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【三人閑談】
"入力"の極意

2021/07/26

フリック入力は検索だった?

増井 これまで「予測入力」と呼んできましたが、じつを言うとこのシステムは「検索」なんです。入力場所に辞書の検索結果を貼り付けているだけなので、いい医療用辞書の検索システムがあればそれを組み合わせればいいんですよ。

小川 なるほど。入力の精度は辞書の検索システムの性能次第ということですね。

増井 昔のパソコンでは「連文節変換」といって長文入力したものを一括変換するのが流行りましたよね。当時はその精度を競っていましたが、今は柔軟な検索機能を使った予測入力システムで少しずつ入力するほうが速くて正確とされています。

安岡 長文入力はどこで変換ミスが起きたのかが一目でわからないのが難点でしたよね。

増井 そう。変換ミスがあるといちいち直さなきゃいけない。それが面倒くさいので、今の入力方式に変わっていったんですよね。

小川 私はスマホではフリックを使っていますが、上下左右に「あ、い、う、え、お」と入力するアイデアはいろいろと試行錯誤するなかで出てきたものなのでしょうか。

増井 じつは、フリック入力は私が発明したというよりも、以前からあったものを組み合わせたんですよ。「プルダウンメニュー」というのがありますよね。あれは上下に並んだ候補項目から選ぶ方式ですが、それをマウスやペンを動かす方向で選ぶ「パイメニュー」という方式があるのです。メニューを表示した後の移動方向でメニュー項目を選択できるのが利点です。

パイメニューと辞書の予測入力を組み合わせれば日本語にも使えると考え、あのシステムが生まれました。よく私が開発者だと言われるんですが、既存の技術を実装して売ったというのが実際のところです。

自作キーボードの世界

安岡 増井さんは、フリック入力の開発にかかわる前はキーボード入力の開発もされていたのですか。

増井 柔軟な辞書検索システムを試作していたことがあるのですが、その時に検索と入力は一緒だということに気が付いたわけです。辞書検索システムでは意外と簡単に単語を取り出せるので、この機能を入力システムと組み合わせてはどうかと考えてできたのが予測入力です。

私はキーボードの配列にとくに問題を感じていたわけではないので、普段はローマ字入力のQWERTYを使っていますし、キーボードも安パソコンのもので全然オッケーなんです。US配列のキーボードを使っていますが、今は配列を変えるソフトもあるのでこれじゃないと絶対にダメということもない。

安岡 辞書の検索システムを考える側から、楽な入力方式を考えていったということなんですね。

増井 そうです。とにかくすぐに単語を検索できればそれでオッケーなので操作方法はペンでも音声でもジェスチャーでもいいんです。

最近は自作キーボードをつくる人が増えているそうで、秋葉原に専門店があるのはご存じですか?

小川 いえ、知りませんでした。

増井 その店ではとにかく自作キーボードばかりを扱っていて、自由に配置したキーをマイコンで制御して市販のキーボードと同じように使えるようにしたものが売られているのです。

CPU付きのキーボードみたいなものですね。プログラムさえ書ければ配列はもちろん、どこのキーでどんな文字や記号を出せるかも自在に変えられるので、いろいろなマニアがいろいろなキーボードをつくっています。その店はとても繁盛しているようで、こだわりのある人が本当に多いのがわかります。

“スローハンド”で叩きたい

小川 私は増井さんとは逆で、ストロークの深さとかキーの押下圧にもこだわりがあるんです。ある時、周りから「東プレ(Topre)」のキーボードはいいよと薦められ、調べてみるといろいろな重さを選べるので、押下圧が35から40グラムぐらいの製品を買って試してみたところ、手首やひじへの負担が軽く、ミスタイプも減りました。手の微妙な角度でもタイプの精度は変わってくるので大事だな、と。

お二人は普段どのようなキーボードを使っているのでしょう。

増井 私はノートパソコンの本体に付いているものを使っています。基本的にストロークが浅く、指をあまり動かさなくても打てるものが好きなんです。

そのためにリターンキーの位置も自分で変えています。通常の位置だと小指を伸ばさなければ叩けないのが嫌で、私はセミコロンキーをリターンキーに変えて使っています。これだと指をほとんど動かさなくても大体のことができます。

安岡 セミコロンがないとプログラムを書く時に困りませんか?

増井 最近はセミコロンの要らないプログラミング言語も多いんですよ。

ギターの名手であるエリック・クラプトンは指の動きが絶妙すぎるため「スローハンド」と呼ばれることがありますが、その無駄のない動きがかっこいいんですね。

小川 増井さんはそういうキーボードさばきがお好きなんですね。

増井 そうです。クラプトンのようにスローハンドで叩きたい。指がほとんど動いていないように見えて、じつはすごい速さで文字を打っている、みたいなのがいいんです。

小川 逆にタイプライターは割とダイナミックな動きになりますよね。

安岡 機械式ですからね。もともと人間の指の力で印字していたので、どうしてもストロークはゼロにはなりませんよね。でも、電気仕掛けになってもストロークをなくさなかったのはなぜだろうとは思います。

PCが出始めのころは、メンブレンスイッチ(フィルムに回路と接点を印刷して貼り重ねた薄いシート状のスイッチ)のようなものもなく、ある程度は押し込まないと反応しない物理スイッチが当たり前でしたが、今もストロークがあったほうがよいという声は根強いですよね。

増井 技術的な制約がなくなった後でもストロークが深いものに需要があるのは、やっぱり好みの問題なのでしょうね。

安岡 私もノートパソコン程度の浅さは平気なのですが、マイクロソフトの「Surface」のカバー状のキーボードは、さすがに押しているのかどうか不安になってしまいますね。タッチ感が全くないと少し使いにくいと感じます。

増井 Macbook はどうですか? 私はあれぐらいがちょうどいいのですが。

安岡 Macbook はいいのですが、タブレットのように画面に表示させて叩くソフトウェア・キーボードは苦手ですね。ペンがあるならまだしも、ディスプレイを指で叩くのは感覚的に駄目。手応えがあれば多少軽くてもいいのですが。

小川 私はノートパソコンのぺチペチと打つようなタイプが苦手です。IBM「ThinkPad」はノートの中でもわりとストロークが深くてよかったのですが、浅い物になると腱鞘炎になりそうでこわいんです。それでノートパソコンでも外付けのマイキーボードを使っています。

安岡 じつは、私はプログラム用のUNIXマシンにはストロークが深めのものを使っているんですが、こっちは日本語入力用のキーボードとはまた求める感触が違うんです。

小川 昔の米国映画を見ていると、人差し指だけでパカパカと素早く打つ人が出てきますけど、ああいう人は今でもいるんですか?

増井 ビル・ゲイツがそうらしいですよ。

小川 そうなんですか!?

安岡 最近の大学でもそういう学生がいますね。プログラムを書くのを後ろで見ていると、パパッと打つのですが、指は2、3本しか使っていない。そういう学生がいっぱいます。

小川 彼らはキーボードを見ながら打っているのですか?

安岡 いえ、大体見なくても打てるようです。プログラムを書かない文系の授業を見ていると、キーボードに慣れていないスマホ世代の学生も結構いますね。しばらく触らせておくとスマホよりも打ちやすいと言い出したりします。慣れてくるとフリック入力よりも速いと感じるようです。

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