて
雨宮 もう10年以上前になりますが、大使として勤務している頃、当時のバセスク大統領が日本に来られて鳩山総理と首脳会談をしました。そしてブカレストの地下鉄建設に対する、日本の円借款の交換公文署名式が行われ、日本の援助に基づいてブカレスト国際空港から市の中心地を結ぶ地下鉄を建設することになっています。あまり上手く進んでいないようなのですが、駅の一つが、「TOKYO」という名前の駅になるそうで、実現してくれるといいんですが。
日本の皇室関係では、明仁天皇(現上皇)が皇太子時代に皇太子妃と一緒にルーマニアを訪問しています。秋篠宮同妃殿下も2009年に訪問されています。100周年を機に、また要人往来があるといいですね。
川上 西部のティミショアラは、革命が最初に起こったまちで、本当は今年が欧州文化都市になるはずだったんですが、コロナで延期になりました。そこの革命広場では毎年フラワーフェスティバルが行われるんです。ルーマニア人の名前は花から由来している名前が多かったり、花を贈り合う行事も盛んです。
過去の歴史と現代の華やかな部分がマッチしたイベントや物事が行われる都市に、これから注目が集まると思います。ルーマニアにはのどかな田園風景といった古きよき風景がある一方、新たなものも取り入れて変革していく側面もありますね。
雨宮 彫刻家のブランクーシ、作曲家のエネスクもルーマニア人です。20世紀初めはルーマニア文化が花開いた時代でした。
川上 芸術分野での交流を期待しています。まずは田辺さんの舞台を(笑)。
田辺 役者としてですね(笑)。本市とルーマニアとの交流はまだ短いのですが、EUに向けたビジネスャンスがあるのはすごく重要だと思います。
ちなみに古賀市は工業力が強いまちで食料品の分野では、県内60市町村で2位の出荷額を誇ります。古賀市にある企業にルーマニアを紹介し、ヨーロッパ展開に向けたチャンスを働きかけていくことも、大事な仕事だろうと思っています。
雨宮 私も皆さんのお話を聞きながら、10年前に一生懸命ルーマニアで走り回っていた時のことを思い出しました。本年の「日本・ルーマニア外交関係樹立100周年」を機に各分野での相互理解と協力関係が一層推進されることを期待しています。
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