【三人閑談】
完璧なパフェ
2021/11/25
パフェグラスという束縛装置
平野 アメリカのサンデーとはまた違う世界観が日本のパフェにはあると太田さんが仰ったことに私はすごく共感しました。というのも、サンデーはヨコに盛り付けるじゃないですか。
太田 そうそう。
平野 パフェはタテのグラスを使いますよね。それもすごく重要だと思うのです。そこにある意味、食べ手に自由を委ねない構造があるというか、いい意味で自己中心的なところがある。
私には、ショートケーキは「背中」から食べたほうが絶対においしいという論理がありまして(笑)、サンデーにもそういう食べ手の自由さがありますが、パフェは上から食べるしかありませんよね。パフェグラスには“食べ手を縛る”機能がある。だからこそクリエイトしやすいのかなと思ったりもしました。
太田 パフェグラスはつくり手をサポートしてくれるものでもありますね。ケーキやプリンのような器がないものは、型を取り外した時に形を保つようにしないといけないので、ある程度食感が決まってきます。ところがパフェは、パフェグラスがあることで固いものも柔らかいものも入れられますし、ソースやオリーブオイルも使えるのでそういう意味でつくりやすいんです。
平野 すぐに食べてもらうことも前提になっているので、溶けてもいいものも入れられますしね。
太田 そう、アイスも入れられる。
平野 やっぱりパフェは瞬間芸術ですね。
情報過多ゆえのマリアージュ
國枝 太田さんはパフェやお菓子をつくる時に、どのようにインスピレーションを得ているのでしょうか?
太田 私の場合は先につくりたいものがあってそれを目指してつくる感じなので、食とは全然関係ないもの、例えばアート作品にインスピレーションを受けることもあります。
パフェはファッションに似てモードがあり、料理もまたトレンドの入れ替わりが早い世界です。塩味が好まれる時期があれば、甘いものに人気が集まる時期もあり、やわらかい食感がブームになったり。トレンドの変化を頭の片隅に置きつつ、インスピレーションの元と組み合わせながらつくることが多いです。
食べ物を食べる経験というものは生々しいと感じることが多いのですが、ファッションがあくまでも皮膚と触れあう感覚や着た時のシルエットで選ばれるのに比べて、味覚というのは口の中に直接入れて感じるじゃないですか。そこででんぷん質のものが入ると糊化されてとろりとした食感になりますし、唾液と混ざることでシュワシュワと発泡する食材もあります。
さらにパフェの場合は、視覚的な美しさや掘っていくように食べるエンタメ的な要素もあり、色々な感性が交わって体に入ってくるすごさがあります。そこにファッションのようなモード的な感性も組み合わせられたりするので、たしかに完璧な何かを求める力があるのかなと思います。
國枝 パフェを食べる体験にはただ食事をする以上の何かがありますね。
太田 青木裕介さんのパフェにはイチジクがふんだんに入っていたのですが、表面をキャラメリゼ(砂糖を加熱し焦げ目や香りを付ける調理法)しているので最初はパリパリして香ばしい食感なのです。でもその下は生のイチジクのままなので食べているうちに味が変化します。
驚いたのはバルサミコ酢が入っていたこと。風味や食感に青木さんの繊細なこだわりが込められているのですね。
平野 バルサミコ酢でかすかな酸味が加えられていたのですね。
太田 意外な組み合わせですが、イチジクの甘味と口の中でマリアージュ(複数の風味が調和)することによってすごくおいしくなるのです。口の中で一緒になった時の味の変化をそこまで考えてつくっているんだと本当に驚きました。
平野 パフェは本当に情報量が多い食べ物ですね。
私のお菓子の食べ方には2通りあるのですが、1つは太田さんのようにつくり手のクリエーションを楽しみたい時です。そういう時は色々な情報を受け取ることに集中するので、自分が疲れているとパフェは食べられないですね。
一方、疲れていて癒されたい時はシュークリームやプリンのように、味の数が限られるお菓子を食べたい。シンプルなものには自分本位に食べられる良さがあります。私はお菓子の性格みたいなものによって食べ方がまったく変わります。
『ボヴァリー夫人』が描くアイスの甘さ
國枝 味覚の話に関連してですが、フローベールの『ボヴァリー夫人』に、登場人物がアイスクリームに衝撃を受ける興味深い描写があります。
主人公のエマという女性はある医師と結婚します。エマはロマンチックな女性で、結婚生活によって自分の夢が叶うという幻想を持っていた。ですが、結婚して何かが違うと思い始めます。そのうち、夫が診察をした貴族が2人をパーティーに招くのですが、その席でエマがアイスクリームを口にするのです。その時に太田さんが仰るような、アイスクリームを口に入れた時の感触や冷たさ、甘さが彼女をうっとりさせる。これが物語の冒頭でとても重要な場面になっており、エマはアイスクリームを食べることで自分が求めていたのはこういう世界だと悟るのです。貴族たちのアイスクリームのような世界に触れることで彼女は現実に幻滅し、そこから破綻が始まっていくという……。
太田 こわいけど、おもしろそう。
國枝 「甘さ」を官能的に描いたこの場面が僕はすごく好きで、甘いものを食べるといつも思い出します。
太田 たしかに甘さはちょっと恐ろしい世界ですね。味覚は1人1人違って共有できないものですから。
國枝 塩は人間にとって必需品ですが、砂糖は贅沢品ですよね。生きる上で絶対に必要なものではないし、むしろ人間を駄目にすることがある。
平野 砂糖は富の顕示でもあったと言われますよね。宮廷菓子も甘いほどその帝国の覇権を誇るものだったそうですし、やっぱり甘いものは食の治外法権という感じがします。食べ物で遊んではいけないと言われて育ちましたが、甘いものほど遊べるものはないですよね。
太田 たしかにそうですね。
平野 パティシエの中には「人生はしょっぱいけれど、今その瞬間だけは人生を甘く感じられる、そういうものがつくれたらうれしい」と仰る方もいます。甘いものには、『ボヴァリー夫人』のように現実から逃れて夢を見せてくれたり、理想主義的な面があったりしますね。でもボヴァリー夫人は最終的に破綻してしまうのでそういう怖さもある。
太田 エマは自分の置かれた現実がわかってしまったわけですね。
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