三田評論ONLINE

【三人閑談】
魅力溢れるルーマニア

2021/12/24

  • 雨宮 夏雄(あめみや なつお)

    一般社団法人モルドバジャパン代表理事。外交官。1970年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。73年同大学院法学研究科修了。ニューオリンズ総領事、国際交流基金理事等を歴任。2009~12年在ルーマニア特命全権大使。

  • 川上・L・れい子(かわかみ・L・れいこ)

    明治大学ルーマニア文化研究所客員研究員。中東欧ワイン・リカー文化協会理事。2002年慶應義塾大学文学部卒業。外資系企業勤務の傍ら、ルーマニア現地情報を執筆。共著『東欧のかわいい陶器』。

  • 田辺 一城(たなべ かずき)

    福岡県古賀市長。2003年慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社記者、福岡県議会議員を経て2018年古賀市長に初当選し現在1期目。古賀市は東京2020オリンピック・パラリンピックのルーマニアのホストタウン。

日本・ルーマニア外交関係樹立100周年を記念するロゴマーク

ルーマニアとの出会い

雨宮 今年は「日本・ルーマニア外交関係樹立100周年」ということです。私は2009年から3年間、ルーマニア大使をしており、この間のちょうど真ん中、2011年3月11日に東日本大震災があったのですね。

実はルーマニアの人々は大変な親日家です。震災が起きると日本に対する様々な同情をいただき、支援活動を行っていただきました。ルーマニア赤十字社は募金をしてくれて、ブカレストの子どもたちは千羽鶴を折り、「日本の子どもたちに届けてほしい」と言ってくれました。そこで私は、その千羽鶴を持って帰国して福島を訪問し、当時の福島県知事にお渡ししました。ルーマニアの人々の優しさに触れた機会でした。

私はルーマニアの国旗と日本の国旗を合わせ、「友情」と「愛」と「協力」という文字を入れたハート型のバッチをつくり、これをお礼としてルーマニアの子どもたち1,000人に送ったんです。

川上 心温まるエピソードですね。私は大学卒業後、イタリアの旅行会社で働いている時、たまたま出会ったルーマニア人と仲良くなり、ルーマニアに興味を持ちました。2000年代になり間もない頃で、「ドラキュラ・コマネチ・チャウシェスク」ぐらいしか日本では知られていませんでした。

その後、転職してルーマニアに行ったのですが、想像していた以上に美しい国で、食もおいしく、伝統もたくさん残っており、南イタリアのようにすごく人が温かくて、素晴らしいという印象を受けたんですね。

でも日本ではどちらかというとマイナスな印象しか知られていない。そこで仕事の傍ら、個人ブログでルーマニアの魅力を発信したところ、「地球の歩き方」や、現地の旅行代理店などから仕事をいただけるようになり、ルーマニアの発信をし続け、16年たってしまいました。

今も子どもたちを連れて、できる時はルーマニアに戻って、長い時は夏休み1カ月を向こうで過ごします。「里帰り」と言っています(笑)。

田辺 私は一番若輩者で、しかもルーマニア歴も浅くて、具体的な接点が生まれたのは2018年、古賀市が、東京オリンピック・パラリンピックでのルーマニアのホストタウンへと動き始めた時からです。

当時、私はまだ福岡県議会議員で、何としても地元の古賀市に、外国の選手団のキャンプを誘致し、国際交流、多文化共生の機会をつくりたいと思っていました。そこで当時の市長に相談をしていたところ、福岡県から「ルーマニアの柔道選手団がキャンプ地を探している」と聞き、是非と手を挙げました。

2018年6月に選手団が初めて来た時には大歓迎をして、古賀の有名な薬王寺温泉など地域資源を堪能し、おいしいものを召し上がっていただきました。すると選手たちがとても喜んでくれたんですね。その年の12月、私は市長に当選して、正式にキャンプ地の締結をし、翌年、ホストタウンの登録となりました。

私はルーマニア語はしゃべれませんし、英語も苦手ですが、何事も交流が大事と、2019年夏、市長として自腹でルーマニアに行ってきました。

日本文化への関心

雨宮 親日家が多いと言いましたが、関心は、日本が伝統的な文化を持ちながら、戦後目覚ましい経済発展を遂げたところにあるようです。今、ブカレスト大学やクルージュ=ナポカにあるバベシュ・ボーヤイ大学などで日本語を勉強している方が、大体2000名程度います。東ヨーロッパの国で、これだけの人が日本語を勉強しているんです。

