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【三人閑談】
雲を追って

2021/08/16

  • HABU(羽部恒雄)(はぶ つねお)

    「空の写真家」。1978年慶應義塾大学商学部卒業。10年間のサラリーマン生活を経て写真家に転身。以来、「空の写真家」として世界各地を撮影。写真集に『雲を追いかけて』『空は、』等多数。

  • 日野原 健司(ひのはら けんじ)

    太田記念美術館主席学芸員。2001年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸から明治にかけての浮世絵史。著書に『ようこそ浮世絵の世界へ』『かわいい浮世絵』等多数。

  • 宮本 佳明(みやもと よしあき)

    慶應義塾大学環境情報学部准教授。2006年慶應義塾大学理工学部卒業。2011年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修了。博士(理学)。専門は気象学。主に台風の物理的メカニズムを研究。気象予報士。

地平線に浮かぶ雲を追って

HABU(羽部) 私は、慶應を出てから10年間サラリーマンをやっていたんですが、出張でオーストラリアに行って非常に気に入ってしまって、会社を辞めて車で放浪を始めたんです。

真っ平らで何時間車で走っても変わらないような景色なんだけれど、ふと、雲があるだけで風景の存在感がまるで違うということに気がついた。それから下に向いていたカメラがだんだん上を向くようになり、気がついたら雲、空の写真家になっていたんです。

テントで生活していたので、ちょっとした空の変化にすぐ気がつくようになります。それが面白くて。1日中外にいて、ずっと空ばかり眺めている。それで、雲がないと移動するという日々を10カ月くらい続けるんです。

日野原 まさに雲を追いかけていらっしゃったと。

HABU そうですね。それで作ったのが最初の『空の色』という本です。これが売れたおかげで、何とか食べられるようになりました。

ある時、丘の上の木を撮っていたら、風がすごく強く吹いて、後ろを雲がどんどん流れていく。それで、ファインダーの中で構図を考えていて、「あれっ、俺が撮りたいのは木じゃなくて背景のほうだ」と気がついた。それから雲を主役にして、それと何かを組み合わせるという手法に変わったんですね。

やはり同じ場所の空の光景でも、例えば日没後と夜明け前では違って、色が反転していたりする。空の表情が変わるだけでまったく景色が変わるのがすごく面白い。雲と光のコンビネーション、光の色、夕方の色とか朝の色といったものとの組み合わせが無数にありますし。

日野原 空や雲を撮影するのは切り取り方やタイミングがすごく難しいと思うんですよね。空模様は、一瞬で、表情を変えてしまいますし。

HABU 車を運転していて、「あの雲、面白いな」と思う時があるんですよ。それで、何か組み合わせるものが見つかったら止まるのです。大体そういう時は興奮しているので、「うわっ、すげえ」と焦って撮るんです。

そこから三脚を立てて構図を考えて撮るんですけど、大体使うのは最初の1枚だけです。要するに、考えて撮るのではなくて、バイブレーションを感じるんですよね。一番大事なのは、自分の驚きだと思うんです。

水平線が曲がってしまったって構わないんですよ。自分が撮りたいと思った気持ちが写っていれば、あえて直さないほうがいい。それで、よく他の先生に怒られたりしますけど(笑)。

日野原 写真家の方は、構図をきちんと決めて、計算して決まった1枚を撮る方もいれば、感覚的に撮られる方もいますね。

HABU 僕が写真を始めた当時は、雲というのは被写体としてまったく認められていなかったんです。そういう写真集は図鑑のようなものだけ。写真のコンテストに出せば、必ず落ちると言われていた時代でした。

そんな時に、少し見方を変えて、例えばヨーロッパの宗教画みたいな空がポコンと空いているものとか、水中から撮ってみたり、全く教科書的ではない写真を撮ったら、かえって一般の人には受けたんですね。同業者には受けないけど(笑)。

