三田評論ONLINE

【三人閑談】
❝旅行記❞を旅する

2021/10/25

「驚異的なるもの」との出会い

長谷部 チョーサーの作品が巡礼記的な性格を帯びていたということですが、イブン・バットゥータも、イスラーム世界の巡礼記といった視点で考えていくと面白いんです。中世には、イスラーム諸学を修めたウラマーと呼ばれる学者の学問履歴書のような「バルナーマジュ」というものが書かれましたが、それが発展して「リフラ」と呼ばれる巡礼記になっていったと説明されています。

どうして学問履歴書が巡礼記になるのか。実はウラマーは移動し、遍歴しながら学んでいくのが学びの形として理想的であるとされていた。いろいろな場所でそれぞれの専門の先生のもとで勉強し、イジャーザと呼ばれる、このテキストについてマスターしました、という免許のようなものを集めながら旅をしていく。そういう免許証を集めてマドラサ(学院)などに就職するんですね。

Curiosityという話がありましたが、アラビア語では「アジャーイブ(驚異的なるもの)」と接していくことで知的な成長がある、という考え方があるのです。だから、驚異的なるものとの接触も巡礼記の中に書き込んでいく。このアジャーイブについての記述が肥大化したものが、イブン・バットゥータの『大旅行記』なんですね。

原田 旅の経験が次第に蓄積され、それがその人のキャリアになっていくところがあるわけですね。

長谷部 そうですね。驚異的なるものと言えば、例えばエジプトのピラミッドです。巡礼記の中でしばしば記述され、イブン・バットゥータも長めの記述を残している。

あるモロッコの中世の学徒がメッカ巡礼をして帰ってくると、学問の師に「ピラミッドは見て来たか?」と問われる。「たくさん勉強してきましたが、ピラミッドは見てきませんでした」と答えたら、「それはおかしい」と怒られ、もう1回見にいったという話が史料に出てきたり(笑)。

旅の非日常の経験も唯一神アッラーの御業としてあり、それを体験していくことが学問的、人間的な成長につながるという考えですね。

旅人を大事にする教え

田中 驚異的なるものとは、例えば古代ギリシャで言われていた古代の七不思議とかもそうでしょうか。

長谷部 いわゆる古代七不思議の1つにアレクサンドリアのファロス島の大灯台がありますが、これなどはまさにイブン・バットゥータも記述をしていて、アジャーイブ、驚異的なるものです。1326年に最初に立ち寄った際には灯台の最上部がモスクとして使われていましたが、23年後に再訪した時には朽ち果て、近くに寄れなかったと書いています。

バラウィー(1207年没)というスペインのマラガ生まれのウラマーが、ひもに石を付けて上から長さを測ったら132メートルの高さがあった。まさに「空中モスク」として活用されていた。その時代には信じられないような高さのタワーです。そういったものが実在し、これもやはり神様のなせる業であると。

田中 すごいですね。でも、異教のものだったピラミッドはクルアーンでは否定されるわけですよね。そういうものも、神の御業として尊重していたのですか。

長谷部 十字軍時代以降、異教に対して不寛容な姿勢を持つイスラーム教徒の学者や民衆が出てきて、古代遺跡を破壊するような動きが一部で現れてきます。例えばエジプトの古代遺跡で神像の顔の部分が削られてしまったりする。

そのようななか、イドリースィーという、アイユーブ朝末期の学者がピラミッド擁護論を書いています。ピラミッドはノアの洪水より前にできた、まさに神の御業なのだと。

田中 それはもう、今のジハード団に聞かせたいですね(笑)。

イブン・バットゥータの旅は、お金はどうしていたのでしょうか。

長谷部 当時のイスラーム世界は、ディヤーファ(もてなし)やサダカ(喜捨)がものすごく盛んな世界なんです。天国行きを願って他者に金品を施す。旅人を大事にしなさいということは、クルアーンの中にも書かれていますから、来訪者への援助は当たり前なわけですね。

1つには、西アジア、北アフリカといった地中海世界はイスラーム以前から交通が発達していて旅人の多い世界だったということがあると思います。だから移動する人たちを歓待する習慣があったのでしょう。

イブン・バットゥータはザーウィヤと呼ばれる、神との一体化を目指すスーフィズムの修道場に泊まっていたことが多いのですが、そこではしばしば食事が無料で支給され、さらに出発する時にはお金やモノ、服をもらったりしている記述が頻繁に出てきます。

来た人を歓待するという文化

田中 2000年以降にグローバル化が加速する前は、ヨーロッパ以外ではお金を使わないで旅ができることが多かったですね。私は、1980年代にスーダンに4カ月ぐらい旅をしていましたが、使ったお金が全部で4万円いかなかった。交通手段にはお金がかかるのですが、田舎へ行くと、ご飯も全部出してくれるし、ここに泊まれという感じです。こちらから求めているわけではなくても、そうなってしまう。ものすごいホスピタリティーがある。

また、1990年代のザイール(現コンゴ民主共和国)を旅したときは、貨幣の価値が毎日変わってしまうので、とくに地方の村人たちはお金を手元に置きたがらない。お金が手に入っても、ババ抜きのようにすぐに使って別のモノに換える。モノをもらったほうがうれしいからTシャツや靴、時計といったものでやりとりをする。普通に身に着けているモノだけで1カ月ぐらい旅ができてしまったりしました。「わらしべ長者」の世界です。

基本的に、受け入れてくれるほうは来た人を歓待することでプライドを保ち、そして旅するほうは有り難いと思う。そういうやりとりが続いていくのは旅のよさだと思うのですね。それがすべていま取引になってしまい、払ったことに応じるサービスが基本になると、旅が狭いものになってしまう気がします。

長谷部 カイロなどでも、知り合うとすぐに、「うちに来て食事しないか」という話になることが多い。訪問して、帰ろうと思うと、「まだ早い、まだ早い」と言われ、なかなか帰れないことがよくあります。

田中 ずっとしゃべっている感じになりますよね。

長谷部 まさに深夜までしゃべっている。日本に帰国するとそれがまず一番寂しく思いますよね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事