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【三人閑談】
"入力"の極意

2021/07/26

  • 安岡 孝一(やすおか こういち)

    京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。1990年京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門は人文情報学、文字コード論。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(共著)など。

  • 小川 純己(おがわ じゅんき)

    小川皮フ科医院院長。 1994年慶應義塾大学医学部卒業。親指シフトキーボードを学生時代から30年以上愛用。キータッチの「頭から指先に思いが届く感じ」をこよなく愛する。

  • 増井 俊之(ますい としゆき)

    慶應義塾大学環境情報学部教授。ユーザーインターフェース研究者。富士通、ソニー、アップルなどを経て2009年より現職。iPhoneの日本語入力システム(フリック入力)や予測型日本語入力システム「POBox」の発明者として知られる。

タイプライターは出力機器?

増井 今日はキーボードを使った入力をテーマに話をしていきたいと思います。私はこれまでスマートフォンなどのUI(ユーザーインターフェース)の開発にかかわってきましたが、キーボードと言えば、日本のパソコンで最も普及している「QWERTY配列」に関するご著書もある安岡さんにまずはお話しいただきたいのですが。

安岡 端的に言えば、QWERTY配列はたまたまできたものなんです。ものの本にはクリストファー・レイサム・ショールズが発明したと書かれていたりするのですが、19世紀にいろいろな人たちが試行錯誤するなかで特許がとられ、普及していったというのが事実です。

じつは、タイプライターはもともと入力機器というより、「受信機器」、「出力機器」でした。というのも、最初のタイプライターはモールス信号を手書きよりも速く書き留めるために発明されたものだからです。タイピストというのもモールス信号を文書化(出力)するために生まれた職種でした。

その後、19世紀後半に大文字と小文字が区別された機構が発明されると、今度は人がしゃべった言葉を直接打ち込む、速記のための道具になりました。QWERTY配列ができ上がったのはこのころです。といっても、当時はまだしゃべるのと同じスピードで入力するのは難しく、1度速記した文章を清書するのに用いられていたそうです。そうして少しずつ広がっていきました。

キーボードの配列は、1890年代にタイプライター・トラストが成立するまでかなりいろいろな配列があったようです。記録もたくさん残っています。そのうちの1つにQWERTY配列があったという経緯で、それほど合理的な意味はないのです。

増井 今、UIの分野ではQWERTY配列ではないほうがよいとする研究も多く出てきています。スマホやタブレットが当たり前になり、指やペンで入力する機会が増え、キーボードの配列では打ちにくいという声が上がっています。例えば、組み合わせて使われやすいTとHや、LとYを並べてはどうかといった提案が学会などでも出されています。

ですが、配列を新たに覚えるのはやっぱりみんな面倒くさいので、結果的にスマホやタブレットのソフトウェア・キーボードは今もQWERTYに準じた配列になっていますね。

Qwerty配列

小川 最初のタイプライターは入力と出力がほぼ同時だったという感じなのでしょうか。

安岡 「入力機器」として使われるようになったのは、1940年代にテレタイプをコンピュータにつなぐということをやり始める人が現れてからではないでしょうか。

もともと通信機器だったテレタイプを、モールス信号を置き換えるために使うのはそれほど突飛なことではなく、打ったものをそのまま出すという感じでした。手書きの文章を清書するためにわざわざ印刷するのも大変なので、活字っぽいものに変換できる機械が求められた時に発明されたのがタイプライターでした。

小川 私はタイプライターを使ったことがないのですが、キーがすごく重そうなイメージがあります。安岡さんのご著書にあるように、昔の人が1分間に170ワードも打っていたのは本当ですか。

安岡 そうみたいです。キーを奥まで押し込まず、印字されるぎりぎりに力を加減したり、キーの押下圧を変えたりと、速く打つためにいろいろと工夫されていたようです。

親指シフトの魅力

安岡 皆さんが思い描くタイプライターと言えば、紙の上から印字する「フロントストライク式」だと思いますが、これは20世紀に入って登場した機構です。それまでは活字を下から打ち上げる方式が普通で、活字棒の重みを利用するので確実に印字されるのですが、打ち間違えてもわからないという欠点がありました。さらに、活字を下から上に持ち上げるのでキーも重く、それで1分間に120~130ワードも打っていたというから驚きです。

小川 当時のタイプライターで目指されていたのは、人がしゃべったスピードで打ち込めるような操作性だったのでしょうか。

安岡 速記の人たちにとってはそうだったようです。ただ、昔のタイプライターは打鍵音が大きいというのも難点でした。しゃべっている横でバチバチと打つのはうるさかったと見えて、聞き取りの現場には持ち込めず、速記士が書き留めたものを後からタイプするやり方がとられていました。

一方、タイプライターを使ってモールス信号を文字に打ち換える現場では「サウンダー」という装置が発明され、打鍵音が多少うるさくても、電信を聞きながらでも打てたようです。ただ、モールス信号は通信速度が遅く、どれだけ速く打ち込んでもせいぜい40ワード程度でした。

