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【三人閑談】
ミツバチの不思議

2021/06/25

  • 藤原 由美子(ふじわら ゆみこ)

    日本在来種みつばちの会事務局長。1979年慶應義塾大学法学部卒業。岩手県の養蜂家と結婚後、2008年岩手大学大学院農学研究科にて博士(農学)の学位を取得。「ミツバチ だいすき」など絵本も執筆。岩手県環境アドバイザー。

  • 真貝 理香(しんかい りか)

    総合地球環境学研究所・外来研究員。1989年慶應義塾大学文学部卒業。97年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。日本の養蜂文化・ミツバチと人との関係を研究し、「ニホンミツバチ・養蜂文化ライブラリー」のwebサイトを開設。

  • 中村 宜之(なかむら まさゆき)

    慶應義塾中等部理科教諭。2000年慶應義塾大学理工学部卒業。早稲田大学教育学部を卒業後、2002年より現職。2020年より、中等部でセイヨウミツバチの飼育を始める。

ミツバチとの出会い

中村 本日はミツバチの専門家であるお2人にどのようなお話が聞けるか楽しみにしてきました。

私は昨年の6月より中等部で授業の一環としてセイヨウミツバチの飼育を始めました。理科の教師ですが、実はミツバチに関しては全くの素人だったのですが、昨年4月から非常勤講師としてハチの専門家である笹川浩美先生が来てくださっていて、いろいろと指導をお願いして飼い始めたんです。

藤原 そうだったんですね。笹川先生はよく存じています。

私は法学部卒業後、一般の会社で仕事をしていたのですが、小さい頃から生き物や自然が大好きだったので、そのような関係の仕事をしてみたいと考えていた時、仕事帰りに通っていたスペイン語教室で、岩手盛岡の藤原養蜂場の養蜂家である夫と出会ったんです。

彼はその時、近い将来南米に行って大規模養蜂をやろうと考えてスペイン語を習いに来ていたんですね。そこで、ミツバチや養蜂の話をたくさん聞いた私は、「もうこれだ!」と(笑)。親も友人も皆、結婚には大反対でしたが、生まれ育った鎌倉を離れて盛岡へ行ったのです。

真貝 藤原養蜂場さんは創業から120年の歴史がある養蜂場ですね。

藤原 はい。最初は養蜂の手伝いをしていたのですが、子どもが少し大きくなった時に、ミツバチの勉強を本格的にしたいと思い、岩手大学農学部の大学院に社会人入学の枠で、無謀なチャレンジをしました。

入学してからは大変な毎日でしたけれど、衝撃的だったのは、ミツバチを研究したいと思って入ったのに、与えられたテーマがミツバチの天敵のスズメバチだったこと。

真貝 それは大変でしたね(笑)。

藤原 えー! と思いましたけれど、スズメバチはミツバチと大変関係の深い生き物ですし、気を取り直して実験、研究をし、何とか51歳で農学博士号を取りました。

真貝 私は文学部民族学考古学専攻で、博士課程の途中で子どもが生まれて、子育て期は長らく、研究からは遠ざかっていたのですが、2014年に奈良文化財研究所の環境考古学研究室技術補佐員として研究に復帰して、様々なご縁があって今の総合地球環境学研究所の研究員になりました。

もともとミツバチの専門ではなかったのですが、動物考古学という分野で、遺跡から出土した貝や獣骨などを研究していたので、生物と環境に近いことをやっていたのです。ミツバチは生物、食べ物、環境、文化、全部当てはまるんですね。ある時、ドイツ人の同僚から「ドイツは公園にもミツバチの巣箱があったり、どこのスーパーでも地元産のハチミツがあるのに、日本の養蜂のことはよく分からない。詳しく研究したい」と相談を受け、一緒に調べているうちにはまってしまって(笑)。

「いい子」のミツバチって?

中村 ミツバチは本当に環境のこと、すべてに関わってきますよね。中等部ではSDGsに対する取り組みに積極的で、ミツバチを飼うことにしたのもその一環からなんです。

ただ、学校で飼いたいと言ったら、教員会議で子どもが刺されるのではないか、という心配が続出しました。「いや、養蜂園からいい子たちを連れてくるので、刺しません」「いい子って何?」「純血種のあまり気性の荒くない子たちです」という問答があって、もう最後、「近くの別群のミツバチもいるので、刺されても、それがうちの子たちだという証明はできませんよね」と理解してもらいました(笑)。

藤原 それはすごいですね。ミツバチは明らかに機嫌がいい時、悪い時があります。例えば暖かくて花の多い時期は、何か特別なことがない限り刺しません。でも気温が下がってきた時や花の少ない時期、スズメバチが来ている時期はイライラしていて、巣箱のふたを開けただけで刺されたりすることもあります。