宮本さんは気象学の見地から写真は撮られるんですか。

宮本 私は雲は好きなんですが、たぶん荒木健太郎さんとは違うタイプで物理のほうが好きで、台風ができる理由を考える研究をしています。でも、時々素人ながら撮ったりはしています。

私が気象学を志した直接のきっかけは、理工学部時代に夏休みに島のスキューバダイビングのショップでアルバイトをしていた時に、今までで一番、日本に台風が来た年に当たってしまったことです。それでほとんど仕事が台風対策みたいな感じになって、「何で台風は来るのかな」みたいなところから入りました。

HABU 何か、嵐が来るとわくわくしますよね。空はどんどん変わっていくし、ちょうど夕方の光とどんどん変わる空が出会ったりすると、とんでもない写真が撮れますからね。だから、雲一つない快晴の日が一番駄目。すぐに移動してしまいます(笑)。

宮本 お好きなタイプの雲はありますか。

HABU やはり入道雲ですかね。飛行機で上から撮ったりもしました。

あと、海の上の遠くのほうに同じ高さにぽんぽんと並んでいる島の雲がありますよね。ああいう雲は好きで撮りたくなりますね。

グアム島上空 ©HABU

浮世絵のリアルではない雲

日野原 私は、浮世絵の研究をしているので、浮世絵に描かれているものについていろいろと調べるのですが、風景というものは浮世絵の中で大変重要なテーマの1つです。

どちらかというと浮世絵の雲は、自然そのままに描くというよりは、かなりリアルではない雲の形を描いていることが多いんですね。

HABU 雲をすごくデフォルメしていますよね。

日野原 そうですね。一番わかりやすいところですと、この歌川広重の浮世絵です。構図的にも全然リアルではないんですね。駿河町という、今の日本橋の少し北の三越百貨店のあたりから富士山を眺めているという景色です。真ん中のところにあるのが雲です。色も下のほうが黄色くて、上のほうが少し青色で、空は少し赤くなっている感じで不思議な色をしています。

歌川広重「名所江戸百景 する賀てふ」 (太田記念美術館蔵)

日本の絵画の雲はまず装飾的な目的があるんです。現実に見える形をそのまま描くのではなく、画面を華やかにするための要素、そして、手前の景色と遠くの景色の間を省略する要素、この2つが基本的な雲の使われ方です。江戸時代の間に少しずつリアルな雲の表現も出てきますが、やはり装飾的な雲が多いですね。

宮本 でも、雲は昔から描かれていたんですね。

日野原 ええ。雲自体は古くから描かれていて、それこそ平安時代でも描かれています。ただ、使われ方としては、仏画における宗教的な要素もかなり強いんです。真ん中に阿弥陀如来がいて、様々な菩薩たちが極楽浄土から雲に乗ってやってくるというような。これは別に日本だけではなく、ヨーロッパのキリスト教の宗教画の中でも雲は神の世界とのつながりみたいなところはあります。

だから、雲は必ずしもリアルな自然として描かれてこなかった。美しい自然として描かれるようになったのは、19世紀、20世紀からなのかと思います。

HABU 浮世絵の前までは、仏教的な表現が多いんですか。

日野原 それ以外にもあります。例えば洛中洛外図屏風という、戦国時代から江戸時代の初期ぐらいの京都の風景を描いた、京都の町並みをはるか上空から写している絵画があります。京都中を見下ろして描く中で、家々の間にある金色のものが全部雲なんです。金色の雲が京都の町の中にただよっている感じです。

リアルに描き込むよりは装飾的な画面を作るのが日本美術の1つの大きな特徴になっていますね。

宮本 当時の人々の雲に対するイメージが、やはり反映されているのでしょうか。神秘的と言うか、天上の世界の話のように思ったのですが。

日野原 宗教的な神秘性ももちろんあるのですが、雲自体を美しいものとして見る意識は古くからあるんです。それこそ和歌の中で雲の形を詠んだり、あるいは月にかかる雲で影が照らされてみたいな、自然の景色の美しさを文学として表す感覚が日本の中にはあります。清少納言の『枕草子』の中にも、雲の美しさに触れている文章がありますね。