小川 私は普段の診療で患者さんの話を聞きながら電子カルテに入力していきますが、同時に打ち込むなんてできませんし、なるべく速く打たないといけないというプレッシャーもあってよく打ち間違えます。それを直すのもまた面倒くさいのでもっとよい日本語入力方式があれば、と思っているのですが。

安岡 日本語入力は変換が必要なので欧米の入力とはまた違う事情もありますよね。

増井 日本語はそれに加えてローマ字入力方式とひらがな入力方式がありますよね。私はローマ字派なのですが、小川さんはひらがなを直接入力する「親指シフト」キーボードをずっと使い続けているそうですね。

小川 大学に入って最初に買ったワープロが富士通の親指シフトだったのです。それを使い続けているうちに手離せなくなり、それ以来ずっと「親指シフター」です。ただ、親指シフトは対応するキーボードが限られるので、今はエミュレーター(通常のJISかなキーボードをソフトで親指シフトに配列変換する)を使用しています。

そこまでしてなぜ使い続けるかというと、親指シフトは打っていてすごく気持ちいいからなんです。たとえるとバイオリンとピアノの違いに近いかもしれません。バイオリンでは音程のコントロールに使うのは左手だけですが、ピアノは両手を使って弾きますよね。親指シフトもすべての指を使って入力するのですが、この手応えといったら……。

ちなみにQWERTY配列のJ、K、Lは親指シフターにとって右手の1番使いやすい位置にあり、頻度順で「と」「き」「い」が割り振られています。ローマ字変換ではこれらのキーを使うことがほとんどないので、すごく理不尽な配列だなと感じているのですが。

安岡 ローマ字入力ではKの使用頻度は結構高いと思いますけどね。Lは最近、授業などで小書きに使う学生が増えていますが、「きゃ」をわざわざ「KILYA」と打つのでさすがに注意しました(笑)。

親指シフトの配列

小川 安岡さんは日本語のキーボード配列も研究されていたのですか。

安岡 調べていたことはあります。僕が大学に入った1984、5年ごろは研究室のキーボードも「親指シフト配列」と「JISかな配列」が半々だったので両方使えないと不便だったんですよ。

小川 当時、ローマ字変換は少数派だったのでしょうか。

安岡 キーボードのシェアは半々くらいでしたね。その頃にカタカナの配列を調べていたのですが、今の「タテイスカンナニラセ」と並ぶJIS規格のカナ配列は、1950年代にカナタイプライターのキー配列を規格化する時の「カナモジカイ(カナ文字専用論を唱える民間団体)」の配列案なんです。

旧逓信省の案は電信用に考案された配列で、使用頻度の高い文字を人差指の担当するキーに集めたものでしたが、小書きのカナがなく不便だったので廃止になりました。そういう歴史を調べるなかで、キー配列というのは頻度で決めると失敗するんだなと思い至ったようです。

速く正確に打つには

安岡 増井さんはスマートフォンのフリック入力の開発者でもありますが、ご自身でもフリック入力を使っているのでしょうか?

増井 じつは私自身はあまり上手く使いこなせていません。ですが、ひらがな入力のほうが便利という人は多く、そういう人たちの間でそれなりにフリック入力は流行っているようです。

安岡 フリック入力が速い人は本当に速いですね。手の動きを見ていると途方もないスピードで打っています。

増井 今はガラケー、スマホにかかわらず、予測変換入力も定着していますからね。指やペンでの入力ですら遅いと感じる人が多いのでしょう。文字や記号を直接入れるよりも候補から選ぶほうが速いと感じる人が増えているのだと思います。米国では予測入力を使う人はほとんどいないようで、まだまだ新しい入力方式が登場しそうな、面白い状況なのではないかと思います。

一方で、パソコンではすべての読みを入力してから変換するほうが速いと感じる人がまだ多いようで、予測入力はまだあまり広まっていません。手に障害があったり、タイピングが苦手という人には重宝されているようですが。

小川 私は電子カルテを入力する時に予測変換を使っています。履歴にもとづいて候補が表示されるので頻度の高いものが上位にくるのはとても便利です。

増井 小川さんが使っているのは医療用の入力方式ですか?

小川 ATOKの医療辞書を入れています。ですが、いつも困るのは同音異義語を変換する時なんです。そういう機能こそ医療用に最適化してほしいと思うのですが、一般用語が普通に候補で出てきたりします。

増井 それはシステムの出来が悪いだけかもしれない(笑)。普通の日本語でも「しよう」と打つと、Specification(仕様)とUsage(使用)が判別されないみたいなことはよくありますよね。

以前、カルテ用の入力システムをつくってはどうかという話もあったのですが、実現しなかったのは日本語入力用の辞書をユーザーがそれぞれ最適化すれば不自由なく使えるからかもしれません。

小川 急いで入力しなくてはならない時に表示された候補をマウスで選ぶのもちょっと面倒で、例えば視線を合わせるだけで文字を選んでくれるような技術があればとも思います。そういう入力システムが登場するのはまだ先のことでしょうか。

増井 視線で入力する研究は数十年前から行われていますが、昔の視線検出デバイスは精度が低く高価でした。ただ、最近はわりと安くて高精度のものも出てきているので、いずれ実用化されるかもしれません。

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