また、普段の作業の仕方が荒くても機嫌が悪くなってしまいます。例えば巣箱のふたなどでミツバチをつぶしてしまったりすると、毒腺から警報フェロモンが出る。それが重なると、ミツバチたちの気性がどんどん荒くなっていくんです。だから養蜂家は、本当に丁寧に気を付けながら作業しています。

中村 笹川浩美先生に教わりながら一緒にやっていますが、本当にハチの扱いが丁寧なんですね。ハチに語りかけながら箱に近寄って、「巣箱の正面から近寄るのはだめ」と言われて、後ろや横から語りかけながらふたの開け閉めを行っています。

ハチたちを挟まないよう気を付けて、触覚がピーンと張って警戒しているな、という時には急に触らないようにし、燻煙器で煙をかけて落ち着かせてからやっています。するとハチたちの機嫌がどんどん変わっていくのですね。

ニホンミツバチを飼う

藤原 ニホンミツバチだともっと丁寧に扱わないといけないんですよ。そうしないとすぐ逃げ出していなくなってしまいます。

真貝 そうですよね。一般の方の多くは、ニホンミツバチとセイヨウミツバチの違いをご存知ないのだと思います。日本には在来種のニホンミツバチがずっと住んでいますが、明治時代にアメリカ経由で家畜種であるセイヨウミツバチが入ってくる。藤原養蜂場さんのお祖父様は近代的な商業的養蜂のパイオニアで、東北地方に広めていかれたんですよね。

私共の研究所ではあえてニホンミツバチを飼っています。野生のミツバチなので、セイヨウミツバチとは違う点も多いですよね。巣箱周辺の環境が何らかの理由で悪いと、群ごとどこかに行ってしまうこともありますし、採蜜量は少ないです。

なぜ飼っているかというと、野生のミツバチと付き合うことで、野生とは何か、ミツバチとは何だと考えるようになるからです。ミツバチの機嫌を損ねないように、春も夏もできるだけ周年で花が咲く場所に巣箱を置くといった工夫をしていくと、周りの環境に対するアンテナがだんだん広がっていくんですね。

ニホンミツバチを購入するのはほとんど無理で、今まさに巣分かれ(分封(蜂)、群の一部が分かれて新しい巣をつくること)のシーズンですが、その時に捕まえるのが一般的です。

中村 藤原さんは今、「日本在来種みつばちの会」をされていますが、養蜂場でもニホンミツバチを飼われているわけですか。

藤原 藤原養蜂場では商業用としてセイヨウミツバチを飼育し、「日本在来種みつばちの会」で飼っているニホンミツバチは、趣味や研究でという感じですね。この会は1989年に夫が立ち上げて、全国に会員の方が真貝さんを含め、約1100名あまりいらっしゃいます。

今、世界中で在来種は大切だという機運がすごく高まっています。セイヨウミツバチが日本に入ってくる以前から、ニホンミツバチは木々の花なども利用しながら、日本の森や自然を形づくってくれた担い手です。そういった働きをしてきた生き物を何とか守っていきたいし、皆さんにも知っていただきたいです。

中村 ニホンミツバチを守る意義は大きいんですね。

藤原 そうですね。ただ、実は今、ニホンミツバチにとって苦難の時です。1つは、アカリンダニという成虫の気管に入ってしまう小さなダニが2010年に長野で初めて発見されて以来、ものすごい勢いで全国に広がっていること。さらに、ウイルス性の病気も西日本から北上しており、この2つが群れを全滅させる恐れがあるのです。

ミツバチは「三密」ですし、いろいろなタイミングで他のコロニーのミツバチと接触しているので、どんどんうつってしまう。

中村 やはりニホンミツバチのほうがデリケートな分、飼うのも難しいのでしょうか?

藤原 はい、そう思います。セイヨウミツバチは、人がなるべく飼いやすいおとなしい系統や、なるべく蜜を多く貯める系統が選ばれてきているんですね。ニホンミツバチは、何もそういうことをされていない野生のままです。

性質は敏感で、少し振動を与えただけで翅(はね)を一斉に震わせて「シュワー」という威嚇音を出したりします。そして、何か気に食わないと突然、逃去していなくなってしまう。飼育者は何とか「居ていただく」ために苦心します。でもセイヨウミツバチよりほんの少し小さめで、本当にかわいらしいハチなんですよ。

左 花粉を集めるニホンミツバチ  右 セイヨウミツバチ(撮影:日本在来種みつばちの会)
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