ただ、絵画としてリアルな雲を鑑賞するという感覚はもう少し近代に近づいてからで、「雲の美しさ」というのはかなり概念的なものだったのかなと思いますね。

描く雲、撮る雲

HABU ヨーロッパの宗教画は、天使が降りてきて、例えば教会の壁画に描いてあるものは必ず雲が装飾的な役目を果たしていますよね。

その後、18世紀になるとイギリス風景画がありますよね。ターナーが有名ですが、ジョン・コンスタブルという人はずっとサフォーク州の空ばかり描いて空の画家と呼ばれていて、ものすごく迫力がありますよね。

日野原 そうですね。18世紀、ヨーロッパで科学が発達していく中で、特にイギリスのコンスタブルやターナーなどはまさしくそうですが、そこに自然の美しさを見る。おそらくそこには自然に神の世界を見るような感覚もあったと思うんですが、自然の美しさを絵として描きとめていくという発想が出てきて、それが後に日本にも伝わったのだろうと思います。

雲を美しいものとして見る感覚という意味では、日本のほうがもしかすると和歌とかの世界では、いち早く感じとっていたのかもしれません。一方で、リアルな雲を形として残すということで言えば、ヨーロッパ、特にイギリスのほうが先に美意識を見出したのかなという感じがします。

HABU ただ、雲の場合、ちょっと時間が経つと形が変わってしまう。だから、ヨーロッパでも日本の絵画でも、ある意味パーツとして使っていますよね。主役を引き立てるための装飾品のように。

それが、今の時代は誰でも写真を撮れるようになったので、空の写真を写したSNSがすごく多いんです。僕が始めた当時は、誰も空なんか撮っていなかった。それが、今や、誰の頭上にも空はあるから一番簡単に撮れる被写体としてとてもポピュラーになってきた。

日野原 雲を形として捉えるのは、絵として描くか、写真として撮るかで大きく違うと思うんですよね。明治時代の水彩画の教科書である『水彩画之栞』には、水彩画で雲を描くのは困難だと書かれている。

山や木は動かないのでそのままスケッチできるけれど、雲は一瞬たりとも同じ形がないので、描こうと思っている間に目の前の形がどんどん変わっていってしまうからです。

一方、写真の質はともかく、現代はスマホでカメラを常に持ち歩いていますから、空の景色で面白いなと思った瞬間に誰でも撮れてしまう。雲や空に対する表現力という意味ではまったく違いますよね。

HABU 今、花を撮ったり、身近なものを撮るという1つの例として雲が扱われている。わざわざ山に登らなくても身近で撮れますから。

日野原 また、ちょっとした異常気象とかの動画もよくSNSにアップされますよね。これは各地のポイントの災害の状況とか雨の状況、雲の状況がわかるので、便利なのかなと思うんですけれど。

宮本 災害に限らないんですが、SNSやアプリを通じて、気象の知識がないユーザーが撮ったデータを天気予報に使えないか、という話はここ数年すごく言われています。

ただ、現実のところ、精度の問題があるのでまだ使えてはいないんですが、そこがクリアできればすごいマンパワーになりますね。

HABU テレビの天気予報で、視聴者から写真を送ってもらって紹介するコーナーがありますよね。僕も何度かテレビ局から写真が送られてきて「これは本物ですか」と聞かれたことがあります。中には、どう考えても加工だというのがあって。

日野原 その見極めは大変ですよね。

HABU 僕が思うに、雲というのは待って撮るものではなくて、出会うものなんです。だから、よく「待つんですか」と聞かれますが、「待たないです」と言いますね。移動して出会って、それでワッと思って撮る。それの繰り返しですね。まして、電線を消すなんてとんでもない話で。

日野原 今はアプリで、曇った日を晴れた日に変えられるものがあるみたいですね(笑)。

HABU 何でもありですよ。天気も変えてしまうという(笑)。

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