若い人たちの間では、毎年「NIJIKON」というコスプレのお祭りが行われ、2、3000名の人たちが集まっているそうなので、日本文化への関心は非常に高いと思います。

川上 ブカレストでは大学だけではなくて、高校でも日本語を教えるところがあります。ルーマニアは歴史的に多様性に富み、多言語を使う民族ですが、教育省が管轄し、子どもたちに日本語を教える機関もあります。

日本語検定試験もルーマニアで受けられます。2005年、ルーマニア・アメリカ大学内に日本研究センターができました。そこには国中の日本語を学ぶ方たちが登録していて、日本についてのイベントなども行っています。

ブカレストでは最近100軒以上のお寿司屋さんがあるそうです。私が初めて行った2000年当時はアジア人が歩いていると、中国人と思われることが多かったのですが、最近では「こんにちは」と声をかけられることもあるようです。

雨宮 アジアの国の中では、日本が人気ナンバーワンと言っていいと思います。中国は経済関係などで相当進出してきていますが、結局いいところを取られてしまうというような警戒感もあるようです。

一方、日本のかかわり方は、例えばノウハウを教えながら開発援助をしていきますので、日本が撤退した後も、建設された道路や鉄道をルーマニア人が自ら運営できるようなサポートの仕方をする。それに対する評価があると思います。

人の温かさに触れる

田辺 ルーマニアを訪れた時、とても歓待してもらい、ルーマニアの人の温かさをすごく感じました。ルーマニアオリンピック委員会に行き、ミハイ・コヴァリウ委員長とお会いしました。日本の自治体の首長が来ることが珍しいのか、立派な応接の部屋には地元のテレビ局まで来ていました。

実は私は行く時にロストバゲージしてしまったんです。それで、本当はネクタイをしていなければいけない場なのに、スーツがなくてネクタイもしていなかった。でも、事情を話すと、「よくある話だよ。気にするな」と、すごく温かく迎えてくれて、歓待してくれました。

その後、「食事を一緒にしよう」と、立派なレストランに連れていってもらいコース料理をいただきました。チョルバ(Ciorba :ルーマニアで広く食べられているスープ)が、一気に4種類ぐらい出てきて、他にも様々な料理がたくさ出てきました。ルーマニアのお酒も出していただいて。

雨宮 ツイカ(Ţuică)という蒸留酒ですね。

田辺 そうです。私が「お酒が強い」と言ったばかりに何杯も飲ませていただいて、お土産までいただきました。本当に温かい交流ができたと思っています。

川上 お話を聞いて、ルーマニア人らしいと思った点が二点あります。1つはおもてなしの精神、ホスピタリティに溢れるところ。「チョルバが4種類も出てきた」というのは、本当にルーマニア人らしい。「これも食べて、これも飲んで、これもぜひ見ていって」という、寛大なおもてなしのスピリットが、ラテンの血もあるルーマニア人の文化です。

もう1つ、ロストバゲージに、「気にするな」と言うのもルーマニア人らしい。ルーマニアには厳しい歴史を生き抜いてきた強さと不屈の精神、そして「何とかなるよ」という考えがあります。

ルーマニア人がよく使う「Asta e(アースタエ):これがそうさ」という表現があります。フランス語の「C’est la vie」に近いかもしれませんが、どんな状況でも「そうだよ、気にするな」と受け入れるところがある。ルーマニア人のメンタリティをよく表している言葉です。

田辺 お話を聞いて、1つ思い出しました。オリンピック委員会に行った翌日は、在ルーマニア日本大使館で大使にお会いする予定で、さすがに大使館にラフな格好では行けないので、前日の夜、靴とスーツを買いに店に行きました。

私は1人で探したかったんですけど、「私が探してあげるよ」と店の女性店員が明らかに20代が着るような服を勧めてくるわけです。「これ、僕は着れないよ」と言ったんですが、押しに負けて、その若者向きのスーツを買いました(笑)。その女性店員の積極的に勧めていた顔が今浮かびました。

川上 押しの強さもイタリア人に似ていますよね。「私はこう思う。これがいい」というのを率直に伝えます。でも、同じラテン系でも、ちょっと皮肉っぽかったりするんです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事